2017.07.25.08.58
ぼくは締め出されたのであった。
昭和の時代、数十年も昔だ。
ぼくは中学生で、週に一度、整形外科に通っていた。右腕が痛むのだ。医師のみたては、成長痛であって、鎮痛剤を処方してもらっていた。
この痛みは、学生時代終始つきまとい、何度も専門医を紹介してもらってはいたがその度に原因不明で何も解決しない。その医師の処方する薬でずっと、痛みを紛らわしていた訳である。
その病院は朝7時から診察を行なっていた。学生や会社員への配慮なのだろう。
毎週、制服に着替えてから登校前に行き、痛む腕を診てもらい、一週間分の薬をもらう。それが土曜日の日課だった。
場所は自転車で数分のところにあり、中学校とは反対方向、しかも自転車通学は禁じられている。
だから、診察を終えた後に一度帰宅してそれから登校する。
その朝、いつもの様に診察を終えて帰宅すると、鍵が開かない。いつもならばまだいる筈の母親が、とっくに出勤してしまったのだ。
手許にあるのは、小銭とさっきもらったばかりの薬と自転車の鍵で、鞄と学生帽は家の中だ。
家は、4階建の市営団地の3階にあり、さっきからぼくは登ったり降りたりしている。そして、家の前に着くたびに、ドアノブをひねるが、勿論、開かない。分かり切った事だが、やらないわけには行かない。
登校時間までには数十分程の余裕があって、そして、その余裕を問題解決のためにぼくは活かさなければならない。
踊り場から這い上って外側に降りる。そして両腕を思いっきり延ばせば窓に届く筈だ。ああ、でも窓には鍵がかかっているのか。
階下に降りる度にずっとやっているのは、その手の悪足掻きのシミュレーションばかりだ。
ちょっと冷静になろう。
昼飯はいつもの様に用意してあるか、さもなければ食事代が置いてある筈だ。それは弟が帰宅すれば、手に入る。
午後は誰とも約束していない。だから、今日一日、制服姿であったとしても、やり過ごせるだろう。
いっその事、学校をさぼると謂う手立てはある。だが、あとあと、それがばれた場合が面倒だ。
ところで、今日の授業は、体育と美術とホームルームだ。
この4月、であったばかりの担任が土曜日に相応しい時間割だろうとほざいたが、むしろ、逆だ。体育と美術とホームルームのためだけに、わざわざ半日を潰すのは馬鹿馬鹿しい。却って徒労感が増すばかりなのだ。
だが、逆に今のぼくにとっては、この時間割は救いだった。
体操着も画材道具もロッカーの中だ。最後の1限のためには筆記用具は必要かもしれないが、それはなんとかなるだろう。
ぼくは重い腰をあげて、学校に向かった。
ぼくの記憶はそこで終わっている。
だから、その日一日、なんの問題もなく過ぎたのだろう。
ただ、登下校時の手持ちぶたさだけが、とても不思議な感覚として遺っている。
誰も指摘こそしないが、帽子もかぶらず、手ぶらのままでいるのは、なんとなくおかしい。でも、そう考えるのは、ぼくの方だけなのか。
他の生徒達と明らかに異なる佇まいなのに、その不自然さは、誰もが御構い無しなのだ。
そして、その日以降ぼくは、螺子の様なものが2,3本、抜けてしまった様な気がしてならない。

"Come Saturday Morning" for the movie "The Sterile Cuckoo" 1969 directed by Alan J. Pakula, from the album "Come Saturday Morning
" by The Sandpipers
次回は「さ」。
昭和の時代、数十年も昔だ。
ぼくは中学生で、週に一度、整形外科に通っていた。右腕が痛むのだ。医師のみたては、成長痛であって、鎮痛剤を処方してもらっていた。
この痛みは、学生時代終始つきまとい、何度も専門医を紹介してもらってはいたがその度に原因不明で何も解決しない。その医師の処方する薬でずっと、痛みを紛らわしていた訳である。
その病院は朝7時から診察を行なっていた。学生や会社員への配慮なのだろう。
毎週、制服に着替えてから登校前に行き、痛む腕を診てもらい、一週間分の薬をもらう。それが土曜日の日課だった。
場所は自転車で数分のところにあり、中学校とは反対方向、しかも自転車通学は禁じられている。
だから、診察を終えた後に一度帰宅してそれから登校する。
その朝、いつもの様に診察を終えて帰宅すると、鍵が開かない。いつもならばまだいる筈の母親が、とっくに出勤してしまったのだ。
手許にあるのは、小銭とさっきもらったばかりの薬と自転車の鍵で、鞄と学生帽は家の中だ。
家は、4階建の市営団地の3階にあり、さっきからぼくは登ったり降りたりしている。そして、家の前に着くたびに、ドアノブをひねるが、勿論、開かない。分かり切った事だが、やらないわけには行かない。
登校時間までには数十分程の余裕があって、そして、その余裕を問題解決のためにぼくは活かさなければならない。
踊り場から這い上って外側に降りる。そして両腕を思いっきり延ばせば窓に届く筈だ。ああ、でも窓には鍵がかかっているのか。
階下に降りる度にずっとやっているのは、その手の悪足掻きのシミュレーションばかりだ。
ちょっと冷静になろう。
昼飯はいつもの様に用意してあるか、さもなければ食事代が置いてある筈だ。それは弟が帰宅すれば、手に入る。
午後は誰とも約束していない。だから、今日一日、制服姿であったとしても、やり過ごせるだろう。
いっその事、学校をさぼると謂う手立てはある。だが、あとあと、それがばれた場合が面倒だ。
ところで、今日の授業は、体育と美術とホームルームだ。
この4月、であったばかりの担任が土曜日に相応しい時間割だろうとほざいたが、むしろ、逆だ。体育と美術とホームルームのためだけに、わざわざ半日を潰すのは馬鹿馬鹿しい。却って徒労感が増すばかりなのだ。
だが、逆に今のぼくにとっては、この時間割は救いだった。
体操着も画材道具もロッカーの中だ。最後の1限のためには筆記用具は必要かもしれないが、それはなんとかなるだろう。
ぼくは重い腰をあげて、学校に向かった。
ぼくの記憶はそこで終わっている。
だから、その日一日、なんの問題もなく過ぎたのだろう。
ただ、登下校時の手持ちぶたさだけが、とても不思議な感覚として遺っている。
誰も指摘こそしないが、帽子もかぶらず、手ぶらのままでいるのは、なんとなくおかしい。でも、そう考えるのは、ぼくの方だけなのか。
他の生徒達と明らかに異なる佇まいなのに、その不自然さは、誰もが御構い無しなのだ。
そして、その日以降ぼくは、螺子の様なものが2,3本、抜けてしまった様な気がしてならない。

"Come Saturday Morning" for the movie "The Sterile Cuckoo" 1969 directed by Alan J. Pakula, from the album "Come Saturday Morning
次回は「さ」。
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