2016.03.22.11.53
とは、ルイス・キャロル (Lewis Carroll) 作の長編詩『海象と大工 (The Walrus And The Carpenter)』の事で、その詩は彼の小説『鏡の国のアリス (Through The Looking-Glass, And What Alice Found There)』 [1871年発表] の中に登場する。その物語の登場人物であるふたり、トゥイードルダムとトゥイードルディー (Tweedledum And Tweedledee) が主人公アリス (Alice) に向けて諳んじてみせるのだ [邦訳はこちら、原文はこちら]。
その詩の内容をかいつまんでみれば、海象 (The Walrus) と大工 (The Carpenter) が策略を巡らして牡蠣 (The Oysters) 達を散歩に誘い、あろう事か、誘い出した牡蠣 (The Oysters) 達を遺らずふたりで平らげてしまうと謂うものだ。
詩の朗詠が終わるや否や、アリス (Alice) はその詩の登場人物達の態度と行為に関して感想を述べる訳だが彼女同様に、恐らく、そのどちらを支持するや否やに関しては、読者達にとっても長い長い議論が待ち受けているのに違いない。
海象 (The Walrus) は喰われる牡蠣 (The Oysters) 達を憐れんで泣きながら彼等を喰ったが、その数は大工 (The Carpenter) よりも多かった。だからと謂って、大工 (The Carpenter) 自身も喰えるだけ思う存分に喰らったのだ。
一体、どちらが酷い? それとも一体、どちらがまし?
ザ・ビートルズ (The Beatles) 在籍時代のジョン・レノン (John Lennon) は、自身の見解をひとつの楽曲として発表している。
『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
)』と謂うその楽曲はTV番組『マジカル・ミステリー・ツアー
(Magical Mystery Tour)』 [1967年 BBC 1放映] の収録楽曲として制作され、現在ではアルバム『マジカル・ミステリー・ツアー (Magical Mystery Tour)
』 [1967年発表] に収録されている。
その歌詞の冒頭はこうだ。
「ぼくが彼であるように彼がきみであるようにきみはぼくなのだからみんなは一緒さ (I Am He As You Are He As You Are Me And We Are All Together)」
この描写はそっくりそのまま、アリス (Alice) が外見上殆ど見分けがつかないトゥイードルダムとトゥイードルディー (Tweedledum And Tweedledee) に出逢って、ふたりに同時に握手しようとしたところ、さんにんで輪になって踊ってしまったその光景にそっくりなのである。
そう、『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
)』と謂う楽曲は、小説『鏡の国のアリス (Through The Looking-Glass, And What Alice Found There)』のこの章をそっくりそのまま音楽的に解釈した様な展開をみせてゆく。
例えば、コーラス部に登場する歌詞「ぼくは泣いている (I'm Crying)」は、泣きながら牡蠣 (The Oysters) 達を喰う海象 (The Walrus) の描写であると同時に、その一方で、物の見事に、眠りこけている赤の王様 (The Red King) を発見してアリス (Alice) が泣き出す光景そのままだ。
アリス (Alice) はここで、トゥイードルダムとトゥイードルディー (Tweedledum And Tweedledee) のふたりに自身が赤の王様 (The Red King) の夢の中の登場人物ではないかと疑われてしまったからである。
と、綴るこの文章のここだけを読んで、アリス (Alice) の幼さを笑う事は簡単なのだが、この章の前の章で、アリス (Alice) は名無しの森 (The Wood Where Things Have No Names) に迷い込んでしまい、自分自身の名前を忘れてしまったばかりなのだからと謂えば、彼女を擁護した事になるのだろうか。
いや、実際、この小説『鏡の国のアリス (Through The Looking-Glass, And What Alice Found There)』はアリス (Alice) が自己の地位を確立するまでの物語、喪われたアイデンティティー (Identity) 獲得の物語と読めなくもないのである。
閑話休題 (Get Back On Topic)。
楽曲『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
)』の歌詞は、一読したところ意味不明の言説だけがまかり通っている様に読める。それを歌詞中にある「空中のルーシーみたいに飛ぶその様をみてごらん (See How They Fly Like Lucy In The Sky)」を当て込んでドラッグ (Drug) のせいだと断定するのは簡単だ [補足すると、この歌詞の基になったザ・ビートルズ (The Beatles) の楽曲『『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ ( Lucy In The Sky With Diamonds)』 [アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)
