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2018.06.26.08.50

いぬじに

と、謂う語句を憶い出して、ここからこのブログこの連載の為の記事ネタを引っ張り出せるかなぁ? とふと、想う。
試みに犬死 (Dying In Vain) を主題とする創作物は一体、どんなモノがあるだろう? 思いつく侭に書き連ねようとしても、なかなか相応しい実態がここには浮かんでこない。
しからば、と思って検索してみれば出てくるのは、小説『犬死せしもの (Inujini Seshi Mono)』 [作:西村望 (Bo Nishimura) 1982年発表] とその映画化作品『犬死せしもの (Inujini Seshi Mono)』 [井筒和幸 (Kazuyuki Izutsu) 監督作品 1986年制作] ばかりがずらずらとそこに居並ぶ。
確かに、犬死 (Dying In Vain) と謂う語句は表題にはある。
ぼくだってすぐに思いついた作品だ。
しかしながら、小説も映画もぼくは未体験なのだ。

犬死 (Dying In Vain) と謂う語句で思い出すべきは、小説『審判 (Der Process)』 [作:フランツ・カフカ (Franz Kafka) 19141915年執筆] なのかもしれない。その映画化作品『審判 (Le Proces)』 [オーソン・ウェルズ (Orson Welles) 監督作品 1963年制作] でも良いだろう。
物語の結語として次の語句が主人公ヨーゼフ・K (Josef K) の言葉として登場するのだ。
「犬のようだ! (Wie ein Hund!)」
ヨーゼフ・K (Josef K) はこの語句だけを遺して死んでしまう。
彼は、自身のなんの憶えもない罪を問われ、自身に全くもって理解不能なかたちで"審判 (Der Process)"が繰り広げられ、自身には納得がいかないかたちで刑が確定されて、それから逃れる術を一切奪われたそのとき、理不尽にもその刑が執行される。
その渦中にあるヨーゼフ・K (Josef K) の内心にある様々な思いが凝縮されたかたちで叫ばれるのがその言葉なのだ。
「犬のようだ! (Wie ein Hund!)」

まさに犬死 (Dying In Vain) ではある。
でも、それ以上のモノでもそれ以下のモノでもない。
と、謂うのはヨーゼフ・K (Josef K) の絶句は単純に犬死 (Dying In Vain) と謂う熟語を解読しただけのモノとして、読めてしまうからだ。
はたして、この小説が書かれた言語である獨逸語 (Deutsch Sprache) では、"犬 (Hund)"と"死 (Tod)"を結びつける事によって成立する語句 / 意味は存在するのだろうか。
もしも存在するのであれば、その小説の日本語訳を読んだぼくと同じ様な感慨に止まるだけなのかもしれないが、もし仮に不在であるのならば、その言語の読者達の想像力 = 創造力を、どれ程に刺激するのか。それとも、しないのか。ちょっと興味がある。

ところで、ヨーゼフ・K (Josef K) の死はヨーゼフ・K (Josef K) 自身にとってはまさに犬死 (Dying In Vain)、それ以外のナニモノでもないモノだとしても、果たして、その認識はあまねく普遍的なモノとして一般化され得るのだろうか。
ヨーゼフ・K (Josef K) を訴追したモノ、ヨーゼフ・K (Josef K) の審判になんらかのかたちで寄与したモノ、その寄与によって彼の量刑を確定したモノ、そしてヨーゼフ・K (Josef K) に刑罰を執行したモノ、彼等にとってヨーゼフ・K (Josef K) の死はいかほどのモノにみえるのだろうか。
それが如何に不合理であり不条理であったとしても、彼等にとってはそれはなされるべき行為がなされたその結果でしかない。彼等は決してヨーゼフ・K (Josef K) の死を犬死 (Dying In Vain) とは看做さないだろう。
喩えるならばそれは成されるべき事が成されたその結果、すなわち正義の履行の様であるかの如くであろう。

と、謂う事は、犬死 (Dying In Vain) とは極めて主観的なモノなのかもしれない。

例えば幕末 (Bakumatsu)、なかでも新撰組 (Shinsengumi) の歴史を追っていくと一見、犬死 (Dying In Vain) としか思えない様な死が、延々とそこでは語られる事になる。まるでヨーゼフ・K (Josef K) の様な死、まるでヨーゼフ・K (Josef K) の様な屍体が累々なのだ。
そんな悲劇 (Tragedy) を換骨奪胎し喜劇 (Comedy) [ここで謂う喜劇 (Comedy) とはオノレ・ド・バルザック (Honore de Balzac) の謂う人間喜劇 (La Comedie humaine) のそれに近い] に転化しえた作品は、少なくともふたつある。
ひとつはマンガ『新選組 (Shinsengumi)』 [作:黒鉄ヒロシ (Hiroshi Kurogane) 1996年発表]。
ひとつは大河ドラマ (Taiga drama)『新選組! (Shinsengumi!)』 [脚本:三谷幸喜 (Koki Mitani) 2004NHK放映]。
前者をこの文脈のなかで語るのは難しいが、少なくとも後者は犬死 (Dying In Vain) と看做されるべき幾つもの死にひとつひとつ、死ぬべき理由をみつけていく行為がそこにある。つまり、それらの死のひとつひとつに大義があり、その大義に納得したうえで、死んでいくのである。彼等自身の位置にたって発言すれば、その死は決して犬死 (Dying In Vain) ではないのである。

images
個人的にまさにこれが犬死 (Dying In Vain) であろうと指摘出来るモノはひとつある。
TV番組『太陽にほえろ! (Taiyo ni Hoero! : Bark At The Sun)』 [19721986日本テレビ放映] でのマカロニ (Macaroni) こと早見淳 (Jun Hayami) [演:萩原健一 (Kenichi Hagiwara)] の死である。その挿話の放送回の題名こそ『13日金曜日マカロニ死す (On Friday The 13th. Macaroni Dies)』[脚本:小川英 監督:竹林進 1973年放映] と仰々しいモノではあるが、実際に番組をみると本編の主題である事件解決の後、その事件とはなんの関係もないかたちで、彼は死ぬのだ。業務上の死ではないから、殉職 (Line Of Duty Death) ですらない。その物語のなかでは、ひっそりと死んでその物語から彼は永遠に姿を消すのだ。
[上掲画像はこちらから。]

但し、番組制作の視点からみれば、マカロニ (Macaroni) こと早見淳 (Jun Hayami) の死は、新米刑事ジーパン (G-pan) こと柴田純 (Jun Shibata) [演:松田優作 (Yusaku Matsuda)] の登場を促すと同時に、彼そして彼に続く新米刑事の壮絶な殉職 (Line Of Duty Death) によって、番組の人気の活性化を謀る事が出来るのであるから、彼の死をもって犬死 (Dying In Vain) と呼ぶにはあたらないだろう。

次回は「」。

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