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2018.08.07.08.37

みらいは

に関するまとまった資料は、と謂うと、僕の手元にあるのは1冊きりしかない。『未来派2009 (Il Futurismo 2009)』 [編集:坂本龍一 (Ryuichi Sakamoto)、細川周平 (Shuhei Hosokawa) 1986株式会社本本堂発行] である。この書籍は確か、坂本龍一 (Ryuichi Sakamoto) の当時の最新作『未来派野郎 (Futurista)』 [1986年発表] の副読本として用意されたモノだ。出版元である株式会社本本堂 (Honpondo Co., Ltd.) と謂うのは坂本龍一 (Ryuichi Sakamoto) 主宰の出版社なのである。但し、副読本とは謂え、全150頁にわたる立派なハードカヴァーな書籍で、これ単体でひとつの読み物として立派に通用する。だから、ぼくはその本編? である『未来派野郎 (Futurista)』は購入していないのである。

その書籍は、その編集者であるところの坂本龍一 (Ryuichi Sakamoto) [文と写真] による『未来主義の宣言十一箇条 (Ten Articles For The Futuriist Manifesto)』と細川周平 (Shuhei Hosokawa) による『イタリア未来派 ある未完のプロジェクト (Itarian Futurism : An Unfinished Project)』と、坂本龍一 (Ryuichi Sakamoto) とフェリックス・ガタリ (Felix Guattari) のサンプリング (Sampling) を巡る対談を導入部として本編が始まる。
本編は、大きく『I 速度 La Velocita』『II 雑音 I Rumori』『III 運動 Il Movimento』の3項目に分類されて、それぞれに於いて、個々の小項目が10数乃至20数項目に分類されて編まれている。ひとつの小項目は見開き2頁が充てられ、その2頁に所狭しと写真やら図版やらが押し込まれている。
逆に謂えば、読むところは殆どない。
だから総150頁の書籍だと謂うのに、あっと謂うまに終わってしまう。ゆっくり据えて、さぁ読むぞと構えても、肩透かしを喰らうだけだ。この記事を綴るにあたり、久しぶりに引っ張り出したが、引っ張り出したと同時に、読み終えている。否、正確を期すれば、読んですらいない。眼で追って、それで終わりだ。
こんなぼく自身の些細な体験を綴るだけで、いかにも未来派 (Futurismo) らしい挿話が成立してしまうのだが、それを理解してもらうのには少し、説明を要するだろう。しかもその説明はとても長々とくだくだしたモノに成らざるを得ず、従って、未来派 (Futurismo) とは似ても似つかない言説がまかり通ってしまうのだ [だからここではしない]。

その書籍に掲載されている写真や図版は、必ずしも、未来派 (Futurismo) と名乗る人物達や未来派 (Futurismo) と看做される人物達に関するモノばかりではない。この書物は、彼等の行動の記録でもないし、彼等の作品録でもないのだ。全くもってそれらが無視されている、それらが看過されているとは決して断言は出来ないが、それらは全体からみれば、ごく僅かなモノでしかない。

この書籍から立ち顕れているのは、都市の姿、メデイアの姿、そしてそれらを生成すると同時にそれらに翻弄されるヒトビトの姿である。つまり、20世紀初頭からその前半の時代の変容を、ある特定の視点のみで綴った記録であるのだ。

勿論、未来派 (Futurismo) と謂う運動は、そんな変容を前提として誕生したモノである。そして、それを真正面から真っ正直に、マトモにかつ真面目に、描写してしまおうと謂う表現である。

だから、本来であるならばその書籍は、未来派 (Futurismo) と謂うタームを起点として、その時代のその変容を抽出する筈なのである。
だが、この書籍をみるといつも、未来派 (Futurismo) はその変容の最初の犠牲者の様にしかみえない。そのあおりを真っ向から受けて、物の見事に、その時代に呑み込まれてしまったモノの様にしかみえないのだ。
例えば、その運動の主導者のひとり、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ (Filippo Tommaso Marinetti) がファシズム (Fascismo) へと傾倒していくその様は、その一端の様に思えてしまう。

それを未来派 (Futurismo) の限界と評するのはとても簡単なのだけれども、そんな評価を下す事こそ、未来派 (Futurismo) と運命を共にしてしまう様に思えて仕様がない。

南伸坊 (Shinbo Minami) は、美術評論集『モンガイカンの美術館 (Mongaikan's Museum)』 [ 1983情報センター出版局発行] の、『芸術はヤミクモである (Art is Blindy,)』の中で未来派 (Futurismo) を取り上げている。
そこではジャコモ・バッラ (Giacomo Balla) の『鎖に繋がれた犬のダイナミズム (Dinamismo di un cane al guinzaglio)』 [1912年〜1921年制作] 等と並列して、谷岡ヤスジ (Yasuji Tanioka) の漫画作品の一齣を掲載している。つまり、『鎖に繋がれた犬のダイナミズム (Dinamismo di un cane al guinzaglio)』の中の黒犬の脚の描写と、谷岡ヤスジ (Yasuji Tanioka) の描くバター犬 (Butter Dog) の描写とを、対等の存在として語っているのである。

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ぼくとしては、未来派 (Futurismo) の最も美しい結晶がタマラ・ド・レンピッカ (Tamara de Lempicka) の『自画像 [緑色のブガッティに乗るタマラ] (Tamara im grunen Bugatti)』 [1929年発表] であると謂う様な論説、その登場をほのかに期待しているのではあるが。

次回は「」。

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