2018.07.10.08.35
彼はね、手相をみれるんだよ。
口火は多分、そんなものだった。
大学生時代の事である。ぼくの棲むアパートの同じく同居人Hの部屋に、ふと思い出した小事をかたしに、彼の部屋を訪れた際の話だ。
そのアパートはかつては某大学体育部の寮だった事もあって、住人は皆、大学生である。Hも学部こそ違えど、同じ大学に通っている。
その時、彼の部屋には同じくそのアパートの住人Mがぼくよりも先に遊びに来ていて、Hの他にもうひとり、知らない顔がひとつあった。
Hがぼくに彼を紹介した最初の発言が、この記事の冒頭にあるそれだった。
「彼はね、手相をみれるんだよ」
ぼくが彼の部屋を訪れたちょうどその時、Mの右掌がその人物に前にひらかれてあったのである。
その様子をみたぼくの怪訝な顔を認めて、Hがそう発言したのだ。
Mの右掌をみながら、彼は思うがままに発言をする。その時にどんな言葉が述べられていたのか、流石に憶えていない。だが、憶えてはいないものの、妙に感心した記憶だけは確かにある。
「うん。あたっているね。そのとおりだ」
Mの右掌をみながら語られるMと謂う人物の印象を彼は気侭に述べているだけなのだが、そこでのMと謂う人物像は、確かにぼくとHのよく見知っている人物なのである。
M自身はと謂えば、彼の口が描く人物像に感心したりうんざりしたりしながら、自身の中にある自画像とそれとを比較している。なかば冗談交じりに、つよい口調でそれを否定したりしているが内心は、嫌だけれども、納得せざるをえない、そんな印象をぼくは受ける。
さて、Mが終わればその次はぼくだ。
本来ならば、そこで語られた事を縷々としてここに綴るべきなのだろう。
だけれどもそれを語っても単に、その当時のぼくの自慢話にしかならない様な気がする。
だから、その時、MとHは、ぼくに対して非常に妬ましい感情を抱いたとだけ綴っておく。
その一方でそれを聴いたぼくは、ぴんと張り詰めてばかりいたなにかが、それ以来、急に弛緩してしまったとだけ謂っておこう。
よきにつけ、あしきにつけ、ある事をそのときからやめてしまった事だけは事実なのだ。
そして、それ以降、ぼくを非難がましく語るヒトビトの語り口はその1点に集中している。
だから、おまえはだめなのだ、と。
だけれども、当の本人はそれでもう充分だと思っている事もここには書いておこう。

和田三造 (Wada Sanzo) 『昭和職業絵尽 (The Series Occupations Of Showa Japan in Pictures)』より画『大道占師 (Fortune Teller)』
さて、それから十数年後の事である。
宴席で知り合ったある年長者が、「きみの手相をみてやろう」と謂う。
断る謂れもないし、どうせ酒の入った場だ。無造作に右掌を放り出す。
開口一番、彼はこんな感嘆をあげる。
「きみ、頭脳戦がながいねぇ」
謂われた当人は、眉をひそめながら「そんなはずはない、普通でしょう?」と切り返す。
しかし、自身の発言を裏付ける様に彼は自分のそれを指し示す。確かに、彼の頭脳戦はぼくの半分しかない。その結果、いままでどこにでもある様な掌とばかりに思っていた自身の手相が、凄まじく特殊なモノにも感じられてくる。
それは恐らく、酔っているからなのだろう。
それからさらにぼくの右掌を矯めつ眇めつしていた彼が感嘆の声を挙げる。そしてぼくの顔をしげしげと眺め出す。
本来ならば、そこからぼくの命運が語られる筈だ。彼もきっとそれを望んでのその表情だったのだろう。
だけどぼくがしたのはその真逆だった。
あなたが御存知のとおりの事は既に知っていますよ。
さもそういいたげににっこりと微笑んでみたのだ。
なぜならば、いままでここまでたどってきたことをひっくりかえされたくはなかったから。
もし仮にそうではなくて、いまのぼくをそのまま追認する様な事柄だとしたら、いまさらそれを指摘されても、彼の得心が裏付けられるだけなのだから。そこにぼくが得るモノはなんにもないのだ。
ぼくの満面の笑みをみて彼自身がどううけとったのかは解らない。
すくなくとも、そこで自身の解読を語る事の無意味さは理解したのに違いない。
もしかしたらその日以降、彼は彼がみたぼくと謂う人物像をことあるごとに、論評して歩くのかもしれない。
だとしても、それがぼくのなんになるのだろう。そうおもってそれっきりだ。その後、何度か彼には出逢うのだが、それ以降、話題にのぼった事もない。