』収録 1967年発表] の頭文字を読むとエル・エス・ディー (LSD : Lysergic Acid Diethylamide) となって、その曲は発表当時からドラッグ・ソング (Drug Song) と断罪されていた。その断罪の可否はともかく異なる楽曲にこうして登場する事はそんな周囲の判断を当て込んでいると謂う前提で解釈しても穿ち過ぎではないだろう]。
だけれども、長編詩『海象と大工 (The Walrus And The Carpenter)』の中の、物の見事に牡蠣 (The Oysters) 達を誘い出した際に発する海象 (The Walrus) のその台詞の理解し難さにも、『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
)』の歌詞は相通じているのだ。
猶、海象 (The Walrus) がここで理解不能な言説を発し続けているのは、御馳走である牡蠣 (The Oysters) 達を目の前にして、舌舐めずりに呂律が妖しくなっているからだと解釈されている。
だから、楽曲『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
)』の歌詞における大枠の主張は、曲名でもあるそのコーラス部終章に顕れる「ぼくは海象 (I Am The Walrus)」、この一言に尽きると思う。
つまり、大工 (The Carpenter) ではなくて海象 (The Walrus) なのだ。
ではその海象 (The Walrus) とは一体何か、と謂う疑問が沸き起こるが、その前にこの楽曲にはもうひとり、重要な人物が登場している事を紹介しよう。
玉子男 (The Eggman) である。楽曲のコーラス部に何度となく登場する。「ぼくが玉子男ならばやつらだって玉子男さ (I Am The Eggman, They Are The Eggmen)」と。
玉子男 (The Eggman) と謂えば、小説『鏡の国のアリス (Through The Looking-Glass, And What Alice Found There)』の、この後の章にハンプティ・ダンプティ (Humpty Dumpty) が登場する。そしてそれをも踏まえて、楽曲『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
)』は小説『鏡の国のアリス (Through The Looking-Glass, And What Alice Found There)』の影響下の基で誕生したと謂われている。
さらに謂えば、トゥイードルダムとトゥイードルディー (Tweedledum And Tweedledee) もハンプティ・ダンプティ (Humpty Dumpty) も本来はマザー・グース (Mother Goose) の一篇である事から、その楽曲へのマザー・グース (Mother Goose) からの影響を指摘する声もある。
と謂うか、この楽曲はマザー・グース (Mother Goose) や小説『鏡の国のアリス (Through The Looking-Glass, And What Alice Found There)』の影響下で制作されたと謂う言説で持って事足れりとし、そこで判断停止となっている論評の方が多い。
だが、それはそれとして、楽曲制作当時、ジョン・レノン (John Lennon) の周囲には玉子男 (The Eggman) と呼ばれる男、いや違う、彼が玉子男 (The Eggman) と呼んでいる人物は存在していたのである。
アニマルズ (The Animals) のヴォーカリスト、エリック・バードン (Eric Burdon) である。彼が何故、玉子男 (The Eggman) と呼ばれていたかは諸説 [興味のある方は、玉子男 (The Eggman) とエリック・バードン (Eric Burdon) を英文で検索してみると良い] 入り乱れているが、例えどんな説に従おうとも、この名称が侮蔑的である事には変わりない。個人的には、当時の彼の相貌は玉子男 (The Eggman) と呼ばれても説得され得るモノにも思えるのだが、ここでは単純に、エリック・バードン (Eric Burdon) が玉子男 (The Eggman) と呼ばれ、ジョン・レノン (John Lennon) から軽蔑されていたと謂う事実だけを認識していれば良い。
と、謂うのは、アニマルズ (The Animals) のヒット曲に『アイム・クライング (I'm Crying)』 [アルバム『ベスト・オブ・アニマルズ (The best of The Animals)
』収録 1964年発表] があり、そのコーラス部では何度も何度もエリック・バードン (Eric Burdon) が「ぼくは泣いている (I'm Crying)」と歌唄しているからなのだ。
ここで再び、整理しよう。
大工 (The Carpenter) と一緒に大好物の牡蠣 (The Oysters) 達を喰いながら、その牡蠣 (The Oysters) 達の身を憐れんで、海象 (The Walrus) は泣いている (I'm Crying)。
一方で、侮蔑すべき人物は別名玉子男 (The Eggman) と呼ばれ、彼もまた「ぼくは泣いている (I'm Crying)」と歌っている。
そして、ぼくもやつらも玉子男 (The Eggman) であり、ぼくもまた海象 (The Walrus) なのだ。
それはつまり「ぼくが彼であるように彼がきみであるようにきみはぼくなのだからみんなは一緒さ (I Am He As You Are He As You Are Me And We Are All Together)」。
