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2008.07.08.21.00

ぐすたふまーらーについてわたしがしっているにさんのことがら

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)と云えば、
ロンド形式(Rondeau / Rondo)である
●妻アルマ・マーラー(Alma Maria Mahler)の才能に畏怖し、嫉妬してきた
ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)、ブラームス(Johannes Brahms)を凌駕する事に異常な執念を燃やしていた
●絶えず死の幻影に怯えていた

と、言う様ななまじ言いがかりの様な、しょうもない偏見の様な、彼に対する認識は総て、ケン・ラッセル(Ken Russell)監督作品『マーラー(Mahler)』から引き継いだものである。
だから、あまり信頼しちゃあいけないよ。

とは、云いながら、これでお終はりにするわけには逝かないので、映画に則つて、上記の認識事項を検証してみる事にしませふ。

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)と云えば、「ロンド形式(Rondeau / Rondo)である」
ロンド形式(Rondeau / Rondo)とは、ひとつの旋律(=ロンド主題)が演奏される間隙に、異なった旋律が何度となく挿入されて、そのひとつの旋律(=ロンド主題)が何度も繰り返し演奏される形式の事である。交響曲(Sinfonie / Symphonie / Symphony)に於いては、ひとつの主題を何度となく挿入し、異なる旋律との対比を通じて、その主題をさらに強める事になる。
グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)では、『交響曲第5番嬰ハ短調第5楽章 : かなり自由なロンド・ソナタ形式(Die 5. Sinfonie cis-Moll Mvt 5. Rondo-Finale. Allegro - Allegro giocoso. Frisch (D-Dur))』、『交響曲第7番ホ短調第5楽章 : 自由なロンド形式(Die 7. Sinfonie e-Moll Mvt 5 Rondo-Finale. Allegro ordinario (C-Dur))』、『交響曲第9番ニ長調第3楽章 : ロンド形式(Die 9. Sinfonie D-Dur Mvt 3 Rondo-Burleske: Allegro assai. Sehr trotzig (a-Moll))』でみる事が出来る。
ところで、映画『マーラー(Mahler)』では、物語を語る手法としてこのロンド形式(Rondeau / Rondo)が採用されている。物語の中での、現実に起こっている現在進行形の事件は、グスタフ(Gustav Mahler) & アルマ(Alma Maria Mahler)・マーラー夫妻の移動中の車中の出来事であり、過去への回想を常時挟み込みながら、夫妻のこころの奥底を照射していく。つまり、現在の車中がロンド主題であり、そこでの描写を印象深いものにさせるのが、過去への追想シーンとなる訳だ。

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)と云えば、「妻アルマ・マーラー(Alma Maria Mahler)の才能に畏怖し、嫉妬してきた」
実際のところは知らない。しかし、夫グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)の死後、自由奔放に生きる彼女をみるとそう思わずにはいられない事も否定出来ない。画家のグスタフ・クリムト(Gustav Klimt)やオスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka)、建築家ヴァルター・グロピウス(Walter Gropius)、作家フランツ・ヴェルフェル(Franz Werfel)と、ありとあらゆる分野の才能と交わった彼女の、男性視点から観た恐ろしさは、否が応でも最初の夫グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)にフィードバックさせてみたくなる。
作曲家としての才能を彼女に見出し、そしてその才能を封印し、しかし彼女を失い難いが故に、仕方なく彼女の為にその作品発表の場を設けてしまう。
そんなふたりの逸話がまかり通っているが、果たしてその実際は如何だったのだろううか?
映画『マーラー(Mahler)』は、そんな緊迫した醒めた夫婦愛を乗せた列車をひた疾らせるのだ。物語途中に、ドイツ人女と結婚してしまったユダヤ男のこんな幻影を差し挟みながらも。

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)と云えば、「ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)、ブラームス(Johannes Brahms)を凌駕する事に異常な執念を燃やしていた」
つまり、それはふたりの偉大なる先駆者Bが共に成し遂げられなかった『交響曲第10番(Die 10. Sinfonie Fis-Dur (unvollendet))』に着手したからだった。
そして映画『マーラー(Mahler)』では、その車中において、過去と現在を遍歴しながら、その『交響曲第10番(Die 10. Sinfonie Fis-Dur (unvollendet))』の構想を練っているのだ。
実際のところは知らない。しかしながら、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)もブラームス(Johannes Brahms)も交響曲(Sinfonie / Symphonie / Symphony)は9作品で潰えてしまったのも事実だし、未完ながらも、わがグスタフ・マーラー(Gustav Mahler)は10番目の交響曲(Sinfonie / Symphonie / Symphony)に着手したのも事実なのである。

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)と云えば、「絶えず死の幻影に怯えていた」
とはいうものの近代以降の、個人(Individual)という存在を知ってしまったモノにとって、怯えざる死の幻影というものはあるのだろうか?
と、いささか詭弁を弄したくなったりするのだけれども、ここで書くべきなのは、あまりにも弱くてあまりにも小さい存在だったグスタフ・マーラー(Gustav Mahler)という認識である。言い換えれば、「人間的な、あまりに人間的な(Menschliches, Allzumenschliches – Ein Buch für freie Geister)」グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)となりえよう。
但し、それを矮小化された存在として彼を誰も看做さないのは、彼の遺された作品を知っているからだ。


と、云う訳で、彼の作品から死の幻影を、崇高な美として抽出し得た映画を紹介しておこう。
お約束と云ってもいい。
交響曲第5番嬰ハ短調第4楽章 : アダージェット(Die 5. Sinfonie cis-Moll Mvt 4. Adagietto. Sehr langsam (F-Dur))』をモチーフとした『ベニスに死す(Morte a Venezia)』[ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)監督作品]である。

次回は『』。
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comments for this entry


>lynn1221さん

引用紹介ありがとうございます。

2010.10.28.11.58. |from たいとしはる feat. =OyO=| URL


但し、それを矮小化された存在として彼を誰も看做さないのは、彼の遺された作品を知っているからだ。
http://www.uggsbestboots.com/

2010.10.28.11.50. |from lynn1221| URL [edit]

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