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2015.11.24.13.00

ぷろぱがんだ

と謂う題名の、映画はある。正式名称は『プロパガンダ (A Y.M.O. Film Propaganda)』 [佐藤信 (Makoto Sato) 監督作品 1984年制作] と謂って、ワイ・エム・オー (Ymo) 唯一にして無比の主演映画だ。
だが、前回の顰みに倣って、今回はこの映画に関しては触れない。
同名のバンド、プロパガンダ (Propaganda) についてこれから駄文を綴るのだ。

今回の拙稿も、音楽とは直接は関係のない煌びやかな魅惑的な語句が乱舞するかもしれないが、それらが意味するところに対して、真剣に立ち向かう必要はないと想う。
ことばのおもてに顕われるモノだけを剽窃し、その表象と戯れているだけなのかもしれないからだ。
つまり、プロパガンダ (Propaganda) と謂うバンドが存在し、活動していた時代は、そんな時代だからなのである。

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デュッセルドルフ (Dusseldorf) 出身の、ラルフ・ドルパー (Ralf Dorper) を中心に結成された男女2人づつで構成されたこの4人組がデヴューしたのは1984年。
これが、ノイエ・ドイチェ・ヴェレ (Neue Deutsche Welle) の影響を真っ向から受けた、ニュルンベルク (Niamberg) 辺りに活動の基盤があるインディペンデント・レーベル (Independent Lavel) からデヴューしたのならば、あまりに格好いい事態が出来する事になるが、現実はそんなに出来すぎた話はあまり受けが良くない。
[上掲画像はこちらからの彼等のデヴュー作『ドクトル・マブゼ (Dr. Mabuse)』 [1984年発表] プロモ用ポスター:左から右へ、スザンヌ・フライタク (Susanne Freytag)、マイケル・メルテンス (Michael Mertens)、クラウディア・ブルッケン (Claudia Brucken) そしてラルフ・ドルパー (Ralf Dorper)。 ]

彼らの作品が発信されたのは、英国 (United Kingdom) にあるゼット・ティー・ティー・レコーズ (Ztt label) からだ。
ちなみにこのレーベルの名称は、イタリア共和国 (Repubblica Italiana) 出自の未来派運動 (Futurismo) から派生した語句からネーミングされている。

それが遠因になるのかどうか、後にバンドはレーベルとの契約上の問題で活動が出来なくなってしまうのだ。

と、謂うのはこのバンドはそのイメージ戦略、文字通りのプロパガンダ (宣伝活動) に於いて、ドイツ表現主義 (Expressionism) に範を置いていたからである。
歴史的な展開をみれば、ドイツ表現主義 (Expressionism) は後に擡頭するナチズム (Nationalsozialismus) によって徹底的に弾圧されてしまうのに対し、イタリア共和国 (Repubblica Italiana) の未来派運動 (Futurismo) はファシスト党 (Partito Nazionale Fascista) 政権にすり寄っていった。
その指向性の違いが、後年、バンドとレーベルとの齟齬に大きな影響をもたらしたか否か、それを考える事は恐らく、****と謂うべきモノなのであろう [伏字 (Unprintable Words) にしました、お好みの語句を挿入して御自身が納得出来る文意へと展開させて下さい]。

ゼット・ティー・ティー・レコーズ (Ztt label) は、ポール・モーレイ (Paul Morley)、トレヴァー・ホーン (Trevor Horn)、ゲイリー・ランガン (Gary Langan) そしてジル・シンクレア (Jill Sinclair) によって始動 / 運営されたレーベルで、その4人は音楽制作の現場に於いて、通常のプロデューサー以上に関与する事が多々なのである。極端に謂えば、バンドは彼等の傀儡に過ぎない場合すらある。
その一方で、プロパガンダ (Propaganda) と謂うバンドは、特にその主導者であるラルフ・ドルパー (Ralf Dorper) が自らのちからのみによってサウンド構築を可能としていた。
ある意味で、ゼット・ティー・ティー・レコーズ (Ztt label) の主要バンドでありながら、最もゼット・ティー・ティー・レコーズ (Ztt label) らしからぬ独自路線を歩みつつあったバンドであったのである。
そのあたりの事情が、ふたつの組織のあいだに齟齬をもたらした結果ではないだろうか、とぼくは考えている。

