2016.03.15.12.45
天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) は、マンガ『鉄腕アトム (Astro Boy)』 [作:手塚治虫 (Osamu Tezuka 1952~1968年 少年連載] の登場人物のひとり。そのマンガのタイトル・ロールであるロボット、アトム (Atom) の創造主である。
手塚治虫のオフィシャル・サイト (Tezuka Osamu Official) にあるキャラクター名鑑 (Characters Directory) で、彼の人となりがここ (Here) で紹介されているが、そこ (There) に綴られている言葉に関しては少し、違和感がある。
全文引用してやろうかとも思ったが、それには少し長い。興味のある方にはここ (Here) からアクセスしてもらう事にして、尚且つ、それ (It) を読了した事を前提にして、ぼくの中にある違和感をこれから綴ってみたいと思う。
その紹介文に顕れる形容句は一読で印象に遺るモノばかりだ。
曰く「天才 (Genius)」、曰く「エクセントリック (Madness / Lunatic)」、曰く「恐ろしい / Frightful」。
しかもこれらの形容句を裏付ける証拠として差し出されているモノは次のことばだ。
「アトムを創造する天才ぶりを示しながら、しかしそのアトムがロボットゆえに成長しないことにハタと気づき、アトムを見世物に売り飛ばしたりしてしまう」
つまり、そんな彼の行為を指して、彼の人格の象徴としていいのだろうか、と謂うのが、ぼくがこの拙稿で提出したい議案だ。
と、謂うのは、そんな行為は必ずしも彼の専売特許 (Patented Article) ではないからなのである。
小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス
(Frankenstein : Or The Modern Prometheus)』 [作:メアリー・シェリー (Mary Shelley) 1818年刊行] を繙いてみよう。
その小説の主人公、ヴィクター・フランケンシュタイン (Victor Frankenstein) の行動はそのまま天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) のそれと相似形ではなかろうか。
ひとがひとである領分の埒外にある、生命創造に挑む。そしてその挑戦は見事に結実するが、それと同時におのれの犯した行為の恐ろしさに気付かされる。
所謂、フランケンシュタイン・コンプレックス (Frankenstein Complex) と謂うやつだ。
その命名の許となったヴィクター・フランケンシュタイン (Victor Frankenstein) はおのれの産み出した生命の許から出奔し、彼とは逆に、天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) はおのれの産み出した生命を自ら放逐してしまう。創造主と被創造物のいずれが移動するかその違いはあっても、前者と後者の間に物理的にも精神的にも多大な距離が、創造主の意図によって、置かれてしまったと謂う点に於いては変わりはない。
勿論、ヴィクター・フランケンシュタイン (Victor Frankenstein) にも天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) にもそれぞれ、悲劇的な結末が用意されているが、それはまた別の話だ。
ぼくが指摘したいのはただ、産みの親であるのならば、多かれすくなかれ、彼の様な行為への、衝動や誘惑を感じた事はあるのではないか、と謂う点なのである。
天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) に放逐されたロボット、アトム (Atom) はその後、生々流転の末に、お茶ノ水博士 (Dr. Ochanomizu) に救済される。そして、彼によって、アトム (Atom) 自身よりも後に製造された、ロボットの父母と妹ウラン (Uran) と弟コバルト (Cobalt) を充てがわれる事となる。ぼく達のよく知っているアトム (Atom) の、その世界がここで初めて揃う訳だ。
と、謂う事は即ち、アトム (Atom) には立場を違えた、みっつの親がいる事になる。産みの親である天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) と、育ての親であるお茶ノ水博士 (Dr. Ochanomizu) と、彼よりも若いロボットの父母である。
なんでこんなにややこしい家族構成なのだろう、と思ってはみたが、よくよく考えると、むしろ、アトム (Atom) の方が普通なのではないかなと想えたりもする。
アトム (Atom) が初めて手塚治虫 (Tezuka Osamu) 作品に顕れたマンガ『アトム大使 (Ambassador Atom)』 [少年連載] の発表が1951年で、マンガ『鉄腕アトム (Astro Boy)』の連載開始が翌1952年。第2次世界大戦 (World War II) の太平洋戦争 (Pacific War) が終決してから6~7年だ。
この頃に二親が揃った家庭に産まれ育った少年少女達は、一体、全体の中でどのくらいの比率だったのだろうか、と思うのだ。
伊達直人 (Naoto Date) [マンガ『タイガーマスク
(Tiger Mask)』 [原作:梶原一騎 (Ikki Kajiwara) 作画:辻なおき (Naoki Tsuji) 1968〜1971年 ぼくら等連載] の主人公] にも矢吹丈 (Joe Yabuki) [マンガ『あしたのジョー
