2016.07.12.09.52
ある日、通学の途中にある1本の電柱に、そのポスターが貼られていたのだった。
一見、黒づくめのガンマン (Gunslinger) が仁王立ちしているが、異様な光景だ。それもその筈で、そのガンマン (Gunslinger) の顔貌の下半分、拳銃を携えた右腕、の内部が剥き出しになっていて、しかもそれらの剥き出しの部位は総て、精密な機械で構成されていたのだった。

映画『ウエストワールド
(Westworld)』 [マイケル・クライトン ( Michael Crichton) 1973年制作] はそんな風にして出逢った。そして、何故、ある映画の記憶がそんな光景で構成されているかと謂うと、そのポスターが掲示された当時、つまり劇場公開時には、観る事が叶わなかった作品であるからだ。
その理由は大人の事情ならぬ家庭の事情がそこに横着しているからであって、子供向けの娯楽映画ならばいざ知らず、字幕公開の洋画に関しては、親の意向が大きく左右されてしまうからであったのだ。
[掲載画像が、その劇場公開時のポスター。こちらから]
観る事は叶わなかったけれども、そしてそれはぼく以外の殆どの同級生もそうだったのだけれども、その映画の意向と趣旨と主張の殆どは、そのポスターから汲み取る事が出来た。
それだけ、そのポスターの完成度と印象度は強く大きなモノだったのだ。
今から考えれば、体内に内蔵された構造物が一部露呈していると謂う映像は、大伴昌司 (Shoji Otomo) が週刊少年マガジン (Weekly Shonen Magazine) のグラビア・ページで展開させていた怪獣の解剖図 (Anatomical Chart Of Kaiju) と同趣向と主張が出来るが、当時のぼく達には、そこまで知恵が廻らない。
逆に現在の視点からみれば、映画『ターミネーター・シリーズ (The Terminator series)』で御馴染みの光景であるし、体内にあるべきモノが著しく露呈したモノと謂う観点だけに着目すれば、ありとあらゆるスプラッター作品 (Splatter Movies) に共通の映像だ。
だがしかし、当時のぼく達が理解しえたのは、同じく大伴昌司 (Shoji Otomo) が週刊少年マガジン (Weekly Shonen Magazine) のグラビア・ページで展開させていた別の特集、それと同趣向であると謂う事だ。
つまりは文明批判乃至は現代批判。
別の特集とは、米パルプ・マガジン (Pulp Magazine) 等に掲載されていた、SF的な光景の事である。機械が人類を凌駕し、人類を駆逐する、もしくは、人類を支配する、そんな破滅的な未来図絵だ。
そしてそれは映画『2001年宇宙の旅
(2001 : A Space Odyssey)』[スタンリー・キューブリック (Stanley Kubrick) 監督作品 1968年制作] でもマンガ『火の鳥 未来編 (Hi no Tori : Phoenix, Future)』 [作:手塚治虫 (osamu Teduka) 1967~1968年 コム (Com) 連載] でも展開された主題でもある。
この映画のあらましを綴れば、過去の時代を範に取った娯楽施設に於いて、装置の誤作動から、本来ならば娯楽の興を添えるべき人工物が、そこを訪れた観客を襲うと謂うモノだ。
ポスターに映るそのガンマン (Gunslinger) は、娯楽施設のひとつにある西部劇 (Western) の再演、ウエストワールド (Westworld) の人造物のひとつではあり、それが主人公達を執拗につけ狙うのである。
人類が産み出しえた被創造物が創造者たる人類を逆襲する、そんな物語は過去、幾らでも語られてはいたけれども、この映画 [ならぬ正確に綴ればポスター] がショッキングなのは、被創造物が創造者とそっくりな容貌をしている上に、現在ではない過去の時代の様装をしているのも、その一因ではあるだろう。
例えば、西部劇 (Western) の時代に既に、そんなガンマン (Gunslinger) が存在していたと、誤読する事すらも許されているという訳なのだ。