と、謂う後々に起こる逸話はここまでにする。
振り出しに戻るのだ。

プロパガンダ (Propaganda) は1984年、ゼット・ティー・ティー・レコーズ (Ztt label) からシングル『ドクトル・マブゼ (Dr. Mabuse)』でデヴューを果たす。
曲名とバンド名を繋ぎ合わせるだけで、ある種のシュミラクラ (Simulacra) 、ドイツ表現主義 (Expressionism) の世界観に殉じた音響と光景が成立してしまう。これと同種の手法はそれ以前に、バウハウス (Bauhaus) のデヴュー・シングル『ベラ・ルゴシズ・デッド (Bela Lugosi's Dead)』[スモール・ワンダー・レコード (Small Wonder Records) 1979年発表] がある。あれと全く同じだ。

だが本当に大事な作品はこの楽曲ではない。
純粋なポップ・チューンである第2作『不思議の国のデュエル (Duel)』 [1985年発表] に続く、同年発表のサード・シングル『P- マシナリー (P : Machinery)』がこのバンドにとって、否、それ以上にぼくにとって、大事な作品なのである。

三上晴子 (Seiko Mikami) とマーク・ポーリン (Mark Pauline) の間で悶絶していた当時のぼくは、それらを音楽化させた様なアインシュテュルツェンデ・ノイバウテン (Einstürzende Neubauten) やテスト・デプト (Test Dept) で自慰をしていた様な暮らしぶりだった。それは映画『鉄男 (Tetsuo : The Iron Man)』 [塚本晋也 (Shinya Tsukamoto) 監督作品 1989年制作] が描く風景と謂うべきなのかもしれないが、この修辞句が誰に対しても同等の訴求力を持つのかどうかは解らない。
もう少し噛み砕いて綴ると、ウィキペディア日本語版 (Japanese Wikipedia) 謂うところの、ミニストリー登場以前のインダストリアル・ミュージック ( Industrial Music Before Ministry)、それをぼくは常用していたのである。
そおゆう意味では、プロパガンダ (Propaganda) の所属レーベルはゼット・ティー・ティー・レコーズ (Ztt label) ではなくてサム・ビザール・レコード (Some Bizzare Records) でも良かった様な気がしないでもないが、そこではそこで、存在自体が奇矯なレーベル・オーナーのスティーボ (Stevo Pearce) と大揉めになりそうな気がしないでもない。

[ああ、そうだよ。しらばっくれてここまで綴ってきたけど、プロパガンダ (Propaganda) の主導者ラルフ・ドルパー (Ralf Dorper) は、そのミニストリー登場以前のインダストリアル・ミュージック (Industrial Music Before Ministry) の開祖のひとつでもあるディー・クルップス (Die Krupps) の結成当初からの主要メンバーのひとりでもあるんだよ。]

それをポップ・フィールドで鳴らし得たのが、プロパガンダ (Propaganda) のこの楽曲『P- マシナリー (P : Machinery)』と謂う認識がぼくにはある。
つまりそれは、女性ヴォーカリスト、シーナン・レオン (Sinan Leong) を擁立したエス・ピィー・ケー (SPK) ことグレアム・レベル (Graeme Revell) が目指したと同時に、なし得なかった事でもある。

プロパガンダ (Propaganda) にとって、所属しているふたりの女性のうちのひとり、メイン・ヴォーカルを担当するクラウディア・ブルッケン (Claudia Brucken) の存在感は圧倒的だ。
一度みたら決して忘れる事の出来ない容姿 [と謂うもってまわった表現の意味するところは解るよね?] もさる事ながら、彼等のサウンド構築の中にあって決してひけをとらない。

尤も、ぼくが聴き倒していたのは、これまでに紹介したシングル3作品を収録したファースト・アルバム『シークレット・ウィッシュ (Secret Wish)』 [1985年発表] よりも、それらの楽曲群がノン・ストップで流れるリミックス盤『ウィッシュフル・シンキング (Wishful Thinking)』 [1985年発表] の方なのだけれども。
プロパガンダ (Propaganda) を、ミニストリー登場以前のインダストリアル・ミュージック (Industrial Music Before Ministry) に分類する事に異議があるヒトならば、こちらのリミックス盤の方に耳を傾けて欲しいと、想う。

バンドはレーベルとの確執から、ヴァージン・レコード (Virgin Records) に移籍してセカンド・アルバム『1234 (1234)』を発表出来たのは1990年。
しかもマイケル・メルテンス (Michael Mertens) ひとりを遺し、メンバーは総入れ替えされていた。ラルフ・ドルパー (Ralf Dorper) もいなければクラウディア・ブルッケン (Claudia Brucken) もいない。
最早、別のバンドと謂うべきなのだったし、それ以前にぼく個人の関心事がそこから隔たった場所にいたのも否定出来ない。

次回は「」。
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