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2018.05.01.11.07

てっぽうでんらい

1543年、種子島 (Tanegashima) に漂着したポルトガル (Portugal) 船籍の船によって、2丁の火縄銃 (Matchlock) が我が国にもたらされた。

と、謂う様な叙述は、ぼくの記憶が正しければ、小学校 (Primary School) で習う歴史の教科書 (History Textbook) にもあった筈だ。
尤も、それ以前から、火縄銃 (Matchlock) を別名種子島 (Tanegashima) と呼称するのは、これまで観てきた幾つものの時代劇 (Jidaigeki) を通じて知ってはいたが。

ぼく自身が鉄砲伝来 (Guns Introduced In Tanegashima) を知ったのは、小学校 (Primary School) で習うよりも、もう少し早い。
当時のぼくが棲む市営団地 (Council House) の同じ棟に、伯父夫婦と彼等の息子達が暮らしていて、そこにある小学生 (Primary School Student) 向けの歴史物語にあった。全10巻の学研 (Gakken) 発行の書籍だ [因みに現時点ではその書籍は流通していな模様である]。その10冊の中から、興味の赴くままに、時系列を度外視して読み漁っていたのである。
その中の1冊では、戦国時代 (Sengoku Period) の群雄割拠 (Rivalry Between Warlords) が描かれており、名だたる幾人もの戦国大名 (Sengoku Daimyo) の栄枯盛衰 (Prosperity And Declinerise And Fallups And Downs) の最終章の様な位置付けで、その物語が綴られていたのであった。
尚、織田信長 (Oda Nobunaga) の登場はその次の巻であって、戦国時代 (Sengoku Period) を扱ったその巻では今川義元 (Imagawa Yoshimoto) の治世が紹介されていた。

単純に謂ってしまえば、その書籍では、そこで紹介されている戦国大名 (Sengoku Daimyo) 達と鉄砲伝来 (Guns Introduced In Tanegashima) が対等の扱いなのである。文章の量も、章立てもほぼ均等である。
しかも、後北条氏 (Later Hojo Clan) に関して謂えば、そこで記述されているのは、北条早雲 (Hojo Soun)、北条氏綱 (Hojo Ujitsuna)、北条氏康 (Hojo Ujiyasu) の3世代の物語なのである。つまり後北条氏 (Later Hojo Clan) 3代の年代記と鉄砲伝来 (Guns Introduced In Tanegashima) と謂う1事件が同じ比重をもって、そこでは語られているのである。

そこがなんとなく腑に落ちない。
そんなにも大事件なのだろうか、鉄砲伝来 (Guns Introduced In Tanegashima) とは。

勿論、謂いたい事は解っている。
先ず、その歴史書では戦国時代 (Sengoku Period)と謂う世にあって戦国大名 (Sengoku Daimyo) の行動は、当時の政治の大きな動きだ。そして、それを裏付ける、経済乃至技術のトピックとして、それはおおきな意味をもつのであろう。

いや、そんな小学学生 (Primary School Student) 向けの歴史物語に限った話ではない。

長篠の戦い (Battle Of Nagashino) [1575年] に象徴される様に、火縄銃 (Matchlock) と謂う武器の存在が画期的なモノなのであるし、織田信長 (Oda Nobunaga) と謂う武将の行動と戦歴には、その存在がおおきな比重を占めている様にも思える。長篠の戦い (Battle Of Nagashino) の前段にあたる、彼の、 (Sakai) の堺衆 (Sakai-Syu) との争闘はその象徴的なモノである。

しかも、もう少し視野を大きく拡げてみれば、宗教改革 (Reformation) と大航海時代 (Age Of Discovery) と謂う裏付けがあって初めて成立するモノでもあるし、三大発明 (Three Inventions) と呼ばれる火薬 (Gunpowder)、羅針盤 (Compass)、活版印刷術 (Letterpress Printing) の内の、少なくとも前2者の成果と呼ぶ事も謂えるのだ。

