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2019.01.22.09.04

やまたのおろちのぎゃくしゅう

みていてつらいものはある。正直なはなし。
で、それを口実にして、その作品を語らない、一切黙殺するのは、簡単な事だ。ここでこの文章を終わらせればそれでいい。
だけれども、一体、何故、つらいんだろうか。
と、謂う事をここですこし考えてみる事にする。

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映画『八岐之大蛇の逆襲 (Yamata No Orochi No Gyakushu : Eight-Headed Giant Serpent's Counterattack)』 [赤井孝美 (Takami Akai) 監督作品 1984年制作] はユーチューブ (YouTube) でみた。削除されていなければ、その全編をここでみれる筈だ。

1984年制作の作品を今、観ているからではないだろうか。
16ミリ・フィルム (16mm Film) の自主制作映画 (Independent Film) をインターネット (Internet) 上で観ているからではないだろうか。
そんな想いが最初に渦巻く。
でも、時代を越えた名作と謂う概念がない訳でもないし、極めて限られたヒトビトに向けて制作される作品を自主制作 (Independet) と呼ぶのならば、インターネット (Internet) 上で公開される作品の幾つかもその種の作品である筈なのだ。

物語の骨子はそんなに奇異なモノではない。
主人公である桐原祥子 (Akiko Kirihara) [演:高橋香具美 ( Kakumi Takahashi)] が本人の意思のあずかりしらぬところで、巨大ロボットの操縦士に選出されて起こる騒動の顛末だ。
旧くは、マンガ『マジンガーZ (Mazinger Z)』 [作:永井豪 (Go Nagai) 19721973週刊少年ジャンプ連載] の物語導入部もそれであり、もしかしたら大友克洋 (Katsuhiro Otomo) と江口寿史 (Hisashi Eguchi) とが制作に関与したアニメ映画『老人Z (Roujin Z)』 [北久保弘之 (Hiroyuki Kitakubo) 監督作品 1991年制作] もそうなのかもしれず、そして指摘するまでもなく、アニメ番組『新世紀エヴァンゲリオン (Neon Genesis Evangelion)』 [庵野秀明 (Hideaki Anno) 監督作品 19951996テレビ東京系列放映] の物語導入部もそれである。ちなみに、そのアニメ番組の監督である庵野秀明 (Hideaki Anno) は映画『八岐之大蛇の逆襲 (Yamata No Orochi No Gyakushu : Eight-Headed Giant Serpent's Counterattack)』に端役として出演している。
海外作品で謂えば、巨大ロボットではないものの、主人公が恒星間の戦闘に駆り出される映画『スター・ファイター (The Last Starfighter)』 [ニック・キャッスル (Nick Castle) 監督作品 1984年制作] も同一系統に属すであろう。
と、謂う事は、物語設定の構造それ自体は、意外とオーソドックスなところにあるのかもしれない。

そして、その映画の主人公、桐原祥子 (Akiko Kirihara) が操縦せねばならぬ巨大ロボットが、『古事記 (Kojiki)』、『日本書紀 (Nihon Shoki)』に登場する八岐大蛇 (Yamata No Orochi) であった、と謂う設定もそれ程に珍しいモノではない。SF作品に太古の歴史的事象ないし神話伝説の類で語られていた物語が新たな意匠で顕れる、すなわち、伝奇ロマン (Legendary Roman) の要素を導入した作品も決して少なくはない筈だ。
本作品以前のモノでその具体例を呈示するのは難しいのだが、その後に登場する映画『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説 (Ultra Q The Movie : Legend Of The Stars)』 実相寺昭雄 (Akio Jissoji) 監督作品 1990年制作] や映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 (Godzilla, Mothra And King Ghidorah : Giant Monsters All-Out Attack)』 [金子修介 (Shusuke Kaneko) 監督作品 2001年制作] をここでは挙げておこう。
もしかしたらその2例の存在は逆に、映画『八岐之大蛇の逆襲 (Yamata No Orochi No Gyakushu : Eight-Headed Giant Serpent's Counterattack)』の先見性を指摘する事になるやもしれぬからだ。

それでは冒頭の語句に遡って、なぜ、つらいのだろうか。

ひとつ考えられるのは、登場人物のだれひとりとして、観ているこちら側が感情移入出来る存在ではない、と謂う事だ。彼等の殆ど総てが喜劇的な表層で顕れる。そして、その殆どの誰もが、漫才で謂うところのボケ役に徹している様に思える。
その相方に相応しいツッコミ役に相当するのは、主人公の桐原祥子 (Akiko Kirihara) ただ独りであって、彼女自身は巨大ロボット八岐大蛇 (Yamata No Orochi) の操縦室に幽閉されているのである。彼女の挙動はそのまま八岐大蛇 (Yamata No Orochi) に反映されてその周囲を破壊してしまう。だから、動くに動けない。しかも、彼女に直接対峙しているのは、彼女をそこに幽閉した宇宙人達なのである。彼女のツッコミのその殆どは彼等のボケに対して行われる、ただそれだけ、なのである。

だから結果的に、八岐大蛇 (Yamata No Orochi) の周囲には誇大妄想とも思えるボケ役の登場人物達が、自身の妄想をそのままその巨大ロボットにぶつける事になる。
しかし、それを受け止める側である八岐大蛇 (Yamata No Orochi) はびくともしないのだ。物語の舞台である米子市 (Yonago City) を破壊し蹂躙し尽くそうとする、ただそれだけの物語なのである。

仮に、『古事記 (Kojiki)』、『日本書紀 (Nihon Shoki)』の顰に習い、八岐大蛇 (Yamata No Orochi) に対峙する素戔嗚尊 (Susanoo-no-Mikoto) に相当する巨大メカが登場したら、この物語の様相も相当に様変わりしたモノとなったのかもしれない。

しかしこの映画の主眼は、巨大ロボットに立ち向かう防衛隊 (Self-Defense Forces) を描くところにある様だ。しかも、物語に顕れるのは、八岐大蛇 (Yamata No Orochi) に翻弄され、右往左往する、その様ばかりなのである。
とは謂え、彼等を描写する為にこそ存在する特撮 (Special Effects) の、技術と表現力は決して侮る事は出来ない [樋口真嗣 (Shinji Higuchi) が特殊技術 (Director Of Special Effects) を担当している]。寧ろ、そこだけに刮目して注視すべき作品なのかもしれない。

ぼくがこの作品を受け入れられない理由のいくつもが、そのあたりにあるのではないだろうか。

だけども、そんな世界観をぼくはかつて甘んじ、勤しんで享受していたと謂う記憶がない訳ではない。
それは具体的に作品名こそ挙げられないモノの、幾つかのマンガ作品の様に思える。

と、謂う事は、この映画に原作となるマンガ作品があったとしたら、そしてそれを忠実に再現したモノだとしたら、否応もなく絶賛したのだろうか。

ところで、この映画には、怪獣特撮映画 (Monster Special Effects Film) としては、大事な要素がひとつ欠けている。
それは、逃げ惑う市井のヒトビトなのである。
もしもそれらが丁寧に描かれていたとしたら、どうなっていたのだろうか、とは思う。

次回は「」。

附記:
この映画に登場する八岐大蛇 (Yamata No Orochi) の造形は、アニメ番組『勇者ライディーン (Brave Raideen)』 [ 19751976NETテレビ系列放映] に登場する大魔竜ガンテ (Gante) を想わせる。
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