2018.01.09.11.13
は、黒衣 (Kurogo) と書く。書いたはいいモノのこれを黒衣 (Kokui) と読んでしまうと違う意味になる。黒衣 (Kokui) は、僧籍 (Priest) もしくはその地位にある人物を指す。
黒衣 (Kurogo) は黒子 (Kuroko) と書かれる / 読まれる場合もある。そして、この漢字表記は本来、黒子 (Hokuro) と読まれるべきモノ、即ち黶 (Nevus) である。
現在は、本来の表記 / 読み方である黒衣 (Kurogo) よりも、黒子 (Kuroko) の方が流通している様だ。この語句から派生した慣用句も一般的には、"黒子に徹する (Be A Backroom Boy)" と謂う。
と、偉そうに綴ってはみたモノの、ぼく自身も黒子 (Kuroko) と書き / 読んでいる。
だが、ここでは本来の表記、黒衣 (Kurogo) を用いて以下の駄文を綴ってみる事にする。
つまり、"黒衣に徹する (Unify The Terms Used "Kurogo")"と謂う訳だ。
黒衣 (Kurogo) とは歌舞伎 (Kabuki) や文楽 (Bunraku) 等に登場する黒装束の人物もしくはその役割である。顔面も独特の黒い布で覆い隠されている。
そして、この黒衣 (Kurogo) の特徴的な点は、その黒装束であるが故に奇異な印象を観客になげかけてしかるべきであるのにも関わらず、彼は不在である、と謂う点だ。
舞台の書き割り (Scenery) が単に描かれただけの2次元的な存在であるのにも関わらず、その場面に於いては現実に存するモノとして扱われる、それと同じだ。
黒衣 (Kurogo) はあくまでも物語が円滑に語られ演じ続けらるその為の介助の装置でしかない。
だから、そこが華やかな場面であろうとも、凄惨な場面であろうとも、必要に応じて彼等はそこで必要な作業や操作を行わなければならず、そこに彼等の存在を認めると、そこの世界が一挙に崩壊してしまう。それ故に、彼等はそこにはいない事になっているのだ。
黒衣 (Kurogo) とは、本来そういう存在である。
いるのにいない。
みえるのにみえない。
それが大前提なのである。
だけれども、その認識を得るのはなかなか難しい。
上に、歌舞伎 (Kabuki) や文楽 (Bunraku) 等に登場するとは綴ってはみたモノの、ぼく自身、実際にその姿を認識したのは全然、別の場所である。
それがいつどこでと、具体的に指摘するのはとても無理な相談ではあるが、少なくとも幾つかのお笑い番組で彼等に接したのは間違いない。
だから、黒衣 (Kurogo) 本来の役割が転倒したかたちで彼等はそこに登場していた筈だ。
いるのにいない筈の彼等の存在感は他の誰よりもおおきい。
みえるのにみえない筈の彼等ばかりにぼく達からの注目が集まる。
そしてそれはそれだけにおさまらず、何度も何度も転倒する。
いる / いない、もしくは、みえる / みえないがその都度、都合のよいかたちで入れ替わるのである。
それはかつて、ピンク・レディー (Pink Lady) によって歌われた彼女達のヒット曲『透明人間 (Invisible Man)』 [作詞:阿久悠 (Yu Aku) 作曲:都倉俊一 (Shun Tokura) 1978年発表] の歌詞とよく似ている。
そこではこう歌われているのだ。
♪透明人間 あらわる あらわる / 嘘をいっては困ります / あらわれないのが 透明人間です (The Invisible Man Makes His Appearance / It Makes Trouble It Tells A Lie / We cannot Find His Appearance Because He Is The Invisible Man)♪
例えば、ぼく達世代にとって、最も馴染みがある黒衣 (Kurogo) と謂えば、人形劇『新八犬伝 (Shin-Hakkenden)』 [1973〜1975 NHK放映] での語り役 (Narrator) を演じた坂本九 (Kyu Sakamoto) だ。

上掲画像では講釈師 (Koshaku-shi) の様に、裃 (Kamishimo) 姿で釈台 (Lectern) の前に座っているが、こんな装いで登場する事はめったにない [と謂うか、その番組で、ぼく自身こんな姿の彼をみた記憶がないのだ]。
通常は、黒衣 (Kurogo) となって登場する。但し、普通の黒衣 (Kurogo) と違うのは、顔を覆う黒布におおきな丸の中に九の文字が書かれている事だ。黒衣 (Kurogo) と呼ぶにはいささか派手だ。
勿論、彼の素顔はみえない。そんな姿で登場するその人物は、坂本九 (Kyu Sakamoto) の声で語り手 (Narrator) としての役割を果たす。主に、これから語られるべき物語の大枠、その時代ならではの制度等を視聴者に向けて説明していた記憶がある。
ところで、丸に九の文字で顔を隠すその黒衣 (Kurogo) は本当に坂本九 (Kyu Sakamoto) 自身が演じていたのだろうか。つまり、他の俳優が丸に九の文字の黒衣 (Kurogo) の扮装で登場し、そこに坂本九 (Kyu Sakamoto) の声をあてていても不思議ではないのである。