(Ashita NO Joe)』 [原作:高森朝雄 (Asao Takamori) 作画:ちばてつや (Tetsuya Chiba) 1968〜1973年 週刊少年マガジン連載] にも親はいない。彼等の背格好から推断するに、マンガ『鉄腕アトム (Astro Boy)』の連載が1952年に始まったその当時は、恐らくその作品の最初の読者の年齢に該当しそうな気がする。
そうやって考えてみると、マンガ『オバケのQ太郎
(Obake No Q-Tarou』 [作:藤子不二雄 (Fujiko Fujio) 1964〜1966年 週刊少年サンデー連載] から始まる藤子・F・不二雄 (Fujiko F. Fujio) の描く世界は、それだけとってみると、新しい世代の、新しい世代に向けての作品なんだなぁと思う。
次回は「せ」。
附記 1.:
天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) の、アトム (Atom) に対する所業をフランケンシュタイン・コンプレックス (Frankenstein Complex) に起因するモノと看做す事が可能ならば、自らが産み出してしまった怪物を追跡する主人公の名をドクター天馬賢三 (Dr. Kenzo Tenma) とするマンガ『 モンスター
(Monster)』浦沢直樹 (Naoki Urasawa) 1994~2001年 ビッグコミックオリジナル連載] は、天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) の視点からみたマンガ『鉄腕アトム (Astro Boy)』の物語と看做す事も充分に可能なのだ。

附記 2.:
手塚治虫のオフィシャル・サイト (Tezuka Osamu Official) にあるキャラクター名鑑 (Characters Directory) ですら「天馬博士 (Dr. Tenma)」と苗字だけの記載にとどめてあるのを、拙稿では天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) とフルネームで記載してある。その理由は、こちらの頁にある『天馬博士完全プロフィール』なるモノがあるからだ。
この『天馬博士完全プロフィール』なる文章は『漫画博士読本 (Reader : Doctors In Manga)』 [著:空想科学漫画研究所 (Sci-Fi Manga Laboratory) 瀬戸龍哉 (Tatsuya Seto) 山本敦司 (Atsushi Yamamoto) 2000年刊] によれば光文社文庫『鉄腕アトム (Astro Boy)』1巻39頁掲載のモノとされているが、この『天馬博士完全プロフィール』にある一語「海馬」の解釈が揺れている。
『漫画博士読本 (Reader : Doctors In Manga)』では、「海馬」を海豹 (Earless Seal) や海豚 (Dolphin) や河馬 (Hippopotamus) や河豚 (Pufferfish) の様な水棲生物 (Aquatic Animal) の一種である海馬 (Seahorses) と解釈して論を進めているが、大方の理解は大脳 (Cerebrum) にある海馬 (Hippocampus) とし、そこに議論がある。
これはあくまでも個人的な見解ではあるが、水棲動物 (Aquatic Animal) である河馬 (Hippopotamus) と大脳 (Cerebrum) の海馬 (Hippocampus) は、英語表記を比べるととてもよく似ている。だから、『天馬博士完全プロフィール』を英訳する際は、その辺りを考慮すべきなのだろう。
[尚、上記記載画像はこちらによった]
手塚治虫のオフィシャル・サイト (Tezuka Osamu Official) にあるキャラクター名鑑 (Characters Directory) で、彼の人となりがここ (Here) で紹介されているが、そこ (There) に綴られている言葉に関しては少し、違和感がある。
全文引用してやろうかとも思ったが、それには少し長い。興味のある方にはここ (Here) からアクセスしてもらう事にして、尚且つ、それ (It) を読了した事を前提にして、ぼくの中にある違和感をこれから綴ってみたいと思う。
その紹介文に顕れる形容句は一読で印象に遺るモノばかりだ。
曰く「天才 (Genius)」、曰く「エクセントリック (Madness / Lunatic)」、曰く「恐ろしい / Frightful」。
しかもこれらの形容句を裏付ける証拠として差し出されているモノは次のことばだ。
「アトムを創造する天才ぶりを示しながら、しかしそのアトムがロボットゆえに成長しないことにハタと気づき、アトムを見世物に売り飛ばしたりしてしまう」
つまり、そんな彼の行為を指して、彼の人格の象徴としていいのだろうか、と謂うのが、ぼくがこの拙稿で提出したい議案だ。
と、謂うのは、そんな行為は必ずしも彼の専売特許 (Patented Article) ではないからなのである。
小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス
その小説の主人公、ヴィクター・フランケンシュタイン (Victor Frankenstein) の行動はそのまま天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) のそれと相似形ではなかろうか。
