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2019.01.08.09.06

ねこのめねこのひげねこのしっぽ

縦にながい紡錘形 (Spindle) と横にながい紡錘形 (Spindle)、その組み合わせで出来る同じ図形を3組、横に並べる。
2種類の紡錘形 (Spindle) 一対で、猫の瞳を表現しており、その結果、3眼の猫が1匹、誕生する。
そうではない。この図形は、正面を向いた猫1匹と真横を向いた猫1匹を描いたモノである。

童謡の『ネコのめ (Cat's Eye)』 [作詞:香山美子 (Yoshiko Kouyama) 作曲:冨田勲 (Isao Tomita) 発表年未詳] と謂う歌の歌詞1番はそういう内容の絵描き歌 (Drawing Song) である [描き方に関してはこちらを参照の事]。
1番と同じ様な論理で、歌詞2番は猫の髭を、歌詞3番は猫の尾を、題材としている。

ぼくの記憶に間違いがなければその歌は、TV番組『おかあさんといっしょ (Okaasan To Issho)』 [1959年より NHKにて放映] で放映されたモノだ。
その際の歌唱者は水谷玲子 (Reiko MIzutani) [19641967年出演] である。ぼくが現役の未就学児童だった時代を勘案すれば、間違いはない [だからと謂って、彼女の前任者である竹前文子 (Fumiko Takemae) [19621964年出演] や彼女の後任者である中川順子 (Junko Nakagawa) [19671970年出演] が歌唱をしていないと謂う保証はない。彼女達がその番組で歌唱をしていた時代をぼくが体験していないだけなのだ]。
と、謂うのは、同種の民放各社の番組、例えば『ママとあそぼう! ピンポンパン (Play With Your Mother! Ping Pong Pang)』 [19661982フジテレビジョン系列放映] や『ひらけ! ポンキッキ (Open! Ponkicki)』 [19731993フジテレビジョン系列放映] 等は、小学生になっても夏休みには観ていた事はあるが、ことその番組に関しては一切、見向きもしなかったからだ。この事は、個々の番組の本質をなんらかのかたちで抽出している様な気がする。
もしも仮に、同じ時代に『ウゴウゴルーガ (Ugo Ugo Ruga)』 [19921994フジテレビジョン系列放映] が放映されていたとしたら、親の権限で観せてはもらえなかったかもしれないし、逆に『セサミストリート (Sesame Street)』 [1969年より放映] は今でも観たくなる事がある。

と、思いつく儘に綴っていけば、どんどん、本題から離れてしまう。話を元に戻そう。

その時代にその歌を知ったぼく達にとって、ある意味で忘れてはならない、忘れてはいけないい楽曲のひとつである。
と、謂うのは先ず、その歌によって猫と謂う生物をどう描けばいいのかと謂う、その手法を教えてくれたのだから。これがもう少し時代が下っていれば、猫の描き方はきっと、マンガ『もーれつア太郎 (Moretsu Ataro : Extraordinary Ataro)』 [作:赤塚不二夫 (Fujio Akatsuka) 19671970週刊少年サンデー連載] の、ニャロメ (Nyarome) に学んだ筈なのである。

猫と謂う生物の特色は、その瞳にあり、それはふたつの紡錘形 (Spindle) の組み合わせで成立する。おとなとなった今では至極当たり前のその描写が、その時はとても不思議な、魔法の様に感じられたのである。

と、綴るととても大袈裟な表現と思われるかもしれない。しかし、実際に、水谷玲子 (Reiko MIzutani) が唄いながら描くその歌で、単純な図形がひとつひとつ意味を与えられ、しかも、同じ図形でありながらも、歌がすすむにつれて意味が変化していくのである。2番に登場する猫の髭が、いつしか箒になってしまうのはその典型だ。

1本の線を描く事、ひとつの図形を描く事、その行為を幾つも幾つも行う事によって、線や図形が新たなかたちを得、その結果、ある意味を与えられる。しかも、その意味はたったひとつではない。みかたやかんがえかたをかえる事によって、もうひとつのあらたな意味が立ち顕れる。
その歌に関して、穿った解釈をしてみれば、そんな理解が得られるのかもしれない。

ただひとつ残念なのは、その歌に登場する猫はあくまでも猫であって、猫である事をやめる事はない。

と、謂うのは、他の絵描き歌 (Drawing Song) ならば、さらなる飛躍が待っている筈なのだ。例えば、歌い出しが「ぼうが一本あったとさ (It Is Said That There Is A Bar.)」で始まる『かわいいコックさん (A Pretty Cock)』は、その1本の棒 (Bar) が最終的には「コックさん (Cock)」に辿り着くまでに、何度も何度も変容を繰り返すのである [描き方はこちらを参照の事]。
そんな変容を繰り返すのは、その歌に限らない。『オバQえかきうた (Little Ghost Q-Taro Drawing Song)』 [作詞:東京ムービー (Tokyo Movie) 作曲:山本直純 (Naozumi Yamamoto) 歌唱:ザ・グリーンピース (The Green Peas) 1971年発表] でも『ドラえもん・えかきうた (Doraemon Drawing Song)』 [作詞:楠部工 (Takumi Kusube) 作曲:菊池俊輔 (Shunsuke Kikuchi) 歌唱:大山のぶ代 (Nobuyo Oyama) 1979年発表] でも同様だ。
絶え間ざる変容の連続、それが絵描き歌 (Drawing Song) の本質であるのかもしれない。

にも関わらずに『ネコのめ (Cat's Eye)』の猫はあくまでも猫である事に拘っている。
そこを考慮すれば、この歌は絵描き歌 (Drawing Song) ではないのかもしれない。

もしかしたら、それが原因なのかもしれない。
この歌、ぼくと同年代のヒトビトにしか知られておらず、しかも、その殆どが忘却しているのである。半ば、忘れられた歌、すなわち、普遍性を勝ち得ていないのだ。

先に「忘れてはならない、忘れてはいけないい楽曲」と綴ったが、論旨が破綻してしまっている。その楽曲へのぼくの想いと、その実態とに、齟齬が来たしているのである

次回は「」。

附記:
この歌に、小説『黒猫 (The Black Cat)』 [作:エドガー・アラン・ポー (Edgar Allan Poe) 1845年発表] の、プルートー (Pluto) が登場したら一体どんな歌になり得るのだろうか。謂うまでもなく、彼の瞳はひとつしかない。

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"‘The Black Cat’, “Tales Of Mystery and Imagination”" 1993 by Ian Miller
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