次回は「み」。
口火は多分、そんなものだった。
大学生時代の事である。ぼくの棲むアパートの同じく同居人Hの部屋に、ふと思い出した小事をかたしに、彼の部屋を訪れた際の話だ。
そのアパートはかつては某大学体育部の寮だった事もあって、住人は皆、大学生である。Hも学部こそ違えど、同じ大学に通っている。
その時、彼の部屋には同じくそのアパートの住人Mがぼくよりも先に遊びに来ていて、Hの他にもうひとり、知らない顔がひとつあった。
Hがぼくに彼を紹介した最初の発言が、この記事の冒頭にあるそれだった。
「彼はね、手相をみれるんだよ」
ぼくが彼の部屋を訪れたちょうどその時、Mの右掌がその人物に前にひらかれてあったのである。
その様子をみたぼくの怪訝な顔を認めて、Hがそう発言したのだ。
Mの右掌をみながら、彼は思うがままに発言をする。その時にどんな言葉が述べられていたのか、流石に憶えていない。だが、憶えてはいないものの、妙に感心した記憶だけは確かにある。
「うん。あたっているね。そのとおりだ」
Mの右掌をみながら語られるMと謂う人物の印象を彼は気侭に述べているだけなのだが、そこでのMと謂う人物像は、確かにぼくとHのよく見知っている人物なのである。
M自身はと謂えば、彼の口が描く人物像に感心したりうんざりしたりしながら、自身の中にある自画像とそれとを比較している。なかば冗談交じりに、つよい口調でそれを否定したりしているが内心は、嫌だけれども、納得せざるをえない、そんな印象をぼくは受ける。
さて、Mが終わればその次はぼくだ。
本来ならば、そこで語られた事を縷々としてここに綴るべきなのだろう。
だけれどもそれを語っても単に、その当時のぼくの自慢話にしかならない様な気がする。
だから、その時、MとHは、ぼくに対して非常に妬ましい感情を抱いたとだけ綴っておく。
その一方でそれを聴いたぼくは、ぴんと張り詰めてばかりいたなにかが、それ以来、急に弛緩してしまったとだけ謂っておこう。
よきにつけ、あしきにつけ、ある事をそのときからやめてしまった事だけは事実なのだ。
そして、それ以降、ぼくを非難がましく語るヒトビトの語り口はその1点に集中している。
だから、おまえはだめなのだ、と。
だけれども、当の本人はそれでもう充分だと思っている事もここには書いておこう。

和田三造 (Wada Sanzo) 『昭和職業絵尽 (The Series Occupations Of Showa Japan in Pictures)』より画『大道占師 (Fortune Teller)』
さて、それから十数年後の事である。
宴席で知り合ったある年長者が、「きみの手相をみてやろう」と謂う。
断る謂れもないし、どうせ酒の入った場だ。無造作に右掌を放り出す。
開口一番、彼はこんな感嘆をあげる。
「きみ、頭脳戦がながいねぇ」
謂われた当人は、眉をひそめながら「そんなはずはない、普通でしょう?」と切り返す。
しかし、自身の発言を裏付ける様に彼は自分のそれを指し示す。確かに、彼の頭脳戦はぼくの半分しかない。その結果、いままでどこにでもある様な掌とばかりに思っていた自身の手相が、凄まじく特殊なモノにも感じられてくる。
それは恐らく、酔っているからなのだろう。
それからさらにぼくの右掌を矯めつ眇めつしていた彼が感嘆の声を挙げる。そしてぼくの顔をしげしげと眺め出す。
本来ならば、そこからぼくの命運が語られる筈だ。彼もきっとそれを望んでのその表情だったのだろう。
だけどぼくがしたのはその真逆だった。
あなたが御存知のとおりの事は既に知っていますよ。
さもそういいたげににっこりと微笑んでみたのだ。
なぜならば、いままでここまでたどってきたことをひっくりかえされたくはなかったから。
もし仮にそうではなくて、いまのぼくをそのまま追認する様な事柄だとしたら、いまさらそれを指摘されても、彼の得心が裏付けられるだけなのだから。そこにぼくが得るモノはなんにもないのだ。
ぼくの満面の笑みをみて彼自身がどううけとったのかは解らない。
すくなくとも、そこで自身の解読を語る事の無意味さは理解したのに違いない。
もしかしたらその日以降、彼は彼がみたぼくと謂う人物像をことあるごとに、論評して歩くのかもしれない。
だとしても、それがぼくのなんになるのだろう。そうおもってそれっきりだ。その後、何度か彼には出逢うのだが、それ以降、話題にのぼった事もない。
次回は「み」。
- 関連記事