但し、次の様な事は謂えると思う。
その人物が坂本九 (Kyu Sakamoto) 本人である / ないに関わらず、容貌が隠されたその人物が坂本九 (Kyu Sakamoto) の声でもって物語を語る以上、いずれの場合であっても、その黒衣 (Kurogo) は二重三重の意味で黒衣 (Kurogo) なのではないだろうか。
ところで、淡島寒月 (Kangetsu Awashima) の随筆『亡び行く江戸趣味 (The Vanishing Of Edo Period's Taste )』 [1925年発表] に次の様な記述がある。
「江戸時代は全くの暗闇で芝居しているような有様であった (In Edo period, They had played in the perfect darkness.)」
これを踏まえると、黒衣 (Kurogo) と謂うモノは本来、現在のぼく達が観ている以上に、みえない存在であったのかもしれない。
今の照明設備の下でなく、それらの演目が初演された当時と同様の照明設備の下であれば、黒衣 (Kurogo) 本来の正体がみえるのかもしれない。
と、謂うか実は、そもそもの発端がその随筆にあるくだりで、それを読んだ事がこの様な駄文をぼくに綴らしめたのである。
次回は「ご」。
附記:
黒衣 (Kurogo) と似た様な語句に黒幕 (Eminence Grise) がある。黒衣 (Kurogo) が歌舞伎 (Kabuki) や文楽 (Bunraku) から派生した様に、この黒幕も、舞台用語だ。場面転換乃至は夜間の演出の際に起用される暗幕の事である。
現在では [演劇ではなくて実生活上の] 表舞台に登場する事なく、事件や事態を背後から演出し操作する人物を指す。
黒幕 (Eminence Grise) と謂う語句本来の意味から考えれば、そんな人物を表舞台から隠す装置の事を黒幕 (Eminence Grise) と呼ぶべきなのである。それが装置ではなくて装置を操縦する人物の謂いとなっている。恐らくそれは、陛下 (Your Majesty) と謂う語句が、本来は陛下 (Your Majesty) と呼ばれるべき人物がいる場所の呼称がいつしかその人物そのモノを指しているのと同様の転用が、ここでも行われているのかもしれない。
比喩的に想像すれば、黒衣 (Kurogo) とは、黒幕 (Eminence Grise) のおもてとうらを行き来する、実行部隊と看做す事も出来るだろう。
黒衣 (Kurogo) は黒子 (Kuroko) と書かれる / 読まれる場合もある。そして、この漢字表記は本来、黒子 (Hokuro) と読まれるべきモノ、即ち黶 (Nevus) である。
現在は、本来の表記 / 読み方である黒衣 (Kurogo) よりも、黒子 (Kuroko) の方が流通している様だ。この語句から派生した慣用句も一般的には、"黒子に徹する (Be A Backroom Boy)" と謂う。
と、偉そうに綴ってはみたモノの、ぼく自身も黒子 (Kuroko) と書き / 読んでいる。
だが、ここでは本来の表記、黒衣 (Kurogo) を用いて以下の駄文を綴ってみる事にする。
つまり、"黒衣に徹する (Unify The Terms Used "Kurogo")"と謂う訳だ。
黒衣 (Kurogo) とは歌舞伎 (Kabuki) や文楽 (Bunraku) 等に登場する黒装束の人物もしくはその役割である。顔面も独特の黒い布で覆い隠されている。
そして、この黒衣 (Kurogo) の特徴的な点は、その黒装束であるが故に奇異な印象を観客になげかけてしかるべきであるのにも関わらず、彼は不在である、と謂う点だ。
舞台の書き割り (Scenery) が単に描かれただけの2次元的な存在であるのにも関わらず、その場面に於いては現実に存するモノとして扱われる、それと同じだ。
黒衣 (Kurogo) はあくまでも物語が円滑に語られ演じ続けらるその為の介助の装置でしかない。
だから、そこが華やかな場面であろうとも、凄惨な場面であろうとも、必要に応じて彼等はそこで必要な作業や操作を行わなければならず、そこに彼等の存在を認めると、そこの世界が一挙に崩壊してしまう。それ故に、彼等はそこにはいない事になっているのだ。
黒衣 (Kurogo) とは、本来そういう存在である。
いるのにいない。
みえるのにみえない。
それが大前提なのである。
だけれども、その認識を得るのはなかなか難しい。
上に、歌舞伎 (Kabuki) や文楽 (Bunraku) 等に登場するとは綴ってはみたモノの、ぼく自身、実際にその姿を認識したのは全然、別の場所である。
それがいつどこでと、具体的に指摘するのはとても無理な相談ではあるが、少なくとも幾つかのお笑い番組で彼等に接したのは間違いない。
だから、黒衣 (Kurogo) 本来の役割が転倒したかたちで彼等はそこに登場していた筈だ。
いるのにいない筈の彼等の存在感は他の誰よりもおおきい。
