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2018.02.13.11.57

りっぷすてぃっく

とりあげるのは、1976年公開の映画『リップスティック (Lipstick)』 [ラモント・ジョンソン (Lamont Johnson) 監督作品] である。
ではあるが、恐らく作品論とか映画評と謂うモノにはならないと思う。
その映画の周縁について綴るのだ。

images
実際にその映画を観たのは20世紀末、退屈でしかも不眠症だった時、深夜の映画番組で観たのである。
だからと謂って、その際に初めてその作品の存在を知ったのではない。
その映画が劇場公開された際の事柄は、その時もよく憶えていたからである [上掲画像はこちらから]。

ある日曜日の朝、いつもの様に地元紙 (Local Newspaper) の日曜版 (Sunday Edition) をみひらくと、その映画の紹介記事がおおきく載っていた。
ライフル銃 (Rifle) を構えた、真紅の衣装を纏った女性の写真と共に掲載された記事は、次の様なモノだった。

映画音楽をミッシェル・ポルナレフ (Michel Polnareff) が担当している事。
ヒロインであるクリス (Christine McCormick) を演じたのは、文豪アーネスト・ヘミングウェイ (Ernest Hemingway) の実の孫、マーゴ・ヘミングウェイ (Margaux Hemingway) である事。
そして作品の主題は、強姦 (Rape) とその罪を問う事 [粗筋に関してはこちらを参照の事]。

主演女優の名前が、ただの駄洒落の様な様相を呈しているところから始まって、映画紹介の文章としては、如何にも解りやすい、そして印象に遺る様な要素ばかりなのだ。恐らくその記事を担当した記者にとっては楽な作業であったのに違いない。

ミッシェル・ポルナレフ (Michel Polnareff) はその1年前、当時ぼくが棲んでいた街でも公演を行った筈だ。今では存在しない、丹下健三 (Kenzo Tange) 設計の体育館兼興行施設 (Multi-purpose Indoor Arena) でそのコンサートは行われた。
それがなにを意味するのかと謂うと、洋楽の専門番組以外でも、彼の名を聴く機会は当時、多かったと謂う事だ。勿論、彼が幾つものテレビ番組に出演する訳ではない。単純に、公演の告知がテレビやラジオで煩雑に流れ、彼の名と彼の容姿、そして彼の音楽の断片に接する機会が多かったと謂うだけの事ではある。
ただ、それだけの事ではあるが、少なくとも当時のぼく達にとっては、後に熱中する事になる洋楽アーティスト達よりも遥かに近しい場所に彼はいたのである。
その彼が、全米進出を目論んでいると報じられたのも、やっぱりその1年程前。その企てのひとつの成果が、この映画だったのかもしれない。

ところで、ぼくが読んだ日曜版 (Sunday Edition) に掲載された写真は先に綴った様に、主演女優であるマーゴ・ヘミングウェイ (Margaux Hemingway) がライフル銃 (Rifle) を、真っ赤な出で立ちで構えている構図である。
その映画のクライマックスのワン・シーンだ。
今ではありきたりの構図、闘うヒロイン (Battle Hiroine) と謂う惹句も使い古されて古ぼけた印象しか与えられないが、当時としては映画の全容を伝えるのに相応しい、画期的なヴィジョンだったのかもしれない。
映画の主題が主題であるだけに、それは尚更のモノなのだろう。
と、同時に、家族の誰もが眼にし得る地元紙 (Local Newspaper) の日曜版 (Sunday Edition) ではこの写真がある意味で限界だったのかもしれない。

と、謂うのは、『スクリーン (Screen)』 [1947年創刊] や『ロードショー (Roadshow)』 [19722008年] と謂った洋画専門誌では、それとは全然に異なるヴィジュアルが掲載されていたのである。
それは、顔の半分を毒々しくも真紅に塗られた主演女優のあられもない表情だ。きっとそれがその映画の題名の由来なのだろう。彼女の顔を真紅に染めているのは、リップスティック (Lipstick) のそれなのである。
思春期 (Puberty) とか第2次性徴 (Secondary Sexual Characteristic) とか、そんな時季の真っ只中にいたぼくにとっては、汚すとか犯すとか陵辱するとか、そんな語句の意味するモノをとても解りやすく描写してくれた様な映像なのだ。
本来ならば、女性をより美しく素敵にみせる為の用具がそこでは彼女を、より醜くあさましい存在へと転化させているのである。
現在のぼくの視点から謂えば、安易な表現とでも断罪したくなるモノではあるのだが、当時のぼくにとってはとっても画期的なモノにみえたのである。

さて、映画音楽と主演女優に関して綴ってしまったから、本来ならば映画の主題について、ぼくは次に綴らねばならない。
しかし、ここでぼくはふと口ごもってしまうのである。
と、謂うのは、この映画の公開された数年後にぼくは上京し、大学 (University)刑法 (Criminal Law) の概論を学ぶ事になるからだ。
刑法典(Penal Code Of Japan) に準拠して謂えば、正当防衛 (Right Of Self-defense) と緊急避難 (Necessity) と強姦罪 (Rape And Sexual Assault Laws) を先ずは、念頭に置かねばならないだろう。いや、それ以前に、報復 (Retaliation) と謂う私刑 (Lynching) を許してしまってもいいのだろうかと謂う、もうちょっとおおきな問題にもぶちあたる。

映画の主題と謂う視点に立って謂えば、この作品が発表された後も、いくつもいくつも同趣向の作品が発表された様な印象はある。だからと謂ってこの作品が、そんな主題の嚆矢なのかと問えば、実際にはどうなのだろうか。
事件の解決手段が復讐 (Revenge) にあると謂う点だけを取り上げれば、時代劇 (Jidaigeki) の『必殺シリーズ (Hissatsu Sereis)』 [1972年より 朝日放送制作] のそれと大差はない。
異なる点があるとしたら、その復讐 (Revenge) を実行するのが第三者ではなくて当事者自らである、と謂う点だ。

それとも、その復讐劇 (Revenge Tragedy) さえも法廷 (Court) と謂う場所で争うと謂う点にこそ、注視すべきなのか。
つまりそれは先に綴ったもうちょっとおきな問題について考察する事なのである。

次回は「」。
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