と、顕彰するのはいくらでも出来るのだけれども、それと同時に、こんな事も謂えるのである。

長篠の戦い (Battle Of Nagashino) の勝敗は、決して、火縄銃 (Matchlock) と謂う新兵器ひとつだけに起因するモノでもないだろう、と。
例えば、元寇 (Mongol Invasions Of Japan) [12741281年] で遭遇した集団戦法 (Group Tactics) の脅威も、応仁の乱 (Onin War) [14671477年] 以降顕著になる足軽 (Ashigaru) の存在も、少なからぬ影響はあったのではないだろうか、と。
火縄銃 (Matchlock) 云々と謂う存在とは別の理由で、その合戦での武田勝頼 (Takeda Katsuyori) の敗北は、避けられようもなかったモノなのではないだろうか。
例え、その合戦に火縄銃 (Matchlock) が存在しなくとも、それに比肩しうる戦法に依拠さえすれば、織田信長 (Oda Nobunaga) の勝利は確実なモノではなかっただろうか。
そんな感慨をぼくは抱いているのである。

ん〜、違うな。

ぼくが抱いている違和感と謂うのは、そんな論理的に説明づけようとするモノではなくて、もっと感覚的なモノなのだ。
つまり、火縄銃 (Matchlock) って武器でしょ? と謂う事なのだ。そんなモノを殊更に重要視すべきなのだろうか? って事なのだ [よもや、戦前の軍国主義的な教育 (Education In The Empire Of Japan) をそこに引摺っている訳でもないのだろうが]。
例え、人類の技術や文化の進歩が戦争 (War) と謂うモノによって、多大な進捗が謀られてきた、それを前提としても、なのである。

極端な表現をしてしまえば、我が国の近現代史を学ぶにあたって、マンハッタン計画 (Manhattan Project) [19421946年] の去就がおおきな比重をもっている、と断言されている様な印象なのだ。しかも、それは実際にそうなのだから始末が悪い。
その感覚と似た様なモノなのだ。

だが、それよりも鉄砲伝来 (Guns Introduced In Tanegashima) に関してもっと重視すべき事は幾つもある様な気がするのだ。
例えば、その製造を学ぶ過程において、螺子 (Screw) と謂う技術が必須だった事や、しかしながらその技術を見出した後においても、起用されるのは従来通りの楔 (Wedge) であって、我が国にはその技術が定着しなかった、と謂う事だ。
ちなみに、先に紹介した歴史物語の中に於いても、螺子 (Screw) の"発見"は大きな比重をもって描写されていた様に憶えている。

と、謂うわけで、この記事に相応しい掲載画像は、歌舞伎 (Kabuki) の『仮名手本忠臣蔵 (Kanadehon Chushingura)』 [作:二代目竹田出雲 (Takeda Izumo II)、三好松洛 (Miyoshi Shoraku)、並木千柳 (Namiki Senryu I) 1748年初演] の『五段目・恩愛の二つ玉 [鉄砲渡しの段] (Act V: Teppô Watashi, Futatsudama [The Musket Scene, Two Bullets])』に登場する早野勘平重氏 (Hayano Kanpei) が携える火縄銃 (Matchlock) が相応しいと思う。
何故、彼がそれを持ち得たのか。何故、その挿話の中で、それがその物語に必須の小道具として成立しているのか。つまり、当時の歌舞伎 (Kabuki) の観客達にとって、それはどんな認識の下にあったのか、そんな疑問を孕んでいる様に思えるのである。

images
三代目歌川豊国 (Utagawa Toyokuni III) 画『役者見立東海道五十三次の内 坂下土山間 猪の鼻 勘平 (The Character Kanpei At Inohana, Between Sakanoshita Tsuchiyama Kanpei)』

次回は「」。

附記:
鉄炮記 (Teppo-ki)』 [著:南浦文之 (Bunshi Nanpo) 1606年発表] と謂う文献の存在と、そこに綴られている記述も決して否定できないとは思う。
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