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2018.04.24.08.40

ふっかつのひはなぎさにて

映画『復活の日 (Virus)』 [深作欣二 (Kinji Fukasaku) 監督作品 1980年制作] は映画『渚にて (On The Beach)』 [スタンリー・クレイマー (Stanley Kramer) 監督作品 1959年制作] とよく似ている。
そして、類似点に気がつけば気がつく程、ふたつの映画にある差異を幾つも発見出来る。そして、それがまた、ふたつの映画の共通性をより明白に語っている様に思えてしまうのだ。

最初に断っておかなければならない事がある。このふたつの映画は、それぞれ同名の小説を原作としている。小説『復活の日 (Virus : The Day Of Resurrection)』 [作:小松左京 (Sakyo Komatsu) 1964年発表] と、『渚にて (On The Beach)』 [作:ネビル・シュート (Nevil Shute Norway) 1957年発表] である。
残念な事に、ぼくはいずれの小説も未読であるのだ。従って、ここで綴るのはあくまでもふたつの映画に関する事であり、いずれの原作にも遡って考察した結果ではないのである。

ふたつの映画は、滅亡直前の人類を描いた作品であり、そのいずれも、彼等を襲う危機的状況から避難して、限られたごく狭い地域にだけ棲息している。しかも、遺された僅かな人々ですら、生命の危機に脅かされる。正に、人類は絶滅の危機にあるのだ。

その中で、ふたつの映画のいずれにも潜水艦 (Submarine) が重要な役割を演じている。この潜水艦 (Submarine) が、それぞれの作品内で演ずる役割は多岐に渡る。ひとつは、人類が危機的状況にある今を、如実にもたらした遠因として、である。つまり、兵器 (Arm) としてのそれである。
と、同時に、遺された数少ない人類にとっては、兵器 (Arm) とは真逆の役割をも演じる事になる。つまり、救済への一縷の望みを託した方舟 (Ark) としてのそれだ [また一方で、その望みが絶たれるや否や、絶望の果てにある棺 (Grave) としても機能する]。

人類の生息可能な場所は、今や、南半球 (Southern Hemisphere) のごく僅かな場所しかない。しかし、ふたつの映画のそれぞれに於いて、北半球 (Northern Hemisphere) へと向かわざるを得なくなる。物語の大半は、その危険な旅路を語る事になる。

そして、その時点からふたつの映画の物語は、おおきく舵を切る事になる。
これまでは大局的な見地から語られた、人類絶滅の物語が次第に、1組の男女へと焦点が絞り込まれるのだ。つまり、恋愛劇へと収斂していくのだ。
[「収斂」ではなくて矮小化ではないだろうか。そんな疑義を懐かしめる懸念がない訳ではないが、それを検証するには、恐らくふたつの小説を読破し、その上でそれぞれの映画とを比較する必要があるだろう。]

映画『渚にて (On The Beach)』 では、ドワイト・ライオネル・タワーズ中佐 (Cmdr. Dwight Lionel Towers) [演:グレゴリー・ペック (Gregory Peck)] とモイラ・デヴィッドソン (Moira Davidson) [演:エヴァ・ガードナー (Ava Gardner)]、このふたりの別離が語られ、映画『復活の日 (Virus)』では、吉住周三 (Dr. Shuzo Yoshizumi) [演:草刈正雄 (Masao Kusakari)] とマリト (Marit) [演:オリヴィア・ハッセー (Olivia Hussey)]、このふたりの再会が語られる。
そしてそれぞれのその場面の描写が、映画を観るモノに最も印象に遺るシーンとなる。
だから、観劇後、誰もそれぞれの映画が、人類滅亡を主題とした作品であるとは先ず、思わない。
別離と再会の映画、そしてその印象の強きが故に、1組の男女の邂逅の物語と謂う印象だけが遺される。

ここまでは殆ど異論はない、と思う。

ぼくが考えたいのは、つぎの様な事柄である。

映画『渚にて (On The Beach)』には、ドワイト・ライオネル・タワーズ中佐 (Cmdr. Dwight Lionel Towers) とモイラ・デヴィッドソン (Moira Davidson) と謂う1組と対比させられるかの様に、もう1組の男女が登場する。ピーター・ホームズ少佐 (Lt. Peter Holmes) [演:アンソニー・パーキンス (Anthony Perkins)] とその妻メアリー・ホームズ (Mary Holmes) [演:ドナ・アンダーソン (Donna Anderson)] である。
それぞれの2組、つまりこの4人はいずれ死ぬ宿命にある。そして、前2者は、先に綴られた別離がある様に、別々の場所ではなればなれになって死ななければならない。しかし、後2者は、ふたりが同時におなじ場所で死ぬ。心中だ。
そして、遺された数少ない生き遺りは、いずれにしても、2組の男女のいずれかを選ぶ事になる。その映画に於ける殆ど総ての登場人物は、別れ離れになって死ぬのか、手を携えて死ぬのか、2者択一の選択肢しか与えられていない、その象徴として、この2組が描写されているのだ。

映画『渚にて (On The Beach)』 と、映画『復活の日 (Virus)』のおおきな違いはそこにある。前者は人類総てが悉く死ぬのだ。しかし、後者は題名にある様に、僅かばかりの希望をもって物語が終わる。

と、なると映画『渚にて (On The Beach)』 で対照的な死を迎える、ドワイト・ライオネル・タワーズ中佐 (Cmdr. Dwight Lionel Towers) とモイラ・デヴィッドソン (Moira Davidson) と、ピーター・ホームズ少佐 (Lt. Peter Holmes) とその妻メアリー・ホームズ (Mary Holmes) の2組に相応する様に、映画『復活の日 (Virus)』にも、対照的に描かれなければならない2組の恋愛関係が存在してもいい筈なのである。

1組は、その映画の象徴とも謂える再会を果たすべく吉住周三 (Dr. Shuzo Yoshizumi) とマリト (Marit) の組合せだとでしても、それではもう1組は誰と誰なのだろうか。
壊滅してしまった東京に遺してきた妻子を慮って失踪してしまった辰野保男 (Yasuo Tatsuno) [演:渡瀬恒彦 (Tsunehiko Watase)] とその妻、辰野好子 (Yoshiko Tatsuno) [演:丘みつ子 (Mitsuko Oka)] を、その地位に箝げるべきなのであろうか。
それとも、マリト (Marit) と出逢う以前の、吉住周三 (Dr. Shuzo Yoshizumi) とその恋人浅見則子 (Noriko Asami) [演:多岐川裕美 (Yumi Takigawa)] [これも東京で死ぬ事になる] を位置付けるべきなのだろうか。

その認定の差異を認んずる事が、きっと映画『復活の日 (Virus)』の主題を語る事になり、それはそのまま、映画『渚にて (On The Beach)』とにあるおおきな断絶を認識する事になるのではないだろうか。

images
上掲画像は映画『地球の危機 (Voyage To The Bottom Of The Sea)』 [アーウィン・アレン (Irwin Allen) 監督作品 1961年制作] のポスター
この連載はひとつの記事に掲載画像は1点のみと謂うルールが何故か横溢しているので、ふたつの映画作品ではないモノを選んでみた。
人類絶滅の危機を救う潜水艦 (Submarine)、シービュー号 (USOS Seaview) の活躍がこの作品の主題だ。
ちなみにその映画の成功を受けて、後にテレビ番組『原子力潜水艦シービュー号 (Voyage To The Bottom Of The Sea)』 [19641965NET / 現テレビ朝日系列放映] が制作された。

次回は「」。
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