だけれども、それは当時のぼく達がなし得る最大の解釈ではあるが、もしも、映画好きの年長者がその映画 [ならぬ正確に綴ればポスター] を観れば、また異なる感慨を得るのに違いない。
と、謂うのは、そのポスター上にあるガンマン (Gunslinger) は、ユル・ブリンナー (Yul Brynner) が演じていて、しかも、その装いはかつて彼が主演した映画『荒野の七人
(The Magnificent Seven)』 [ジョン・スタージェス (John Sturges) 監督作品 1960年制作] の主人公のひとり、クリス・アダムズ (Chris Adams) そのままであるからなのであった。
これは所謂、映画的引用 (Film Sampling) なのだろうか。
西部劇 (Western) と謂う世界観には、実在の人物であれ創造上の人物であれ、数多くの英雄 (Hero) または悪漢 (Villan) が登場したのだから、何故、その作品に於いて、ユル・ブリンナー (Yul Brynner) が演じたクリス・アダムズ (Chris Adams) が選ばれたのかと謂う点に関しては、考える価値はあると思う。
つまり例えばジョン・ウェイン (John Wayne) では何故、駄目なのだろうか、と。勿論、作品自体の要請として考える事は可能ではあるもののその一方で、そこにはそれを実現させる為の幾つもの高い障壁が待ち構えているだろう事は想像に難くないのではあるが。
恐らく、その映画に於いて、ユル・ブリンナー (Yul Brynner) が演じたクリス・アダムズ (Chris Adams) が登場した所以は、一目で彼と解ると謂う一点に尽きるのではないだろうか。
禿頭 (Skinhead) の黒づくめのガンマン (Gunslinger) と謂えば、彼が演じたあの人物しかいない。6人の荒くれガンマン (Gunslinger) を指揮して、無法者 (Outlaw) の一群から村を護った、あの彼だ。
そんな無敵 (Invincible) の正義漢 (Hero) である彼が、我々人類に敵対するのだ。
もし仮に、ジョン・ウェイン (John Wayne) が引き受けたとしても、銀幕の彼をみて、映画『駅馬車
(Stagecoach)』 [ジョン・フォード (John Ford) 1939年制作] での脱獄囚 (Prison Breaker) のリンゴ・キッド (The Ringo Kid) を想起するモノもいれば、映画『リオ・ブラボー
(Rio Bravo)』 [ハワード・ホークス (Howard Hawks) 監督作品 1959年制作] での孤立した保安官 (Sheriff) のジョン・T・チャンス (John T. Chance) を想起するモノもいる。リンゴ・キッド (The Ringo Kid) とジョン・T・チャンス (John T. Chance) とは、どちらもジョン・ウェイン (John Wayne) ではあるしジョン・ウェイン (John Wayne) でなければ成し得なかった役ではあるけれども、役柄の設定は大違いだ。
それらを一切合切引き受けて、映画的引用 (Film Sampling) が可能か否か。
そういう様な事を考え出すと、映画『ウエストワールド
(Westworld)』に於けるユル・ブリンナー (Yul Brynner) は、映画『ターミネーター・シリーズ (The Terminator series)』に於けるアーノルド・シュワルツェネッガー (Arnold Schwarzenegger) の元型 (Archetyp) であると謂えなくもない。
演技者での巧拙よりも先ず、その肉体の存在感故に、幾つも主演を演じる一方で、タール・バイ・グラーツ (Thal) 出身であるが故に、米語 (American English) での台詞廻しの拙さを逆に有効化した、文字通り無骨なターミネイター T-800 (Cyberdyne Systems Model 101 Series 800 Version 2.4) と謂う役は、アーノルド・シュワルツェネッガー (Arnold Schwarzenegger) と謂う俳優自体の映画的引用 (Film Sampling) である。