みえるのにみえない筈の彼等ばかりにぼく達からの注目が集まる。
そしてそれはそれだけにおさまらず、何度も何度も転倒する。
いる / いない、もしくは、みえる / みえないがその都度、都合のよいかたちで入れ替わるのである。
それはかつて、ピンク・レディー (Pink Lady) によって歌われた彼女達のヒット曲『透明人間 (Invisible Man)』 [作詞:阿久悠 (Yu Aku) 作曲:都倉俊一 (Shun Tokura) 1978年発表] の歌詞とよく似ている。
そこではこう歌われているのだ。
♪透明人間 あらわる あらわる / 嘘をいっては困ります / あらわれないのが 透明人間です (The Invisible Man Makes His Appearance / It Makes Trouble It Tells A Lie / We cannot Find His Appearance Because He Is The Invisible Man)♪
例えば、ぼく達世代にとって、最も馴染みがある黒衣 (Kurogo) と謂えば、人形劇『新八犬伝 (Shin-Hakkenden)』 [1973〜1975 NHK放映] での語り役 (Narrator) を演じた坂本九 (Kyu Sakamoto) だ。

上掲画像では講釈師 (Koshaku-shi) の様に、裃 (Kamishimo) 姿で釈台 (Lectern) の前に座っているが、こんな装いで登場する事はめったにない [と謂うか、その番組で、ぼく自身こんな姿の彼をみた記憶がないのだ]。
通常は、黒衣 (Kurogo) となって登場する。但し、普通の黒衣 (Kurogo) と違うのは、顔を覆う黒布におおきな丸の中に九の文字が書かれている事だ。黒衣 (Kurogo) と呼ぶにはいささか派手だ。
勿論、彼の素顔はみえない。そんな姿で登場するその人物は、坂本九 (Kyu Sakamoto) の声で語り手 (Narrator) としての役割を果たす。主に、これから語られるべき物語の大枠、その時代ならではの制度等を視聴者に向けて説明していた記憶がある。
ところで、丸に九の文字で顔を隠すその黒衣 (Kurogo) は本当に坂本九 (Kyu Sakamoto) 自身が演じていたのだろうか。つまり、他の俳優が丸に九の文字の黒衣 (Kurogo) の扮装で登場し、そこに坂本九 (Kyu Sakamoto) の声をあてていても不思議ではないのである。
但し、次の様な事は謂えると思う。
その人物が坂本九 (Kyu Sakamoto) 本人である / ないに関わらず、容貌が隠されたその人物が坂本九 (Kyu Sakamoto) の声でもって物語を語る以上、いずれの場合であっても、その黒衣 (Kurogo) は二重三重の意味で黒衣 (Kurogo) なのではないだろうか。
ところで、淡島寒月 (Kangetsu Awashima) の随筆『亡び行く江戸趣味 (The Vanishing Of Edo Period's Taste )』 [1925年発表] に次の様な記述がある。
「江戸時代は全くの暗闇で芝居しているような有様であった (In Edo period, They had played in the perfect darkness.)」
これを踏まえると、黒衣 (Kurogo) と謂うモノは本来、現在のぼく達が観ている以上に、みえない存在であったのかもしれない。
今の照明設備の下でなく、それらの演目が初演された当時と同様の照明設備の下であれば、黒衣 (Kurogo) 本来の正体がみえるのかもしれない。
と、謂うか実は、そもそもの発端がその随筆にあるくだりで、それを読んだ事がこの様な駄文をぼくに綴らしめたのである。
次回は「ご」。
附記:
黒衣 (Kurogo) と似た様な語句に黒幕 (Eminence Grise) がある。黒衣 (Kurogo) が歌舞伎 (Kabuki) や文楽 (Bunraku) から派生した様に、この黒幕も、舞台用語だ。場面転換乃至は夜間の演出の際に起用される暗幕の事である。
現在では [演劇ではなくて実生活上の] 表舞台に登場する事なく、事件や事態を背後から演出し操作する人物を指す。
黒幕 (Eminence Grise) と謂う語句本来の意味から考えれば、そんな人物を表舞台から隠す装置の事を黒幕 (Eminence Grise) と呼ぶべきなのである。それが装置ではなくて装置を操縦する人物の謂いとなっている。恐らくそれは、陛下 (Your Majesty) と謂う語句が、本来は陛下 (Your Majesty) と呼ばれるべき人物がいる場所の呼称がいつしかその人物そのモノを指しているのと同様の転用が、ここでも行われているのかもしれない。
比喩的に想像すれば、黒衣 (Kurogo) とは、黒幕 (Eminence Grise) のおもてとうらを行き来する、実行部隊と看做す事も出来るだろう。
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