なぜならば、トゥイードルダムとトゥイードルディー (Tweedledum And Tweedledee) のいずれがいずれなのか判断が覚束無いその上に、アリス (Alice) さえもが我が身の存在の危うさを儚んで泣いている (I'm Crying) のだから。
『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
)』と謂う楽曲に込められたメッセージとは以上の様なモノだとぼくは理解しているが如何か。
例えば歌詞冒頭の「ぼくが彼であるように彼がきみであるようにきみはぼくなのだからみんなは一緒さ (I Am He As You Are He As You Are Me And We Are All Together)」を当時のヒッピー・コミューン (Hippie Communities) に象徴される様な共同幻想への言及、さもなければ同じ作者による楽曲『愛こそはすべて (All You Need Is Love) [アルバム『マジカル・ミステリー・ツアー (Magical Mystery Tour)
』収録 1967年発表] と同種の主張と理解する向きもあるが、むしろ、逆なのではないだろうか。
そんな肯定される様な存在であるよりも、同じ穴の狢 (Birds Of A Feather Flock Together)、団栗の背比べ (There Is Nothing To Choose Between The Two)、五十歩百歩 ( They Are All Much Of A Muchness) とでも謂うべき否定的な見識を伴う代物だろう。
だからジョン・レノン (John Lennon) はザ・ビートルズ (The Beatles) 解散直後、自身の楽曲『ゴッド [神] (God)』 [アルバム『ジョンの魂 (John Lennon / Plastic Ono Band)
』収録 1970年発表] に於いて「かつてのぼくは海象だったでもいまはただのジョンだ (I Was The Walrus But Now I'm John)」と歌わざるを得なかった。かつての彼とも別れるためにも。

確かに、TV番組『マジカル・ミステリー・ツアー
(Magical Mystery Tour)』での『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
)』では、ジョン・レノン (John Lennon) は黒い海象 (The Walrus) の着ぐるみをまとい、白いグランドピアノ (Grand Piano) に向かっている。
[上記掲載画像はこちらから: 並み居る玉子男達 (The Eggmen) を従えて、演奏する仮装したザ・ビートルズ (The Beatles) の面々、即ち左から兎 (Hare) のジョージ・ハリスン (George Harrison)、海象 (The Walrus) のジョン・レノン (John Lennon)、豚 (Hog) のポール・マッカートニー (Paul McCartney) そして道化師 (Clown) のリンゴ・スター (Ringo Starr)]
だけれども、楽曲『グラス・オニオン (Glass Onion)』 [アルバム『ザ・ビートルズ (The Beatles)
』収録 1968年発表] では彼は「海象とはポールのことさ (The Walrus Was Paul)」とも叫んでいるのだ。
ポール・マッカートニー (Paul McCartney) を海象 (The Walrus) とジョン・レノン (John Lennon) に断罪せしめる理由は一体、奈辺にあるのだろうか。
楽曲『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
)』が制作に入る直前に、彼等のマネージャーであるブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) が1967年8月27日に急逝し、今後のバンド運営に関して急遽、ザ・ビートルズ (The Beatles) のメンバー4人がポール・マッカートニー (Paul McCartney) の自宅で会合を持ったと謂う。
果たして、その際に一体、どんな発言が飛び出したのか。
次回は「く」。
附記 1. :
海象 (The Walrus) と謂う語句をぼくは、偽善者 (Hypocrite) と翻訳している。
附記 2. :
トゥイードルダムとトゥイードルディー (Tweedledum And Tweedledee) に関しては拙稿であるこちらも参照のこと。
その詩の内容をかいつまんでみれば、海象 (The Walrus) と大工 (The Carpenter) が策略を巡らして牡蠣 (The Oysters) 達を散歩に誘い、あろう事か、誘い出した牡蠣 (The Oysters) 達を遺らずふたりで平らげてしまうと謂うものだ。
詩の朗詠が終わるや否や、アリス (Alice) はその詩の登場人物達の態度と行為に関して感想を述べる訳だが彼女同様に、恐らく、そのどちらを支持するや否やに関しては、読者達にとっても長い長い議論が待ち受けているのに違いない。
海象 (The Walrus) は喰われる牡蠣 (The Oysters) 達を憐れんで泣きながら彼等を喰ったが、その数は大工 (The Carpenter) よりも多かった。だからと謂って、大工 (The Carpenter) 自身も喰えるだけ思う存分に喰らったのだ。
一体、どちらが酷い? それとも一体、どちらがまし?
