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2018.12.18.08.57

かってにしやがれ

もうすぐ5月、大学2年の事だった。

構内が騒々しいのは、年度の始まりだからだ。新入生は来る。彼等をめあてにサークルや同好会は姦しい。
しかも、そんなところに籍をおいていなくとも、講義のガイダンスには出席はしなければならない。この1年で取得する科目を選択し、期日までに登録しなければならないからだ。
いくつかの科目はあらかじめ決定されている。語学と必修科目だ。そしてそれらの殆どは出欠席を講義の毎回とる事になっている。そこには否が応でも、これから毎週、その時間に拘束される事になる。
問題はそれ以外だ。

選択科目の殆どは、1年に1度の試験が課せられるだけだ。だから、極端な話、4月の始めにその講義を選択して登録し、1月末の試験に及第すればいい。その間、どこでだれとなにをしようとまったくの自由だ。勿論、教授の顔を知らなくても、教科書の類いをもっていなくとも、問題視される事はない。
ただ、そのためにはどうしたらいい。そんなむしのいい話、むしのいい講義はどこにある、そのためにこそ、その情報を得るためにこそ、ぼく達はこの時季、学内を彷徨っているのである。

しかも、それだけではない。
教授の個性によっては、及第のハードルは低いがその代わりに採点の厳しいモノもいれば、それとは逆に、ハードルは高いくせに4段階評価の最高位、優しか出さないモノもいる。4年間で大学生という身分から解放されたければ前者を選ぶべきだし、優をかき集めるだけ集めて大企業就職への一助にしたければ、後者を選ぶべきなのだ。
また、中には語学ばりに出欠席をとる講義がない訳ではない。煩わしい事この上ないが、毎週ある決まった時間だけ拘束されてその結果、単位が取得出来れば、ある意味でこんなに簡単な事はない、そう考える輩がない訳でもなかった。

そんな個々の大学生の情実を踏まえれば、毎年この時季に大学と謂う場所が、こんなにも雑然としているのは、至極当たり前の事なのかもしれない。

ただし、当事者のぼく達はいささかそれにうんざりしていた事も否めない。実際にどこにいっても学生達でごった返していて、身のやり場がない。しかもどこにどうめをつけているのか、新入生と勘違いして勧誘してくるサークルさえもある。1年暮らしても、まだ田舎者にみえてしまうのか、自分自身にさえ情けなくなってしまう。

ようやく学食の席を確保した。講義の登録用紙は先程、提出したばかりだ。あと数日もすれば連休に突入し、学内もようやく普段通りの閑散とした佇まいとなるだろう。
ぼくが情報誌を手にしているのもそんな理由だ。映画館をはしごするのも悪くない考えだ。
ぼくの目の前には同学年のOがいる。共通の友人を介して、知り合ったばかりだ。だが、その友人がいなくともいずれは接触したのかもしれない。ぼくがのぞく講義のどこにも彼はいて、そのおおきな身体を最前列に埋めさせていたからだ。

そこにいる数名のあいでで、誰ともなく連休の話になった。帰郷するモノ、バイトに精出すモノ、旅行するモノ、ひとそれぞれだ。
「競馬にでもいこうかな」
Oは不意にそう告白した。先日、ギャンブルを一切体験したこともないくせに、観戦したら思いの外に愉しかったと彼は謂う。この学校の沿線にある競馬場に出向き、馬券も買わないで、はしる馬ばかりをみてきたそうだ。
嬉々として語る彼の言動はみているぶんには面白いのだが、彼とおなじ体験を取得できる可能性はぼくにはなさそうだ。そんなぼくと手許にある情報誌を見咎めて、ぼくに問い質す。
「これから映画でもみようかなっておもってさ」
つまり、この場から退席するにはちょうどいい潮時だったのだ。

