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2017.06.13.09.18

いそのふさい

と、謂えば磯野波平 (Namihei Isono) と磯野フネ (Fune Isono)、謂わずと知れた『サザエさん (Sazae-san)』 [原作:長谷川町子 (Machiko Hasegawa) 19461974夕刊フクニチ新夕刊朝日新聞連載 1969フジテレビ系列放映] の登場人物である。
このふたりの名前を分解すると、平かな波の上に浮かぶ1艘の舟と謂う極めて情緒的な光景を構築出来るのではあるが、果たしてそれでいいのだろうか。

その光景は、夫すなわち男性が妻すなわち女性を下から支えると謂う構図へと翻案する事が出来て、夫=男性と妻=女性の有り様としては、決してありえない光景ではない。
だけれども、なんとなく腑に落ちない。
それは、彼等が活躍する作品内で設定されているふたりの性格や行動様式を念頭にしているから、であるのだろうか。

それに関する考察は後回しにして、とりあえず、少し別の事を考えてみる。

船舶は英語圏では女性名詞 (Feminine Noun) であるから、それを念頭に置けば、磯野家 (The Isonos) の妻の名称をフネ (Fune) とするのは決してやぶさかではない。尤も、こちらでは日本語に於けるそれは男性名詞 (Masculine Noun) ではないかと謂う指摘があって、ここで先ず混乱する。だがそちらで語られている論の根拠として挙げられている、船舶の名称に於ける (Maru-ship) の出自に関しては、諸説ある様で、単純にそちらでの考察を是と受け入れるのには躊躇われる。

さて、その一方で波の属性ないしはそれが表象するモノはなにかと考えると、とても危うい。
極めて男性的な荒々らしさの象徴として語られる場合もあるだろうし、その逆に、安らかな時は、母性の権限であるかの様にも語られる場合もある。

[最初、波を海に還元して考えていたのだが、磯野波平 (Namihei Isono) には双子の兄弟の、磯野海平 (Umihei Isono) と謂う存在があり、単純な換言を良しとする事が出来ないのであった。]

だから、きっと、そおおゆうアプローチの仕方ではきっと、この夫婦の問題は解決出来ないのであろう。

ただ、例えば、磯野波平 (Namihei Isono) は自身の子供達に、雷を落とす事は多々あるが、寡聞して、彼の怒りの矛先がその妻に向かう例をみた記憶はない。
その逆に、妻が夫に対し、遠慮呵責のない怒りをぶちまけると謂う例は、幾つもみた様な気がする。

images
葛飾北斎 (Katsushika Hokusai) 画『冨嶽三十六景 (Thirty-six Views Of Mount Fuji)』より『神奈川沖浪裏 (The Great Wave off Kanagawa)』

波と舟との比喩で語れば、上に掲げた様な、荒波に翻弄される小舟の様な状況に陥る事は、この夫婦の場合、ありえない事なのだ。
それとも、如何なる大波であっても怖れる必要のない舟、例えば陸海空は勿論、地底をも進攻可能な轟天号 (Gotengo) [映画『海底軍艦 (Atragon)』 本多猪四郎 (Ishiro Honda) 監督作品 1963年制作] の様な存在として、磯野フネ (Fune Isono) を認識していればいいのだろうか。

ここでぼく個人としては磯野フネ (Fune Isono) 最強説をぶち上げたいところではあるのだが、まだ論拠とすべき例証の収拾は充分ではない。

それよりも、磯野波平 (Namihei Isono) と磯野フネ (Fune Isono) における、性別の変換に関して指摘しておきたい。
この夫妻は、夫=男性と妻=女性と謂う家庭内の役割に於いては、旧来からの家制度に従順である様にみえて、時として性格や立場や役割が逆転する場合がある様に思えてならない。
つまり、磯野波平 (Namihei Isono) の中の女性的なモノが発露する場合と磯野フネ (Fune Isono) の中の男性的なモノが発露する場合が、時折、みうけられる、と謂う事だ。

勿論、それはこの夫妻だけに限った事ではない。
彼等の嫁夫婦であるフグ田マスオ (Masuo Fuguta) とフグ田サザエ (Sazae Fuguta) にもあるもので、寧ろ、そちらの方が頻繁に露骨に顕現する。
俗な表現をすればそれは蚤の夫婦 (A Little Man With A Big Wife) と謂うのが可能である。
しかもそれは、もしかすると将来は夫婦になるかもしれない、磯野カツオ (Katsuo Isono) と花沢花子 (Hanako Hanazawa) もそうなのかもしれず、恐妻家 (A Henpecked Husband) で知られる穴子 (Anago) に関しては、論ずる必要すらない。

少なくとも、この作品の世界観を形作る幾つもの要素の中で、男女関係と謂うモノはその様な姿をもって顕現しているのではないだろうか。

次回もさらに「」。
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