ひとがひとである領分の埒外にある、生命創造に挑む。そしてその挑戦は見事に結実するが、それと同時におのれの犯した行為の恐ろしさに気付かされる。
所謂、フランケンシュタイン・コンプレックス (Frankenstein Complex) と謂うやつだ。
その命名の許となったヴィクター・フランケンシュタイン (Victor Frankenstein) はおのれの産み出した生命の許から出奔し、彼とは逆に、天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) はおのれの産み出した生命を自ら放逐してしまう。創造主と被創造物のいずれが移動するかその違いはあっても、前者と後者の間に物理的にも精神的にも多大な距離が、創造主の意図によって、置かれてしまったと謂う点に於いては変わりはない。
勿論、ヴィクター・フランケンシュタイン (Victor Frankenstein) にも天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) にもそれぞれ、悲劇的な結末が用意されているが、それはまた別の話だ。
ぼくが指摘したいのはただ、産みの親であるのならば、多かれすくなかれ、彼の様な行為への、衝動や誘惑を感じた事はあるのではないか、と謂う点なのである。
天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) に放逐されたロボット、アトム (Atom) はその後、生々流転の末に、お茶ノ水博士 (Dr. Ochanomizu) に救済される。そして、彼によって、アトム (Atom) 自身よりも後に製造された、ロボットの父母と妹ウラン (Uran) と弟コバルト (Cobalt) を充てがわれる事となる。ぼく達のよく知っているアトム (Atom) の、その世界がここで初めて揃う訳だ。
と、謂う事は即ち、アトム (Atom) には立場を違えた、みっつの親がいる事になる。産みの親である天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) と、育ての親であるお茶ノ水博士 (Dr. Ochanomizu) と、彼よりも若いロボットの父母である。
なんでこんなにややこしい家族構成なのだろう、と思ってはみたが、よくよく考えると、むしろ、アトム (Atom) の方が普通なのではないかなと想えたりもする。
アトム (Atom) が初めて手塚治虫 (Tezuka Osamu) 作品に顕れたマンガ『アトム大使 (Ambassador Atom)』 [少年連載] の発表が1951年で、マンガ『鉄腕アトム (Astro Boy)』の連載開始が翌1952年。第2次世界大戦 (World War II) の太平洋戦争 (Pacific War) が終決してから6~7年だ。
この頃に二親が揃った家庭に産まれ育った少年少女達は、一体、全体の中でどのくらいの比率だったのだろうか、と思うのだ。
伊達直人 (Naoto Date) [マンガ『タイガーマスク
そうやって考えてみると、マンガ『オバケのQ太郎
次回は「せ」。
附記 1.:
天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) の、アトム (Atom) に対する所業をフランケンシュタイン・コンプレックス (Frankenstein Complex) に起因するモノと看做す事が可能ならば、自らが産み出してしまった怪物を追跡する主人公の名をドクター天馬賢三 (Dr. Kenzo Tenma) とするマンガ『 モンスター

附記 2.:
手塚治虫のオフィシャル・サイト (Tezuka Osamu Official) にあるキャラクター名鑑 (Characters Directory) ですら「天馬博士 (Dr. Tenma)」と苗字だけの記載にとどめてあるのを、拙稿では天馬午太郎博士 (Dr. Umataro Tenma) とフルネームで記載してある。その理由は、こちらの頁にある『天馬博士完全プロフィール』なるモノがあるからだ。
この『天馬博士完全プロフィール』なる文章は『漫画博士読本 (Reader : Doctors In Manga)』 [著:空想科学漫画研究所 (Sci-Fi Manga Laboratory) 瀬戸龍哉 (Tatsuya Seto) 山本敦司 (Atsushi Yamamoto) 2000年刊] によれば光文社文庫『鉄腕アトム (Astro Boy)』1巻39頁掲載のモノとされているが、この『天馬博士完全プロフィール』にある一語「海馬」の解釈が揺れている。
『漫画博士読本 (Reader : Doctors In Manga)』では、「海馬」を海豹 (Earless Seal) や海豚 (Dolphin) や河馬 (Hippopotamus) や河豚 (Pufferfish) の様な水棲生物 (Aquatic Animal) の一種である海馬 (Seahorses) と解釈して論を進めているが、大方の理解は大脳 (Cerebrum) にある海馬 (Hippocampus) とし、そこに議論がある。
これはあくまでも個人的な見解ではあるが、水棲動物 (Aquatic Animal) である河馬 (Hippopotamus) と大脳 (Cerebrum) の海馬 (Hippocampus) は、英語表記を比べるととてもよく似ている。だから、『天馬博士完全プロフィール』を英訳する際は、その辺りを考慮すべきなのだろう。
[尚、上記記載画像はこちらによった]
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