2018.12.04.11.39
とは、この拙稿での場合、千曲ちあき (Chiaki Chikuma) の事を指す。マンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』 [原作:佐々木守(Mamoru Sasaki) 作画:水島新司 (Shinji Mizushima) 1970~1975年 週刊少年サンデー連載] の登場人物のひとり、南波高校野球部 (Namba High School Baseball Club) の三塁手である。
自称他称を問わずここでは、彼女以外の美少女 (Nymph) には一切、眼もくれない。
彼女が登場するマンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』は破天荒な物語だ。現実にはありえない事ばかりが大手を振って歩いている。
例えば、作品題名に顕れる阪神甲子園球場 (Koshien Stadium) 自体が、あたかも現実離れをした存在の様にも思える。作品の中での描写をそのまま真に受けて、実際の球場 (Stadium) に向かうと驚く事は必至だ。しかもそれは、作品が発表されてから現在までの半世紀近い時間経過が織り成すモノ、でもないのだ。まわりくどい表現をしてしまったが、作品が描く世界に馴染んでいると、あたかもその球場 (Stadium) が大阪 (Osaka) のどまんなかにある様な印象を抱かされてしまうからだ。勿論、現実にある阪神甲子園球場 (Koshien Stadium) の所在地は〒663-8152 兵庫県 西宮市甲子園町1-82 (1-82 Koshien-cho, Nishinomiya-shi, Hyogo-ken 〒663-8152) である。
しかし、その一方で、この作品は、後に続く数多くのマンガ作品の祖型とも思える物語を構築している様にも思える。
才能ある少年が入学したその野球部は、そのスポーツを行うには、人員や環境が壊滅的な状況下にあり、とてもそのスポーツに勤しめる環境にはない。しかし、その少年の懸命な努力によって、およそ野球とは縁のない同窓生達がそこに集い、団結し、時には、反発しながらも、チームの勝利に向かって奮闘努力する。
マンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』での、南波高校 (Namba High School) を舞台とした物語は以上の様なかたちに抽出する事が出来る。
そして、上の様な物語の構造に準拠した作品は、その後、数多く顕れる事になる。
しかも、上の様な物語の構造は決して、野球部に限定される訳でもない上に、運動部だけの物語ではすまないのだ。文化部の活動を追う幾つかの作品にも、その構造を見出す事が出来るのだ。
恐らく、ここに挙げたマンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』に潜むふたつの特徴は、そのマンガの原作者に起因するモノの様に思えるのだが、その一方で、作画家も巧みにそのふたつの特色を継承している様にも思える。
つまり、水島新司 (Shinji Mizushima) と謂うマンガ家の作品とそこに啓示される世界観の、雛形がマンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』に潜んでいる様にも思えるのだ。
卑近な例を挙げれば、幾人かの登場人物の設定に共通項を発見出来るのだ。
マンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』の、結城翼 (Tsubasa Yuki) はマンガ『ドカベン
(Dokaben)』 [作:水島新司 (Shinji Mizushima) 1976~1979年 週刊少年チャンピオン連載] での殿馬一人 (Kazuto Tonoma) と北満男 (Mitsuo Kita) を思わせる部分がある様にも思えるし、それと同じく大熊牛吉 (Ushikichi Okuma) は岩鬼正美 (Masami Iwaki) を思わせる部分がある。
では、美少女 (Nymph) こと千曲ちあき (Chiaki Chikuma) はどうなのか。
彼女を、もうひとつの水島新司 (Shinji Mizushima) のマンガ『野球狂の詩 (Yakyuukyou No Uta)』 [1975~1977年 週刊少年マガジン連載] のヒロイン、水原勇気 (Yuki MIzuhara) の祖型である、と断定するのはそんなに難しくはない。すこしの大胆さがあれば、誰にとっても不可能事ではない。
だから、ここではそうではない、別の事を綴ってみる。
千曲ちあき (Chiaki Chikuma) は男装の麗人 (Beauty In Male Attire) として、その作品に初めて登場する。だから、その作品の主人公、藤村甲子園 (Koshien Fujimura) は、人材不足の南波高校野球部 (Namba High School Baseball Club) に、"彼"を勧誘する。男と誤ったのだ。"彼"ではない"彼女"は誘われるがままにその野球部に加入するが、それと同時に、"彼"を誘惑した藤村甲子園 (Koshien Fujimura) に恋心を抱く。
例えば、眼鏡をかけて自身の顔貌にコンプレックスを抱く少女がある日、その眼鏡を喪失する事によって、自身の真の美しさに覚醒める、そんな物語がかつて大手を振って歩いていた様に、自身の女性性を否定してあたかも男性であるかの様に行動している少女がある日、己の内在に覚醒し、他の誰よりも女性性を発揮すると謂う物語も決して少なくはない。
