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2018.01.23.09.35

あさって

気になるのはその日の事ばかりだ。
そして、苦になるのもその日の事ばかりなのだ。

images
上掲画像はマンガ『あさってDANCE (Dance Till Tomorrow)』 [作:山本直樹 (Naoki Yamamoto) 1989ビッグコミックスピリッツ連載] の扉絵のひとつ。
以下に綴られる本文とは一切に関係ない。
語呂合わせの素振りをしてみた、ただのサービス・カットである。
だからこの画像によってここに呼ばれてしまったヒトはこれ以降、読む必要もない。

今日はもうどうしようもない。
今、めのまえで現実に起きている事に対処するしかない。
それはあらかじめ既に決定済みの事ばかりであって、それを実行するのみである。
もしかしてそれは今のぼくにとっては不測の事態なのかもしれない。偶然が偶然を呼んで起こってしまった事故や事件、さもなければ思わぬ過失や過誤、もしかしなくてもそうなのだろう。だが、それは決して避けられぬ宿命の様なものなのかどうか。それは今、考える必要は決してない。考えるいとまなど決してない。なにはともあれ、ここでいま起きている事に対して最善、さもなければ次善の決定を下し即座に行動をするしかない。

それでは、明日はどうなのか。
明日に関しては殆ど決定済みである。それに向けて必要な手配、準備をすればいい。いや、違う。準備しか出来ない。当日に起こりうべき事柄をありとあらゆる限り、最大限の可能性を考慮する。そして、それと同時に、最小限の必須のモノに絞り込むのだ。[例え明日、大地震が起こりうるかもしれないからといって、最初のデートに防災用具一式は持参しないだろう? 精々が行く予定の先々の避難経路を確認するくらいだ。]
とにかく、時間と場所、参加人数、手配すべき諸々、連絡すべき諸々を確認し、それを徹底する事だけに精力が注ぎ込まれる。

だから、明後日なのだ。
不確定事項が多すぎる。
決定済みなのは、最小限度のものでしかなく、なにもかもが不確かで不適格だ。それ故に、現実性すら乏しい。延期や中止の可能性も決してちいさくはない。そしてその逆、延期も中止もまだぼく次第、ぼくの裁量や都合で可能ですらもある。
進める事も引き下がる事も、どちらも可能な最後のその時、それが明後日なのである。

と、ぼく自身のなかにあるものをそのまま列挙してみたが、解ってもらえるだろうか。
勿論、今日、明日、明後日と謂う日時を指し示す語句は比喩として読み替えてもらっても良い。
実際に、おおきな期間を必要とするモノや多くの労力乃至は財力が必要とする事物に関しては、今日、明日、明後日と謂う時間は後方へとスライドする。
だけれども、それがなんであれ、今日、明日、明後日と謂う時間とその際に起こり得る事物 [それは内心の蠢きの場合もある] は、少なくともぼくの場合、必ず訪れるのだ。

尤も、それはぼくが性格的に一夜漬けが出来ない性分だからなのかもしれない。
暗記は苦手で、その上に暗記の為の暗記 [例えば語呂合わせの類さ] は大嫌いときている。
学生時代、試験当日のその直前に、クラスのみんなが必死になってノートのあちらこちらや教科書のあの頁この頁をひっくり返して、大声でなにかを唱えているさなか、ぼくはなんにもする事が出来ないのであった。だからといって、決して徒手空拳でそこに臨んでいるのではない。その証拠に、当日の試験科目の教科書参考書やノートの類は鞄に総て詰め込んであるのだ。それは昨夜からみれば試験当日が明日であるからなのである。

だからといって長期的な見地にたったプロジェクトやプランニングが得意という訳でもない。だから困ったものなのだ。
比喩として成立するのかどうか解らないのだけれども、予約や事前申し込みが大の苦手でもあるのだ。
その日その時、勇んで申し込んだ事が、当日に近くなるにつれて億劫になる。キャンセルしたり反故にする根性があればそうすればいいだけの事ではあるが、それすらも嫌になってくる。逃げ出したくなるとは、まさに文字通りにそのときのぼくの心情だ。
好きなアーティストの新作の前売り予約、映画や展覧会の前売り券、仲のよい友人達との諸々の約束、みんなそうなのだ。しかも、当日までの時間が長ければ長い程、その感は強くなる。
だから予約や前売り券は、殆ど購入しない。思い立ったが吉日の、当日券ありきの生活だ。約束ですら、可能な限り直近のモノしかしないし、出来ない。
さもなければ、ぼく自身を雁字搦めにするしかない。予約や前売り券の手配は一切、ヒトに任せて、そのヒトへの信用や友情でもって、それを拒否出来ないモノとぼく自身の中で位置付けさせるしかないのである。[だから前日への準備が完全に終了している筈のその日、つまり明日の予定が先方の都合のみによってキャンセルされてしまうと、凄まじく憤慨する。]

その結果の結論として出来上がったのが、冒頭に示した、今日、明日、明後日という時間認識なのである。
先に、比喩として読み替えてもらっても良いとも綴ったが、ぼくの実生活は多分にそんな感じだ。

今日やるべき事をやって、明日の準備は完璧にしておこう。
さて、明後日は一体、なにをどうしたらいいんだろう。
そんな様にして毎日が毎日、実務を処理しつつも、いつもいつも、途方にくれているのである。

次回は「」。

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