2017.09.12.08.59
すなわち金剛力士像 (Nio aka Kongorikishi) は、全国各地の社寺に安置されているが、ここで綴るのは護国寺 (Gokokuji) にある仁王像 (Nio Statures) の事だ。
しかも現実に存在するそれではなくて、夏目漱石 (Natsume Soseki) の小説『夢十夜 (Ten Nights Of Dreams
)』 [1908年 朝日新聞連載] に描かれているモノに関して、である。
小説と謂う虚構の中に登場し、しかもその創作物は夢と謂う虚構を題材にしている。そこにそれは登場するのだ。
その小説は「第一夜」から「第十夜」すなわちじゅうの夢に関する短編連作であって、仁王 (Nio) はその「第六夜」に登場する。
猶、その小説に関しては一度、ここでさらりと紹介している。そして、当該部分に関しては「夢といいながら文学批評・芸術批評として書かれた」と言及しているだけだ。
ここで綴るのは、「夢といいながら文学批評・芸術批評として書かれた」と理解したぼくの主観をもう少し丁寧にみてみたいと思ったからだ。つまり、けなすなりくさすなりするのならば、きちんと論理的に徹底的に行うべきであると思ったのである。
「第六夜」はぼくの記憶が正しければ中学校の現代国語の授業の、その教科書に登場した筈だ。ぼくがこの作品に批判的な態度を示すのは、そこでの印象が未だに強く遺っているからなのだろう。
そして、その印象を拭う為に、ネットでこの作品の印象論なり感想文なり批評文なりを検索しても、そこでの主調となる主張はあまり変わらない。
確かにこの作品の根底にあるのは「夢といいながら文学批評・芸術批評として書かれた」なのだろうが、その中身の認識がつまらない、あまりに片面的に偏っているのだ。敢えてここで暴論を唱えれば、夏目漱石 (Natsume Soseki) と謂う作家は、そこから判断される様な物分かりの良い人物なのだろうか。いや、寧ろ、夏目漱石 (Natsume Soseki) にぼく達は騙されているのではないだろうか、そんな気がするのである。
授業で習った際も、ネットに顕れる解釈も、その論拠はたったひとつの事に集約されている。
即ち、若い男の発言とそれを真に受けた話者の行為と、その結果導き出された最期の1文だ。
「眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」
「明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った」
「運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った」
短い文学作品の中からたったみっつの文章を抜き取り、それを咀嚼して、さもそれがこの物語の主題である様に語っているのである。
果たして、それで良いのだろうか。
先ず、考えるべきは何故、運慶 (Unkei) の仁王 (Nio) なのだろうか、と謂う疑問だ。
夢だから、と謂うのは答えにならない。
しかし、この問題はそれ程に難しくはない。
ひとつは作品発表当時よりも遥か昔に創られたモノでなければならない事だ。後に登場する「明治の木」と謂うモノがある以上、それと対称し得る創作物である事は必須だ。
ひとつは作家性の存在だ。記名性と謂い換えても良い。例え古代の優れた作品であったとしても、無名の作家の登場を促す訳にもいかないだろうし、如何に秀でた作品であっても作者未詳であっては不味い。しかも、作品発表時の読者の殆どが認知している作品と作家が求められる [もしかしたら、この作品での作家性と謂うモノはもっと厳密に考えるべき事なのかもしれないが、ここではそこまで追求しない]。
そしてもうひとつは、話者も含めて多くの人々が創作現場につめかける以上、そこで創作過程に入っているその作品はそこにつめかけた多くの人物達に一望可能な存在である事、つまり、自ずと巨きなモノが求められるべきであろう、と謂う事だ。
と、大雑把にみっつの理由を思いついたのだが、その最大公約数 (Greatest Common Divisor) 的なモノが運慶 (Unkei) の仁王 (Nio) であろうと、ぼくは考えている。
ところで、作品冒頭に「運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいる」とあるが、この文章には幾つもの疑義が存在している。
