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2018.01.02.09.19

ざっぱいんにゅーよーく

フランク・ザッパ (Frank Zappa) の当初の意図から謂えば、この作品は世に出なかった筈なのだ。
しかし、それがアーティストの欲求を捻じ曲げるかたちで発表する事になる。
だがそれで事態はまるく収まらない。譲歩したかたちにあるアーティストの意向をさらに萎縮させる様な作品となってしまう。
ただ、それにも関わらず、作品としての量と質は、彼のファンを満足させるモノだから、本作品発表の裏舞台を聴き手であるぼく達はどう評価すべきなのだろうか。
尤も、収まらないのはアーティスト自身であって、これが結果的に後の彼の具体的な行動を促す事になる。勿論、その直接行動は、ぼく達が諸手を挙げて支持し支援すべき事柄なのである。

この作品『雷舞イン・ニューヨーク (Zappa In New York)』 [1978年発表] に収録された幾つかの楽曲は、本来は4枚組LP『レザー (Lather)』 [1996年発表] の一部を構成するモノである。
しかし、その基本コンセプトはワーナー・ブラザース・レコード (Warner Bros. Records) に受け入れられず、本作品と後に続く3枚のアルバムすなわち『スタジオ・タン (Studio Tan)』 [1978年発表]、『スリープ・ダート (Sleep Dirt)』 [1979年発表]、 『オーケストラル・フェイヴァリッツ (Orchestral Favorites)』 [1979年発表] と謂うかたちに振り分けられて分売される事になる。
つまり、アーティストの趣旨を理解出来ていないレコード会社と謂うモノが、ここに介在していなければ本作品は陽の目をみる事はなかったのである。

フランク・ザッパ (Frank Zappa) はレコード会社の意向を尊重するかたちで、2枚組のライブ・アルバムとしてこの作品を世に問うかたちとなる。基となった音源は、1976年に行われた総勢13名の、特別編成によるニュー・ヨーク (New York City) 公演である。
これで作品の評価も作品のセールスもよければ、少なくとも作品の送り手となるアーティストとレコード会社にはなんの不満もない。
だが。
そう、だが、なのである。

本作品収録予定であった楽曲『パンキーズ・ウィップス (Punky's Whips)』がレコード会社の意向によって、削除されてしまう。
ヴォーカルをテリー・ボジオ (Terry Bozzio) が担当したその曲は、エンジェル (Angel) のギタリストであるパンキー・メドウス (Punky Meadows) を揶揄した内容なのである。
従って、同じくそのギタリストに言及している楽曲『ティティーズ・アンド・ビール(Titties And Beer)』も同じ憂き目にあってしまう。

images
上掲画像 [こちらより] は、パンキー・メドウス (Punky Meadows) が掲載された雑誌の切り抜き [恐らく雑誌『音楽専科 (Ongaku Senka)』だと思う] を手にするテリー・ボジオ (Terry Bozzio)。

後に発売された3作品『スタジオ・タン (Studio Tan)』 、『スリープ・ダート (Sleep Dirt)』 、『オーケストラル・フェイヴァリッツ (Orchestral Favorites)』 がアーティストに無許可で発売された件とあわせて、アーティストとレコード会社に修復不可能な亀裂が入る。
繰り返して綴れば、その3作品とは、本来ならば大作『レザー (Lather)』として世に出てしかるべき楽曲群だ。

フランク・ザッパ (Frank Zappa) は1981年に自己のレーベルバーキング・パンプキン・レコード (Barking Pumpkin Records) を設立して以降、100%の自身のイニシアティヴを握る。つまりだしたい作品をだしたいかたちで発表 / 発売する事になる。過去の自己の作品のCD化再発もそこで行われる事となる。
勿論、それと同時に100%経済に関わる危険も彼自身が引き受けるかたちになるが、それは今、ぼく達は考えなくても良い。

アルバム『雷舞イン・ニューヨーク (Zappa In New York)』は、1991年に『パンキーズ・ウィップス (Punky's Whips)』他5曲が追加収録されてCD化され、当初のアーティストの目論見を満たすかたちを、ぼく達は堪能する事が出来る [アルバム発表時は他のアーティストの作品ばかりを追っかけていてとても手がまわらなかったぼくは、このCD化作品で初めて接する事になる]。
そして、大作『レザー (Lather)』も1996年にはCD3枚組のかたちで遂にぼく達のもとに届けられる事となる。悔やむべくは1993年にフランク・ザッパ (Frank Zappa) が亡くなっている事だ。彼の数多い遺作のひとつがその大作なのだ。

ここでぼく達が考えるべき事は、フランク・ザッパ (Frank Zappa) は大作『レザー (Lather)』を発表する代わりに、アルバム『雷舞イン・ニューヨーク (Zappa In New York)』を封印する事も出来たのに、それをしなかった事だ。しかもその作品だけではなくて遺りの3作品『スタジオ・タン (Studio Tan)』 、『スリープ・ダート (Sleep Dirt)』 、『オーケストラル・フェイヴァリッツ (Orchestral Favorites)』 も原型を生かして順次CD化させていく。
彼のこの態度は、新しいメディア上での作品の復刻とその際になされるべき再構成の際のひとつの指針ともなり得るのではないか。
彼のとった方針を100%正解とする自信はぼくにはない [その所以の多くは経済的な問題だ] のだけれども、少なくとも、現在の自身の意にそぐわないと謂うだけの理由で発表当時の作品を亡き者とするよりは遥かに良い。

ただ、少なくともこう謂う事は出来ると思う。

フランク・ザッパ (Frank Zappa) と謂うアーティストが遺した膨大な作品群のなかで、そのアーティストに対する好奇心が動いた場合の最初の1枚としては最適ではないだろうか、と謂う事だ。
怖いもの見たさ、それが動機でもいい。総勢13名であるメンバーの顔ぶれをみるだけでも、怖いものと謂う認識を覆させる好奇心の方が強く働いてしまうだろう。
そこから、彼の他のライブ音源へと食指を伸ばしてもいいだろうし、その作品で演奏された楽曲のスタジオ録音作へと向かってもいい。
勿論、その作品に収録された楽曲群の本来あるべき姿、つまり大作『レザー (Lather)』へ旅立つのもひとつの方法であるならば、アーティストの遺恨の遺る3作品へと巡礼するのもいいだろう。
氷山の一角(The Tip Of An Iceberg) と謂う成句があるが、巨大な全容の大半が海面下に秘匿されその正体を伺うのに困難なモノが、ぽかりと外洋に顔を覗かせている。そこが本作品である。そう謂えるのだ。

ちなみに、この作品がなければ、テリー・ボジオ (Terry Bozzio) がブレッカー・ブラザーズ (The Brecker Brothers) の第5作『ヘヴィー・メタル・ビバップ (Heavy Metal Be-Bop)』 [1978年発表] に於いて『イースト・リヴァー (East River)』を演奏する事もなかっただろうし、分裂したユー・ケー (U.K.) に参加して来日[ライヴ・アルバム『ナイト・アフター・ナイト (Night After Night)』 [1979年発表]参照の事] してメンバーのジョン・ウェットン (John Wetton) とエディ・ジョブソン (Eddie Jobson) 共々、美青年3人組みたいな扱いを受ける事もなかっただろう。
[と、謂う事を本作品に掲載されている、ゲイル・ザッパ (Gail Zappa) 撮影の参加メンバーの写真をみるといつも想起させられてしまう。]

次回は「」。
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