ザ・ビートルズ (The Beatles) 在籍時代のジョン・レノン (John Lennon) は、自身の見解をひとつの楽曲として発表している。
『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
その歌詞の冒頭はこうだ。
「ぼくが彼であるように彼がきみであるようにきみはぼくなのだからみんなは一緒さ (I Am He As You Are He As You Are Me And We Are All Together)」
この描写はそっくりそのまま、アリス (Alice) が外見上殆ど見分けがつかないトゥイードルダムとトゥイードルディー (Tweedledum And Tweedledee) に出逢って、ふたりに同時に握手しようとしたところ、さんにんで輪になって踊ってしまったその光景にそっくりなのである。
そう、『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
例えば、コーラス部に登場する歌詞「ぼくは泣いている (I'm Crying)」は、泣きながら牡蠣 (The Oysters) 達を喰う海象 (The Walrus) の描写であると同時に、その一方で、物の見事に、眠りこけている赤の王様 (The Red King) を発見してアリス (Alice) が泣き出す光景そのままだ。
アリス (Alice) はここで、トゥイードルダムとトゥイードルディー (Tweedledum And Tweedledee) のふたりに自身が赤の王様 (The Red King) の夢の中の登場人物ではないかと疑われてしまったからである。
と、綴るこの文章のここだけを読んで、アリス (Alice) の幼さを笑う事は簡単なのだが、この章の前の章で、アリス (Alice) は名無しの森 (The Wood Where Things Have No Names) に迷い込んでしまい、自分自身の名前を忘れてしまったばかりなのだからと謂えば、彼女を擁護した事になるのだろうか。
いや、実際、この小説『鏡の国のアリス (Through The Looking-Glass, And What Alice Found There)』はアリス (Alice) が自己の地位を確立するまでの物語、喪われたアイデンティティー (Identity) 獲得の物語と読めなくもないのである。
閑話休題 (Get Back On Topic)。
楽曲『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
だけれども、長編詩『海象と大工 (The Walrus And The Carpenter)』の中の、物の見事に牡蠣 (The Oysters) 達を誘い出した際に発する海象 (The Walrus) のその台詞の理解し難さにも、『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
猶、海象 (The Walrus) がここで理解不能な言説を発し続けているのは、御馳走である牡蠣 (The Oysters) 達を目の前にして、舌舐めずりに呂律が妖しくなっているからだと解釈されている。
だから、楽曲『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
つまり、大工 (The Carpenter) ではなくて海象 (The Walrus) なのだ。
ではその海象 (The Walrus) とは一体何か、と謂う疑問が沸き起こるが、その前にこの楽曲にはもうひとり、重要な人物が登場している事を紹介しよう。
玉子男 (The Eggman) である。楽曲のコーラス部に何度となく登場する。「ぼくが玉子男ならばやつらだって玉子男さ (I Am The Eggman, They Are The Eggmen)」と。
玉子男 (The Eggman) と謂えば、小説『鏡の国のアリス (Through The Looking-Glass, And What Alice Found There)』の、この後の章にハンプティ・ダンプティ (Humpty Dumpty) が登場する。そしてそれをも踏まえて、楽曲『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
さらに謂えば、トゥイードルダムとトゥイードルディー (Tweedledum And Tweedledee) もハンプティ・ダンプティ (Humpty Dumpty) も本来はマザー・グース (Mother Goose) の一篇である事から、その楽曲へのマザー・グース (Mother Goose) からの影響を指摘する声もある。
と謂うか、この楽曲はマザー・グース (Mother Goose) や小説『鏡の国のアリス (Through The Looking-Glass, And What Alice Found There)』の影響下で制作されたと謂う言説で持って事足れりとし、そこで判断停止となっている論評の方が多い。
だが、それはそれとして、楽曲制作当時、ジョン・レノン (John Lennon) の周囲には玉子男 (The Eggman) と呼ばれる男、いや違う、彼が玉子男 (The Eggman) と呼んでいる人物は存在していたのである。