護国寺 (Gokokuji) には仁王門 (NIo-Mon) が存在し、そこに仁王像 (Nio Statures) が安置されている。しかし、その作者は運慶 (Unkei) ではない。第一に、護国寺 (Gokokuji) が建立されるのが1681年であって、その頃には既に運慶 (Unkei) は故人なのである。
夢だから、と謂うのはエクスキューズにはなるが、答えにはならない。
例えば、運慶 (Unkei) が実際につくった、東大寺南大門 (Great South Gate) の仁王 (Nio aka Kongorikishi) の許へと赴く事も可能なのだ。夢なのだから。
作品発表当時の読者ならば「運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいる」の時点で虚構性に気づくのだろうが、いまのぼく達では果たしてどうか。いや、もしかすると、当時の読者達ですらこの部分を看過してしまっているのかもしれない。
それとは別に、護国寺 (Gokokuji) の仁王像 (Nio Statures) が運慶 (Unkei) の作ではないと謂う自覚の許で、この小説を読み返してみれば、その現場で「下馬評」を行なっている人々の行為も、極めて根拠が薄弱な場所にある様に思える。それだけではない。ぼく達が主題であると看做した若い男の発言も途端に根拠を喪ってしまう。よってたつべき場所が虚構である以上、そこに根拠をおく主張も、ひとりよがりの思い込みにすぎない様なモノとしても、読めてしまうのだ。

入江泰吉 (Taikichi Irie) 撮影『佛像7 金剛力士像 (Statue Of Buddha 7 : Kongorikishi)』
そして、考えるべきは帰宅後の話者の行為だ。
あらためて確認すれば、これも夢の中の事だ。仮に、運慶 (Unkei) の仁王 (Nio) を訪れた夢から醒めた話者が、これ以降の行為を行なったとしたら、どうだろう。笑い話にすらならないのかもしれないが、話者が悟った認識は、現実的なモノとしての主張となり得る。しかし、実際はそれさえもが夢の中なのだ。
「ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った」
ここでぼく達は夏目漱石 (Natsume Soseki) に騙されている可能性はないだろうか。
前文はいい。実際に話者が [夢の中で] 試みた事なのだから。だが後文は? 「運慶が今日まで生きている」のは、これも夢の中の事なのだ。現実には、運慶 (Unkei) は死んでいる。
仮に、話者が覚醒後彫った後に、この認識に至ったのであれば、少なくともある種の主張めいた結論は導き出し得る。そして、その結論は授業やネット上での多くの主張にみられるモノとほぼ同じになるだろう。
だけれども現実に則って、以下の様に文章を繋げてみよう。
ついに [夢の中の] 明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで [夢の中では] 運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。[では、現実の世界での明治の木はどうなのだろう。運慶は今日、死んでいないのだ。]
もし、上の様な追加が可能であるとしたら、夏目漱石 (Natsume Soseki) の真意は一体、どこにあると謂うのだろう。
そこで試みにこんな操作をしてみよう。
1. 上の2文を「明治の木に仁王は埋っていない」のならば「運慶が今日まで生きている」と謂う命題 (Proposition) に単純化してみる。
2. 上の命題 (Proposition) の対偶 (Contraposition) をつくってみる。
3. 対偶は「運慶が今日まで生きていない」のならば「明治の木に仁王は埋まっている」となる。
4. 即ち、「運慶が死んでいる」のならば「明治の木に仁王は埋まっている」である。
対偶 (Contraposition) が真ならば、その前提となる命題 (Proposition) も真となるのだから、その小説の2文での主張が真であるのならば、その対偶 (Contraposition) である「運慶が死んでいる」のならば「明治の木に仁王は埋まっている」も真だ。
そして、その真とされ得る命題 (Proposition) は、表面上、ぼく達が夏目漱石 (Natsume Soseki) の主張と解したモノと180度異なったモノにもみえてくる。
これは一体どう謂う事なのか。
夢だから、の一言で済ませて良いモノなのだろうか。
ヒントとしては、『ほぼ日刊イトイ新聞』の記事『画家のjunaidaさんと清水三年坂美術館の超絶技巧を見る』の中での発言「明治・大正期の工芸品は、日本の美術界の『空白地帯』でした」を挙げる事が出来るだろう。