尤も、ユル・ブリンナー (Yul Brynner) とは逆に、アーノルド・シュワルツェネッガー (Arnold Schwarzenegger) は悪役 (Villan) から正義の味方 (Hero) へと転身する訳ではあるのだけれども。
次回は「ど」。
附記 1.:
映画『ジュラシック・パーク
(Jurassic Park)』 [スティーヴン・スピルバーグ (Steven Spielberg) 監督作品 1993年制作] の公開時、映画『ウエストワールド
(Westworld)』とよく似た物語設定だなぁと思ったら、どちらもマイケル・クライトン ( Michael Crichton) 作品であったのだった。
附記 2.:
藤子・F・不二雄 (Fujiko F Fujio) の短編漫画に『休日のガンマン
(Gunslinger On Holiday)』 [1973年 ビッグコミック掲載] と謂う作品がある。これも、西部劇 (Western) の世界を模した娯楽施設が舞台の物語だ。
だけれども、作品が向いているベクトルが真っ向から違う。
映画『ウエストワールド
(Westworld)』を、仮想世界が現実を侵犯する物語だとすれば、マンガ『休日のガンマン
(Gunslinger On Holiday)』は逆に仮想世界を現実が侵犯する物語だ。
マンガ『休日のガンマン
(Gunslinger On Holiday)』に登場する主人公鈴木 (Suzuki) は、西部劇 (Western) の英雄ジェシイ・ジェイムズ (Jesse James) になりきろうと行動するが、いつまでもどこまでも彼は、しがないサラリーマン (Office Worker) でしかない鈴木 (Suzuki) が棲まう現実世界のしがらみにつきまとわれる事になる。
一見、黒づくめのガンマン (Gunslinger) が仁王立ちしているが、異様な光景だ。それもその筈で、そのガンマン (Gunslinger) の顔貌の下半分、拳銃を携えた右腕、の内部が剥き出しになっていて、しかもそれらの剥き出しの部位は総て、精密な機械で構成されていたのだった。

映画『ウエストワールド
その理由は大人の事情ならぬ家庭の事情がそこに横着しているからであって、子供向けの娯楽映画ならばいざ知らず、字幕公開の洋画に関しては、親の意向が大きく左右されてしまうからであったのだ。
[掲載画像が、その劇場公開時のポスター。こちらから]
観る事は叶わなかったけれども、そしてそれはぼく以外の殆どの同級生もそうだったのだけれども、その映画の意向と趣旨と主張の殆どは、そのポスターから汲み取る事が出来た。
それだけ、そのポスターの完成度と印象度は強く大きなモノだったのだ。
今から考えれば、体内に内蔵された構造物が一部露呈していると謂う映像は、大伴昌司 (Shoji Otomo) が週刊少年マガジン (Weekly Shonen Magazine) のグラビア・ページで展開させていた怪獣の解剖図 (Anatomical Chart Of Kaiju) と同趣向と主張が出来るが、当時のぼく達には、そこまで知恵が廻らない。
逆に現在の視点からみれば、映画『ターミネーター・シリーズ (The Terminator series)』で御馴染みの光景であるし、体内にあるべきモノが著しく露呈したモノと謂う観点だけに着目すれば、ありとあらゆるスプラッター作品 (Splatter Movies) に共通の映像だ。
だがしかし、当時のぼく達が理解しえたのは、同じく大伴昌司 (Shoji Otomo) が週刊少年マガジン (Weekly Shonen Magazine) のグラビア・ページで展開させていた別の特集、それと同趣向であると謂う事だ。
つまりは文明批判乃至は現代批判。
別の特集とは、米パルプ・マガジン (Pulp Magazine) 等に掲載されていた、SF的な光景の事である。機械が人類を凌駕し、人類を駆逐する、もしくは、人類を支配する、そんな破滅的な未来図絵だ。
そしてそれは映画『2001年宇宙の旅
この映画のあらましを綴れば、過去の時代を範に取った娯楽施設に於いて、装置の誤作動から、本来ならば娯楽の興を添えるべき人工物が、そこを訪れた観客を襲うと謂うモノだ。