千曲ちあき (Chiaki Chikuma) 自身の物語は、その様な物語でもある。
ちなみに、千曲ちあき (Chiaki Chikuma) はその作品に於けるヒロインではない。藤村甲子園 (Koshien Fujimura) には、憧れの女性、朝野あゆみ (Ayumi Asano) と謂う憧れの女性がいる。しかも彼には、決して、手の届かない存在である。
藤村甲子園 (Koshien Fujimura) と謂う主人公を巡り、このふたりの女性の確執が描かれていれば、一体、どんな作品としてマンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』 を眺める事が出来るのだろう。
しかしながらその実際は、千曲ちあき (Chiaki Chikuma) から藤村甲子園 (Koshien Fujimura) への視線、藤村甲子園 (Koshien Fujimura) から朝野あゆみ (Ayumi Asano) への視線、そのどれもが一直線でありながらしかも、一方通行のモノで、他者の介在や介入がその物語で語られる事はないのである。
そこに一途なモノを見出し得る事が出来たとしても、そのかたちは決して、素晴らしくもないし、格好良いモノでもない。第3者の視点に立てば、その眼に映るモノは、現実味の欠落した浅薄な行為でしかない。つまり、どアホウ (Doahou : Super Stupid) なのである。
[では、この作品以降の水島新司 (Shinji Mizushima) の作品群での、各登場人物達の恋愛のありかた乃至その行方は如何なモノなのだろうか。]
もしかしたら、藤村甲子園 (Koshien Fujimura) からの、阪神甲子園球場 (Koshien Stadium) への愛も、阪神タイガース (Hanshin Tigers) への愛も、さらに謂えば野球 (Baseball) への愛すらも、そうなのかもしれない。

この作品に登場する相思相愛 (Mutual Affection) のかたちは、投手藤村甲子園 (Koshien Fujimura) と捕手岩風五郎 (Goro Iwakaze) とのあいだにだけ存在しているのだ。
[上掲画像はこちらから。]
次回は「よ」。
附記:
"上の様な物語の構造"は、マンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』と同時期に発表されたマンガ『アパッチ野球軍 (Apache Yakyuugun)』 [原作:花登筺 (Kobako Hanato) 作画:梅本さちお (Sachio Umemoto) 1970~1972年 週刊少年キング連載] にも見出す事が出来る。
ところで、マンガ『巨人の星
(Kyojin No Hoshi)』 [原作:梶原一騎 (Ikki Kaziwara) 作画:川崎のぼる (Noboru Kawasaki) 1966~1971年 週刊少年マガジン連載] での青雲高校 (Seiun HIgh School) を舞台とした物語を、決して強いとはいえないその野球部に入団した星飛雄馬 (Hyuma Hoshi) が、伴宙太 (Chuta Ban) と謂う逸材を得て、甲子園球場 (Koshien Stadium)での優勝を目指すと謂うかたちに視点を移せば、俄かに"上の様な物語の構造"との共通項を見出せてしまうのである。
自称他称を問わずここでは、彼女以外の美少女 (Nymph) には一切、眼もくれない。
彼女が登場するマンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』は破天荒な物語だ。現実にはありえない事ばかりが大手を振って歩いている。
例えば、作品題名に顕れる阪神甲子園球場 (Koshien Stadium) 自体が、あたかも現実離れをした存在の様にも思える。作品の中での描写をそのまま真に受けて、実際の球場 (Stadium) に向かうと驚く事は必至だ。しかもそれは、作品が発表されてから現在までの半世紀近い時間経過が織り成すモノ、でもないのだ。まわりくどい表現をしてしまったが、作品が描く世界に馴染んでいると、あたかもその球場 (Stadium) が大阪 (Osaka) のどまんなかにある様な印象を抱かされてしまうからだ。勿論、現実にある阪神甲子園球場 (Koshien Stadium) の所在地は〒663-8152 兵庫県 西宮市甲子園町1-82 (1-82 Koshien-cho, Nishinomiya-shi, Hyogo-ken 〒663-8152) である。
しかし、その一方で、この作品は、後に続く数多くのマンガ作品の祖型とも思える物語を構築している様にも思える。
才能ある少年が入学したその野球部は、そのスポーツを行うには、人員や環境が壊滅的な状況下にあり、とてもそのスポーツに勤しめる環境にはない。しかし、その少年の懸命な努力によって、およそ野球とは縁のない同窓生達がそこに集い、団結し、時には、反発しながらも、チームの勝利に向かって奮闘努力する。
マンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』での、南波高校 (Namba High School) を舞台とした物語は以上の様なかたちに抽出する事が出来る。
そして、上の様な物語の構造に準拠した作品は、その後、数多く顕れる事になる。