次回は「う」。
しかも現実に存在するそれではなくて、夏目漱石 (Natsume Soseki) の小説『夢十夜 (Ten Nights Of Dreams
小説と謂う虚構の中に登場し、しかもその創作物は夢と謂う虚構を題材にしている。そこにそれは登場するのだ。
その小説は「第一夜」から「第十夜」すなわちじゅうの夢に関する短編連作であって、仁王 (Nio) はその「第六夜」に登場する。
猶、その小説に関しては一度、ここでさらりと紹介している。そして、当該部分に関しては「夢といいながら文学批評・芸術批評として書かれた」と言及しているだけだ。
ここで綴るのは、「夢といいながら文学批評・芸術批評として書かれた」と理解したぼくの主観をもう少し丁寧にみてみたいと思ったからだ。つまり、けなすなりくさすなりするのならば、きちんと論理的に徹底的に行うべきであると思ったのである。
「第六夜」はぼくの記憶が正しければ中学校の現代国語の授業の、その教科書に登場した筈だ。ぼくがこの作品に批判的な態度を示すのは、そこでの印象が未だに強く遺っているからなのだろう。
そして、その印象を拭う為に、ネットでこの作品の印象論なり感想文なり批評文なりを検索しても、そこでの主調となる主張はあまり変わらない。
確かにこの作品の根底にあるのは「夢といいながら文学批評・芸術批評として書かれた」なのだろうが、その中身の認識がつまらない、あまりに片面的に偏っているのだ。敢えてここで暴論を唱えれば、夏目漱石 (Natsume Soseki) と謂う作家は、そこから判断される様な物分かりの良い人物なのだろうか。いや、寧ろ、夏目漱石 (Natsume Soseki) にぼく達は騙されているのではないだろうか、そんな気がするのである。
授業で習った際も、ネットに顕れる解釈も、その論拠はたったひとつの事に集約されている。
即ち、若い男の発言とそれを真に受けた話者の行為と、その結果導き出された最期の1文だ。
「眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」
「明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った」
「運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った」
短い文学作品の中からたったみっつの文章を抜き取り、それを咀嚼して、さもそれがこの物語の主題である様に語っているのである。
果たして、それで良いのだろうか。
先ず、考えるべきは何故、運慶 (Unkei) の仁王 (Nio) なのだろうか、と謂う疑問だ。
夢だから、と謂うのは答えにならない。
しかし、この問題はそれ程に難しくはない。
ひとつは作品発表当時よりも遥か昔に創られたモノでなければならない事だ。後に登場する「明治の木」と謂うモノがある以上、それと対称し得る創作物である事は必須だ。
ひとつは作家性の存在だ。記名性と謂い換えても良い。例え古代の優れた作品であったとしても、無名の作家の登場を促す訳にもいかないだろうし、如何に秀でた作品であっても作者未詳であっては不味い。しかも、作品発表時の読者の殆どが認知している作品と作家が求められる [もしかしたら、この作品での作家性と謂うモノはもっと厳密に考えるべき事なのかもしれないが、ここではそこまで追求しない]。
そしてもうひとつは、話者も含めて多くの人々が創作現場につめかける以上、そこで創作過程に入っているその作品はそこにつめかけた多くの人物達に一望可能な存在である事、つまり、自ずと巨きなモノが求められるべきであろう、と謂う事だ。
と、大雑把にみっつの理由を思いついたのだが、その最大公約数 (Greatest Common Divisor) 的なモノが運慶 (Unkei) の仁王 (Nio) であろうと、ぼくは考えている。
ところで、作品冒頭に「運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいる」とあるが、この文章には幾つもの疑義が存在している。
護国寺 (Gokokuji) には仁王門 (NIo-Mon) が存在し、そこに仁王像 (Nio Statures) が安置されている。しかし、その作者は運慶 (Unkei) ではない。第一に、護国寺 (Gokokuji) が建立されるのが1681年であって、その頃には既に運慶 (Unkei) は故人なのである。
