2008.09.09.20.36
と、ブログの本文投稿欄に入力し、任意の件名を書き入れて、未公開の下書きとして登録して一夜明けると、いつのまにか、その任意の件名に相応しい、とても素晴らしい投稿記事が公開されている...。
と言う様な、童話(Fairy Tale)から抜け出た様な、夢の様なブログ・パーツは残念ながら存在しておりません。
あしからず。
『こびとの靴屋』もしくは『こびとと靴屋』と紹介されている物語は、正確には『Die Wichtelmänner(魔法を使うこびと)』。グリム童話(Kinder Und Hausmarchen)に収められているものです。独語原文はこちらのサイトで、日本語訳はこちらのサイトで読む事が出来ます。

"Claws
" by The Hybrid Kids
ところで、この『こびとの靴屋』という童話の不思議なところは、因果応報的な要素が薄いところです。
一応、主人公である靴屋は真面目であるという、彼の善性をもって、小人による援助を受ける所以がある様に読めます。しかしながら、それだけでは、小人達が靴屋に善行を施す理由としては弱い。通常の物語設定では、あの有名な鶴の様に、報恩譚としての結構が要求される筈です。
しかしながら報恩譚の要素が少ないのにも関わらず、その物語構造と同じ展開をこの『こびとの靴屋』は辿ります。
すなわち、己の与り知らぬところで勃発している摩訶不思議な出来事の謎を説こうという要求が主人公に起こり、その真実を追求し、その原因を知る事が出来る。
そして、その真実を知った結果として、主人公が小人達の恩義に報います。
ここで、通常の報恩譚とは逆転した物語展開となります。
つまり、報恩する側が人間であり、報恩される側が異界の人々(=小人達)である点、さらにその結果としてハッピーエンドが待っている点です。(通常の報恩譚と同じく)主人公は小人達を喪失するものの、彼ら自身の善性によって、さらなる富と幸福を得るのです。
以上が、この物語の構造です。
だから、幸か不幸か、わたし達は、この物語の大前提である「主人公である靴屋は真面目である」という条件を、都合良く、忘れてしまいます。
その結果、目の前に差し迫った締切やらトラブルやら難問やらから逃れる為に、「小人の靴屋」さんが現れてそれらをいとも簡単に解決してしまう事を乞い願い、眠りにつくのです。
あたかも「明日は明日の風が吹く(Tomorrow is another day.)」とでも、言いたげに。
だからと言って翌朝になっても何の事態も解決されていません。それどころか、安眠すら許されずに、眠れぬ夜を経て夜明けを迎えたり、よしんば眠れたとしても、悪夢に魘され続けるのが落ちというものです。
週刊誌連載を抱えていたかつての江口寿史が観た、白い鰐に追われる悪夢の様な、そんな悪夢に。
次回は「や」
と言う様な、童話(Fairy Tale)から抜け出た様な、夢の様なブログ・パーツは残念ながら存在しておりません。
あしからず。
『こびとの靴屋』もしくは『こびとと靴屋』と紹介されている物語は、正確には『Die Wichtelmänner(魔法を使うこびと)』。グリム童話(Kinder Und Hausmarchen)に収められているものです。独語原文はこちらのサイトで、日本語訳はこちらのサイトで読む事が出来ます。

"Claws
ところで、この『こびとの靴屋』という童話の不思議なところは、因果応報的な要素が薄いところです。
一応、主人公である靴屋は真面目であるという、彼の善性をもって、小人による援助を受ける所以がある様に読めます。しかしながら、それだけでは、小人達が靴屋に善行を施す理由としては弱い。通常の物語設定では、あの有名な鶴の様に、報恩譚としての結構が要求される筈です。
しかしながら報恩譚の要素が少ないのにも関わらず、その物語構造と同じ展開をこの『こびとの靴屋』は辿ります。
すなわち、己の与り知らぬところで勃発している摩訶不思議な出来事の謎を説こうという要求が主人公に起こり、その真実を追求し、その原因を知る事が出来る。
そして、その真実を知った結果として、主人公が小人達の恩義に報います。
ここで、通常の報恩譚とは逆転した物語展開となります。
つまり、報恩する側が人間であり、報恩される側が異界の人々(=小人達)である点、さらにその結果としてハッピーエンドが待っている点です。(通常の報恩譚と同じく)主人公は小人達を喪失するものの、彼ら自身の善性によって、さらなる富と幸福を得るのです。
以上が、この物語の構造です。
だから、幸か不幸か、わたし達は、この物語の大前提である「主人公である靴屋は真面目である」という条件を、都合良く、忘れてしまいます。
その結果、目の前に差し迫った締切やらトラブルやら難問やらから逃れる為に、「小人の靴屋」さんが現れてそれらをいとも簡単に解決してしまう事を乞い願い、眠りにつくのです。
あたかも「明日は明日の風が吹く(Tomorrow is another day.)」とでも、言いたげに。
だからと言って翌朝になっても何の事態も解決されていません。それどころか、安眠すら許されずに、眠れぬ夜を経て夜明けを迎えたり、よしんば眠れたとしても、悪夢に魘され続けるのが落ちというものです。
週刊誌連載を抱えていたかつての江口寿史が観た、白い鰐に追われる悪夢の様な、そんな悪夢に。
次回は「や」
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