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2018.11.30.11.37

Wish I Had An Angel

のぞみをのべる、ねがいをかける、それはみちたりていない証拠だ。
だからといって、絶望にあるわけではない。
どこかに余裕というものがあるからこそおこる、そんな行為だ。
ある意味でそれは、あまえともよべる。

なすべきことはふたつにひとつだ。
だが、いずれにしても、そこから移動することにはかわりない。

おまえののべるのぞみとやら、おまえのねがうねがいとやらに一歩でもちかずこうとすること、さもなければそのぎゃく、てをこまねいてずるずるずると絶望のどんぞこにまでおちてしまうことだ。

前者にかんしてはよくかんがえればわかること、たなからころげおちるぼたもちをまっていてもいたしかたない、ということだ。ぼたもちがほしければ、ぼたもちがくいたければ、てをのばすしかない、てのとどくところまで移動するしかない。うんよくすれば、おまえのびんぼうゆすりでそいつがおちてくるかもしれない。だが、それだって、おまえがこきざみにゆれた結果のできごとだ。まっていてもしようがない。そこにいてもしょうがない。

後者にかんしては、すこし説明をようするかもしれない。だが、ここではしない。いまいうべきことは、おちる結果でおまえののぞみやねがいを客観視できるかもしれない、ということだ。おかどちがい、みこみちがい、もしかしたら、それはおまえの真ののぞみでも真のねがいでもないかもしれない、そこにおちればきっとわかるだろう。

そこからどうすればいいのかって?

おまえののぞみやねがいのばけのかわがはがれたのならば、簡単なこと。いくべきみちがまちがっていたのならば、べつのものにむかえばいい、ただそれだけだ。

そうではない場合、いまだにそれがおまえののぞみやねがいだったとしてもおなじこと、さっきまでいたそこはけっして適切な場所ではない、それがわかっただけのことだ。目的地がただしくとも経路をまちがえていれば、そこにはたどりつくことはできない。あたらしいみちをさがすしかない。

[the text inspired from the song "Wish I Had An Angel" from the album "Once" by Nightwish]


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