夢だから、と謂うのはエクスキューズにはなるが、答えにはならない。
例えば、運慶 (Unkei) が実際につくった、東大寺南大門 (Great South Gate) の仁王 (Nio aka Kongorikishi) の許へと赴く事も可能なのだ。夢なのだから。
作品発表当時の読者ならば「運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいる」の時点で虚構性に気づくのだろうが、いまのぼく達では果たしてどうか。いや、もしかすると、当時の読者達ですらこの部分を看過してしまっているのかもしれない。
それとは別に、護国寺 (Gokokuji) の仁王像 (Nio Statures) が運慶 (Unkei) の作ではないと謂う自覚の許で、この小説を読み返してみれば、その現場で「下馬評」を行なっている人々の行為も、極めて根拠が薄弱な場所にある様に思える。それだけではない。ぼく達が主題であると看做した若い男の発言も途端に根拠を喪ってしまう。よってたつべき場所が虚構である以上、そこに根拠をおく主張も、ひとりよがりの思い込みにすぎない様なモノとしても、読めてしまうのだ。

入江泰吉 (Taikichi Irie) 撮影『佛像7 金剛力士像 (Statue Of Buddha 7 : Kongorikishi)』
そして、考えるべきは帰宅後の話者の行為だ。
あらためて確認すれば、これも夢の中の事だ。仮に、運慶 (Unkei) の仁王 (Nio) を訪れた夢から醒めた話者が、これ以降の行為を行なったとしたら、どうだろう。笑い話にすらならないのかもしれないが、話者が悟った認識は、現実的なモノとしての主張となり得る。しかし、実際はそれさえもが夢の中なのだ。
「ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った」
ここでぼく達は夏目漱石 (Natsume Soseki) に騙されている可能性はないだろうか。
前文はいい。実際に話者が [夢の中で] 試みた事なのだから。だが後文は? 「運慶が今日まで生きている」のは、これも夢の中の事なのだ。現実には、運慶 (Unkei) は死んでいる。
仮に、話者が覚醒後彫った後に、この認識に至ったのであれば、少なくともある種の主張めいた結論は導き出し得る。そして、その結論は授業やネット上での多くの主張にみられるモノとほぼ同じになるだろう。
だけれども現実に則って、以下の様に文章を繋げてみよう。
ついに [夢の中の] 明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで [夢の中では] 運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。[では、現実の世界での明治の木はどうなのだろう。運慶は今日、死んでいないのだ。]
もし、上の様な追加が可能であるとしたら、夏目漱石 (Natsume Soseki) の真意は一体、どこにあると謂うのだろう。
そこで試みにこんな操作をしてみよう。
1. 上の2文を「明治の木に仁王は埋っていない」のならば「運慶が今日まで生きている」と謂う命題 (Proposition) に単純化してみる。
2. 上の命題 (Proposition) の対偶 (Contraposition) をつくってみる。
3. 対偶は「運慶が今日まで生きていない」のならば「明治の木に仁王は埋まっている」となる。
4. 即ち、「運慶が死んでいる」のならば「明治の木に仁王は埋まっている」である。
対偶 (Contraposition) が真ならば、その前提となる命題 (Proposition) も真となるのだから、その小説の2文での主張が真であるのならば、その対偶 (Contraposition) である「運慶が死んでいる」のならば「明治の木に仁王は埋まっている」も真だ。
そして、その真とされ得る命題 (Proposition) は、表面上、ぼく達が夏目漱石 (Natsume Soseki) の主張と解したモノと180度異なったモノにもみえてくる。
これは一体どう謂う事なのか。
夢だから、の一言で済ませて良いモノなのだろうか。
ヒントとしては、『ほぼ日刊イトイ新聞』の記事『画家のjunaidaさんと清水三年坂美術館の超絶技巧を見る』の中での発言「明治・大正期の工芸品は、日本の美術界の『空白地帯』でした」を挙げる事が出来るだろう。
次回は「う」。
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