しかも、上の様な物語の構造は決して、野球部に限定される訳でもない上に、運動部だけの物語ではすまないのだ。文化部の活動を追う幾つかの作品にも、その構造を見出す事が出来るのだ。
恐らく、ここに挙げたマンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』に潜むふたつの特徴は、そのマンガの原作者に起因するモノの様に思えるのだが、その一方で、作画家も巧みにそのふたつの特色を継承している様にも思える。
つまり、水島新司 (Shinji Mizushima) と謂うマンガ家の作品とそこに啓示される世界観の、雛形がマンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』に潜んでいる様にも思えるのだ。
卑近な例を挙げれば、幾人かの登場人物の設定に共通項を発見出来るのだ。
マンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』の、結城翼 (Tsubasa Yuki) はマンガ『ドカベン
では、美少女 (Nymph) こと千曲ちあき (Chiaki Chikuma) はどうなのか。
彼女を、もうひとつの水島新司 (Shinji Mizushima) のマンガ『野球狂の詩 (Yakyuukyou No Uta)』 [1975~1977年 週刊少年マガジン連載] のヒロイン、水原勇気 (Yuki MIzuhara) の祖型である、と断定するのはそんなに難しくはない。すこしの大胆さがあれば、誰にとっても不可能事ではない。
だから、ここではそうではない、別の事を綴ってみる。
千曲ちあき (Chiaki Chikuma) は男装の麗人 (Beauty In Male Attire) として、その作品に初めて登場する。だから、その作品の主人公、藤村甲子園 (Koshien Fujimura) は、人材不足の南波高校野球部 (Namba High School Baseball Club) に、"彼"を勧誘する。男と誤ったのだ。"彼"ではない"彼女"は誘われるがままにその野球部に加入するが、それと同時に、"彼"を誘惑した藤村甲子園 (Koshien Fujimura) に恋心を抱く。
例えば、眼鏡をかけて自身の顔貌にコンプレックスを抱く少女がある日、その眼鏡を喪失する事によって、自身の真の美しさに覚醒める、そんな物語がかつて大手を振って歩いていた様に、自身の女性性を否定してあたかも男性であるかの様に行動している少女がある日、己の内在に覚醒し、他の誰よりも女性性を発揮すると謂う物語も決して少なくはない。
千曲ちあき (Chiaki Chikuma) 自身の物語は、その様な物語でもある。
ちなみに、千曲ちあき (Chiaki Chikuma) はその作品に於けるヒロインではない。藤村甲子園 (Koshien Fujimura) には、憧れの女性、朝野あゆみ (Ayumi Asano) と謂う憧れの女性がいる。しかも彼には、決して、手の届かない存在である。
藤村甲子園 (Koshien Fujimura) と謂う主人公を巡り、このふたりの女性の確執が描かれていれば、一体、どんな作品としてマンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』 を眺める事が出来るのだろう。
しかしながらその実際は、千曲ちあき (Chiaki Chikuma) から藤村甲子園 (Koshien Fujimura) への視線、藤村甲子園 (Koshien Fujimura) から朝野あゆみ (Ayumi Asano) への視線、そのどれもが一直線でありながらしかも、一方通行のモノで、他者の介在や介入がその物語で語られる事はないのである。
そこに一途なモノを見出し得る事が出来たとしても、そのかたちは決して、素晴らしくもないし、格好良いモノでもない。第3者の視点に立てば、その眼に映るモノは、現実味の欠落した浅薄な行為でしかない。つまり、どアホウ (Doahou : Super Stupid) なのである。
[では、この作品以降の水島新司 (Shinji Mizushima) の作品群での、各登場人物達の恋愛のありかた乃至その行方は如何なモノなのだろうか。]
もしかしたら、藤村甲子園 (Koshien Fujimura) からの、阪神甲子園球場 (Koshien Stadium) への愛も、阪神タイガース (Hanshin Tigers) への愛も、さらに謂えば野球 (Baseball) への愛すらも、そうなのかもしれない。

この作品に登場する相思相愛 (Mutual Affection) のかたちは、投手藤村甲子園 (Koshien Fujimura) と捕手岩風五郎 (Goro Iwakaze) とのあいだにだけ存在しているのだ。
[上掲画像はこちらから。]
次回は「よ」。
附記:
"上の様な物語の構造"は、マンガ『男どアホウ甲子園 (Otoko Doahou Koushien)』と同時期に発表されたマンガ『アパッチ野球軍 (Apache Yakyuugun)』 [原作:花登筺 (Kobako Hanato) 作画:梅本さちお (Sachio Umemoto) 1970~1972年 週刊少年キング連載] にも見出す事が出来る。
ところで、マンガ『巨人の星
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