アニマルズ (The Animals) のヴォーカリスト、エリック・バードン (Eric Burdon) である。彼が何故、玉子男 (The Eggman) と呼ばれていたかは諸説 [興味のある方は、玉子男 (The Eggman) とエリック・バードン (Eric Burdon) を英文で検索してみると良い] 入り乱れているが、例えどんな説に従おうとも、この名称が侮蔑的である事には変わりない。個人的には、当時の彼の相貌は玉子男 (The Eggman) と呼ばれても説得され得るモノにも思えるのだが、ここでは単純に、エリック・バードン (Eric Burdon) が玉子男 (The Eggman) と呼ばれ、ジョン・レノン (John Lennon) から軽蔑されていたと謂う事実だけを認識していれば良い。
と、謂うのは、アニマルズ (The Animals) のヒット曲に『アイム・クライング (I'm Crying)』 [アルバム『ベスト・オブ・アニマルズ (The best of The Animals)
ここで再び、整理しよう。
大工 (The Carpenter) と一緒に大好物の牡蠣 (The Oysters) 達を喰いながら、その牡蠣 (The Oysters) 達の身を憐れんで、海象 (The Walrus) は泣いている (I'm Crying)。
一方で、侮蔑すべき人物は別名玉子男 (The Eggman) と呼ばれ、彼もまた「ぼくは泣いている (I'm Crying)」と歌っている。
そして、ぼくもやつらも玉子男 (The Eggman) であり、ぼくもまた海象 (The Walrus) なのだ。
それはつまり「ぼくが彼であるように彼がきみであるようにきみはぼくなのだからみんなは一緒さ (I Am He As You Are He As You Are Me And We Are All Together)」。
なぜならば、トゥイードルダムとトゥイードルディー (Tweedledum And Tweedledee) のいずれがいずれなのか判断が覚束無いその上に、アリス (Alice) さえもが我が身の存在の危うさを儚んで泣いている (I'm Crying) のだから。
『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
例えば歌詞冒頭の「ぼくが彼であるように彼がきみであるようにきみはぼくなのだからみんなは一緒さ (I Am He As You Are He As You Are Me And We Are All Together)」を当時のヒッピー・コミューン (Hippie Communities) に象徴される様な共同幻想への言及、さもなければ同じ作者による楽曲『愛こそはすべて (All You Need Is Love) [アルバム『マジカル・ミステリー・ツアー (Magical Mystery Tour)
そんな肯定される様な存在であるよりも、同じ穴の狢 (Birds Of A Feather Flock Together)、団栗の背比べ (There Is Nothing To Choose Between The Two)、五十歩百歩 ( They Are All Much Of A Muchness) とでも謂うべき否定的な見識を伴う代物だろう。
だからジョン・レノン (John Lennon) はザ・ビートルズ (The Beatles) 解散直後、自身の楽曲『ゴッド [神] (God)』 [アルバム『ジョンの魂 (John Lennon / Plastic Ono Band)

確かに、TV番組『マジカル・ミステリー・ツアー
[上記掲載画像はこちらから: 並み居る玉子男達 (The Eggmen) を従えて、演奏する仮装したザ・ビートルズ (The Beatles) の面々、即ち左から兎 (Hare) のジョージ・ハリスン (George Harrison)、海象 (The Walrus) のジョン・レノン (John Lennon)、豚 (Hog) のポール・マッカートニー (Paul McCartney) そして道化師 (Clown) のリンゴ・スター (Ringo Starr)]
だけれども、楽曲『グラス・オニオン (Glass Onion)』 [アルバム『ザ・ビートルズ (The Beatles)
ポール・マッカートニー (Paul McCartney) を海象 (The Walrus) とジョン・レノン (John Lennon) に断罪せしめる理由は一体、奈辺にあるのだろうか。
楽曲『アイ・アム・ザ・ウォルラス (I Am The Walrus
果たして、その際に一体、どんな発言が飛び出したのか。
次回は「く」。
附記 1. :
海象 (The Walrus) と謂う語句をぼくは、偽善者 (Hypocrite) と翻訳している。
附記 2. :
トゥイードルダムとトゥイードルディー (Tweedledum And Tweedledee) に関しては拙稿であるこちらも参照のこと。
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