ポスターに映るそのガンマン (Gunslinger) は、娯楽施設のひとつにある西部劇 (Western) の再演、ウエストワールド (Westworld) の人造物のひとつではあり、それが主人公達を執拗につけ狙うのである。
人類が産み出しえた被創造物が創造者たる人類を逆襲する、そんな物語は過去、幾らでも語られてはいたけれども、この映画 [ならぬ正確に綴ればポスター] がショッキングなのは、被創造物が創造者とそっくりな容貌をしている上に、現在ではない過去の時代の様装をしているのも、その一因ではあるだろう。
例えば、西部劇 (Western) の時代に既に、そんなガンマン (Gunslinger) が存在していたと、誤読する事すらも許されているという訳なのだ。
だけれども、それは当時のぼく達がなし得る最大の解釈ではあるが、もしも、映画好きの年長者がその映画 [ならぬ正確に綴ればポスター] を観れば、また異なる感慨を得るのに違いない。
と、謂うのは、そのポスター上にあるガンマン (Gunslinger) は、ユル・ブリンナー (Yul Brynner) が演じていて、しかも、その装いはかつて彼が主演した映画『荒野の七人
これは所謂、映画的引用 (Film Sampling) なのだろうか。
西部劇 (Western) と謂う世界観には、実在の人物であれ創造上の人物であれ、数多くの英雄 (Hero) または悪漢 (Villan) が登場したのだから、何故、その作品に於いて、ユル・ブリンナー (Yul Brynner) が演じたクリス・アダムズ (Chris Adams) が選ばれたのかと謂う点に関しては、考える価値はあると思う。
つまり例えばジョン・ウェイン (John Wayne) では何故、駄目なのだろうか、と。勿論、作品自体の要請として考える事は可能ではあるもののその一方で、そこにはそれを実現させる為の幾つもの高い障壁が待ち構えているだろう事は想像に難くないのではあるが。
恐らく、その映画に於いて、ユル・ブリンナー (Yul Brynner) が演じたクリス・アダムズ (Chris Adams) が登場した所以は、一目で彼と解ると謂う一点に尽きるのではないだろうか。
禿頭 (Skinhead) の黒づくめのガンマン (Gunslinger) と謂えば、彼が演じたあの人物しかいない。6人の荒くれガンマン (Gunslinger) を指揮して、無法者 (Outlaw) の一群から村を護った、あの彼だ。
そんな無敵 (Invincible) の正義漢 (Hero) である彼が、我々人類に敵対するのだ。
もし仮に、ジョン・ウェイン (John Wayne) が引き受けたとしても、銀幕の彼をみて、映画『駅馬車
それらを一切合切引き受けて、映画的引用 (Film Sampling) が可能か否か。
そういう様な事を考え出すと、映画『ウエストワールド
演技者での巧拙よりも先ず、その肉体の存在感故に、幾つも主演を演じる一方で、タール・バイ・グラーツ (Thal) 出身であるが故に、米語 (American English) での台詞廻しの拙さを逆に有効化した、文字通り無骨なターミネイター T-800 (Cyberdyne Systems Model 101 Series 800 Version 2.4) と謂う役は、アーノルド・シュワルツェネッガー (Arnold Schwarzenegger) と謂う俳優自体の映画的引用 (Film Sampling) である。
尤も、ユル・ブリンナー (Yul Brynner) とは逆に、アーノルド・シュワルツェネッガー (Arnold Schwarzenegger) は悪役 (Villan) から正義の味方 (Hero) へと転身する訳ではあるのだけれども。
次回は「ど」。
附記 1.:
映画『ジュラシック・パーク
附記 2.:
藤子・F・不二雄 (Fujiko F Fujio) の短編漫画に『休日のガンマン
だけれども、作品が向いているベクトルが真っ向から違う。
映画『ウエストワールド
マンガ『休日のガンマン
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