2016.11.08.10.02
行く当てもなく下校するぼく達の後ろからKが駆け込んでくるなり、こう叫んだ。
「どうしよう、告白られちゃった」
最期の最後の土壇場だ。
ぼく達は苦笑をこらえきれない。
高校の最終学年になった頃から、みんな妙に切羽詰まっていた。これから先、どうしよう。大雑把に進学の意向は、親や担任に告げてはみたものの、こればかりは自身の一存ではすまない問題だ。
これから先の将来と謂う、何やらあやしげで不確かなもののおかげで、毎日毎日が妙に息苦しい。
それが契機になったのか、学年内やクラス内で恋愛が活性化し、やたらとカップルが誕生し始めたのだ。
おそらくそれは、ぼく達の高校が新設校であって、しかも市街地のはずれにあったせいなのだろう。他校との交流もおぼつかなく、仮にそれがあっても、あまりいい評価は下されてはいない。
建前上は全日制の普通科で進学校をうたってはいたものの、その成果はまだ零だ。ここに赴任した教師達はここで自身の実績をあげようと躍起にはなってはいたものの、当のぼく達にそんな気概はさらさらなかったのだ。
だから、高校三年生の受験生にあるまじき色恋沙汰は日常茶飯事で、いまここにいる誰もが、すいたすかれた、惚れた惚れられた、ふったふられた、そのいずれかは体験済みだったのだ。
しかも、校内というとても狭い世界の中での話だ。ここにいる誰かと誰かは、当人の気づかないところで恋敵であったり、鞘当てを演じている可能性すらないわけではない。
それがKの身にふりかかっても誰も驚きはしない。至極あたりまえの話だ。
Kの意中の人はここにいるみんなが知っている。それとは別の女か。
いや、そうではない。
ぼく達がせせら笑ってしまったのは、今日が卒業式だったからだ。
卒業式とはいえ、高校生という箍が外れてしまっても、それから先のことは、みんながみんな怪しかった。入試の大半は終わって、しかもそれらのほとんどは不合格だったし、試験は終えたものの合否の発表はまだ先のものだってある。運良く合格通知をもらえたところは滑り止めでしかなかったし、その一方で現役合格にどこまでも拘泥すれば、まだ間に合う学校だっていくらでもあるのだ。
簡単に謂ってしまえば、3年生になってばかりの途方に暮れていた時期がここで、ぎゅっと濃縮されてしまった様な、中途半端さにぼく達はいた。
だからぼく達はここで立ち止まって、もらったばかりの卒業写真集を開く事にした。Kの告白相手の顔を拝む以外に、この話題を膨らませて愉しむ方法が思いつかなかったからだ。
「Aって何組だ」「8組」「どんな娘だよ」「お前、同じクラスじゃんか」「進路が違うから、同じクラスって言われても、なぁ」「英語の授業は隣なんだけど、まさかなぁ」
ここで補足すると、進路や成績の優越によって、授業を受けるクラスが変わるのだ。
Kに告白したAとぼくは、英語と数学の授業が一緒だったが、フルネームを聞いてもその表情が浮かばまい。ぼくにとってのAという生徒はそんな女子だった。
「で、どうするの」
「うん。だから明日、ふたりであうんだ」
その「明日」になにがあったのかは聴いてはいない。
現役で大学生になる奴らと、東京の受験予備校に通う事になった奴らとはそれっきりだった。
だが、ぼく達の大半は地元の受験予備校に通い、高校3年生の延長の様な生活をもう1年、強いられる事になる。
Aは地元の短大に入学し、Kは自宅での浪人生活を選んだ。

上掲画像は映画『スローなブギにしてくれ
(Play It, Boogie-Woogie)』[藤田敏八 (Toshiya Fujita) 監督作品 1981年制作] のポスター [こちらより]。その当時の封切り先品と謂うただそれだけの理由で掲載する。
次回は「な」。
「どうしよう、告白られちゃった」
最期の最後の土壇場だ。
ぼく達は苦笑をこらえきれない。
高校の最終学年になった頃から、みんな妙に切羽詰まっていた。これから先、どうしよう。大雑把に進学の意向は、親や担任に告げてはみたものの、こればかりは自身の一存ではすまない問題だ。
これから先の将来と謂う、何やらあやしげで不確かなもののおかげで、毎日毎日が妙に息苦しい。
それが契機になったのか、学年内やクラス内で恋愛が活性化し、やたらとカップルが誕生し始めたのだ。
おそらくそれは、ぼく達の高校が新設校であって、しかも市街地のはずれにあったせいなのだろう。他校との交流もおぼつかなく、仮にそれがあっても、あまりいい評価は下されてはいない。
建前上は全日制の普通科で進学校をうたってはいたものの、その成果はまだ零だ。ここに赴任した教師達はここで自身の実績をあげようと躍起にはなってはいたものの、当のぼく達にそんな気概はさらさらなかったのだ。
だから、高校三年生の受験生にあるまじき色恋沙汰は日常茶飯事で、いまここにいる誰もが、すいたすかれた、惚れた惚れられた、ふったふられた、そのいずれかは体験済みだったのだ。
しかも、校内というとても狭い世界の中での話だ。ここにいる誰かと誰かは、当人の気づかないところで恋敵であったり、鞘当てを演じている可能性すらないわけではない。
それがKの身にふりかかっても誰も驚きはしない。至極あたりまえの話だ。
Kの意中の人はここにいるみんなが知っている。それとは別の女か。
いや、そうではない。
ぼく達がせせら笑ってしまったのは、今日が卒業式だったからだ。
卒業式とはいえ、高校生という箍が外れてしまっても、それから先のことは、みんながみんな怪しかった。入試の大半は終わって、しかもそれらのほとんどは不合格だったし、試験は終えたものの合否の発表はまだ先のものだってある。運良く合格通知をもらえたところは滑り止めでしかなかったし、その一方で現役合格にどこまでも拘泥すれば、まだ間に合う学校だっていくらでもあるのだ。
簡単に謂ってしまえば、3年生になってばかりの途方に暮れていた時期がここで、ぎゅっと濃縮されてしまった様な、中途半端さにぼく達はいた。
だからぼく達はここで立ち止まって、もらったばかりの卒業写真集を開く事にした。Kの告白相手の顔を拝む以外に、この話題を膨らませて愉しむ方法が思いつかなかったからだ。
「Aって何組だ」「8組」「どんな娘だよ」「お前、同じクラスじゃんか」「進路が違うから、同じクラスって言われても、なぁ」「英語の授業は隣なんだけど、まさかなぁ」
ここで補足すると、進路や成績の優越によって、授業を受けるクラスが変わるのだ。
Kに告白したAとぼくは、英語と数学の授業が一緒だったが、フルネームを聞いてもその表情が浮かばまい。ぼくにとってのAという生徒はそんな女子だった。
「で、どうするの」
「うん。だから明日、ふたりであうんだ」
その「明日」になにがあったのかは聴いてはいない。
現役で大学生になる奴らと、東京の受験予備校に通う事になった奴らとはそれっきりだった。
だが、ぼく達の大半は地元の受験予備校に通い、高校3年生の延長の様な生活をもう1年、強いられる事になる。
Aは地元の短大に入学し、Kは自宅での浪人生活を選んだ。

上掲画像は映画『スローなブギにしてくれ
次回は「な」。
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