その日にぼくが観たのが映画『勝手にしやがれ (A bout de souffle)』 [ジャン=リュック・ゴダール (Jean-Luc Godard) 監督作品 1960年制作] だった。同じ監督で同じ主演男優の映画『気狂いピエロ (Pierrot Le Fou)』 [ジャン=リュック・ゴダール (Jean-Luc Godard) 監督作品 1965年制作] との2本立てだ。
ヌーヴェルヴァーグ (Nouvelle Vague) も、ジャン=リュック・ゴダール (Jean-Luc Godard) も、ジャン=ポール・ベルモンド (Jean-Paul Belmondo) も、ジーン・セバーグ (Jean Seberg) も、アンナ・カリーナ (Anna Karina) も、映画的引用 (Cinematic Quotation) も、この時が初体験だ。いや、ジャン=ポール・ベルモンド (Jean-Paul Belmondo) はTV放映された映画『ボルサリーノ (Borsalino)』 [ジャック・ドレー (Jacques Deray) 監督作品 1970年制作] で遭ってはいるのか。

少なくとも作品に関するそんな情報は一切に事前には持ち合わせずに、情報誌におどる数行の言葉だけに踊らされて、観る事に決めたのだ。台本がない、即興で撮る、そんな言葉だ。
勿論、その映画の題名自体も、一因にはなっている。沢田研二 (Kenji Sawada) やらセックス・ピストルズ (Sex Pistols) やらで、馴染んだその言葉だ。
念の為に綴っておけば、この駄文は、その名を冠するバンドが顕れる10数年も前の昔話である。

さきの発言の言葉尻をとらえてぼくに尋ねたのはOだった。
「なにをみるんだい」
しかし、彼の問いに対してその時のぼくはまだ、明快な解答が用意されていた訳ではなかった。彼のその問いがなければトレイシー・ローズ (Traci Lords) の3本立てだったのかもしれない。
しかもその一方で、Oの期待とは真っ向から対立するモノにしたかったのも否定できない事実としてある。ロードショー公開されたばかりの大作や話題作は避けたくなったのだ。

Oの問いに対しては、情報誌をひらきそのある頁のある箇所を示して、それへの答えとした。
それが映画『勝手にしやがれ (A bout de souffle)』だ。
「おれもいこうかな?」

ぼくの行き当たりばったりの選択に、Oが興味をもってぼくに同道したのは、一体、どうした風の吹き回しなのだろうか。いまでも解らない。
だが、実際に2人は大学をあとにして有楽町に出向き、そこでその映画を観た。
この街に来るのは約1年ぶり、前回きたのはある講演会に参加する為だった。2〜3日もすればおなじ主催者による催しが今年もあるのだが、今回はみあわせるつもりである。

images
これから観る2作品のパンフを買う。そこにこんな魅力的な言葉が踊っている。
海が嫌いなら 山が嫌いなら 都会が嫌いなら 勝手にしやがれ (Si vous n'aimez pas la mer..., si vous n'aimez pas la montagne..., si vous n'aimez pas la ville..., allez vous faire foutre!)」
春の陽気に背をむけてこれから、真っ暗な座席に蹲って点滅する画面を凝視め続けようとするいまのぼく達には、あまりに出来すぎた餞の言葉だ。
[上掲画像はこちらから]

そうして上映が始まった。

休憩時間に、映画体験ならではの快い疲労感を堪能しているぼくの顔を、困惑した表情のOがのぞきこむ。
「むずかしいね」
「うん。むずかしい」

2人が観た映画に関して交わした会話はこれだけだった。
映画のなかで何回も行われる印象的な仕草、ジャン=ポール・ベルモンド (Jean-Paul Belmondo) が演じるミシェル・ポワカール (ichel Poiccard) の様に自分の指先で唇を拭ってみせる程の余裕すら、ぼくにもなかった。

映画館をでたあと、ぼく達はどこかで呑んで別れたのだが、そのときぼく達はなにを語り合ったのだろうか。憶えていない。

ぼくのあたまのなかにあるのは、次回上映の2作品の事ばかりだったと思う。
同じ監督のふたつの作品、映画『去年マリエンバートで (L'Annee derniere a Marienbad)』 [アラン・レネ (Alain Resnais) 監督作品 1961年制作] と映画『二十四時間の情事 (Hiroshima mon amour)』 [アラン・レネ (Alain Resnais) 監督作品 1959年制作] だ。

彼とは大学に籍がある間は、いつもどこかで出逢っていたが、その日の様な行動を共にする事も一切なかった。授業のノートのやりとり、年度末の試験対策、そんな事ばかりをはなして、彼との遺り3年間がおわったのだ。

次回は「」。
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