2015.11.17.08.46
東から吹く風、東風 (Wind From The East) と綴って、"東風:とんぷー (Wind From The East : Tong Poo)"と読む。
それをぼくに教えてくれたのは、イエロー・マジック・オーケストラ (Yellow Magic Orchestra) の第1作『イエロー・マジック・オーケストラ (Yellow Magic Orchestra)
』 [1978年発表] である。そこに『東風 (Tong Poo)』 [作曲:坂本龍一 (Ryuichi Sakamoto)] と謂う楽曲が収録されている。
と綴れば、前々回の記事冒頭と同じ様な収まり具合いをしてくれそうなモノなのだが、残念ながらそう安易に事は運ばない。
東から吹く風、東風 (Wind From The East) と綴って、"東風:とんぷー (Wind From The East : Tong Poo)"と読む。それを知ったのは、ぼくが小学校 (Primary School) にあがるかあがらないかの1960年代 (1960s) の終盤。つまり、家族麻雀 (Family Mahjong) を通じてそのことばを知ったのである。
卓を囲むのは父と母とぼくと3歳下の弟、だけれども実際にその遊び方を知っているのは父親だけだから、講習会の様なものだ。
牌 (Tiles) を積み上げて、骰 (Dice) を振って、それから後は順番が来る度に、父に尋ねる。
「どれを捨てたらいい?」
手の内を覗き込んだ父は即断で、捨てるべき牌 (Tiles) と所持すべき牌 (Tiles) 、そしてその後の展開を予測して、待つべき牌 (Tiles) を的確に指示するのだけれども、母とぼくと弟はそこまで理解が及ばない。だから自身の順番が来る度に同じことばで尋ねる。
「どれを捨てたらいい?」
ちなみに麻雀 (Mahjong)と似通ったルールでなおかつそれが単純化されたゲームに、セブンブリッジ (Seven Bridge) と謂うものがあるが、それすらもその当時は知らない。
解っているのは牌 (Tiles) の枚数と、碰 (Pong) と吃 (Chow) と、和了る (Wining) 為の要件くらいだ。だから、3人が3人とも馬鹿正直にリーチ (Reach) を唱える。
本来ならば無役 (No Hand) ならばあがれないが、そのルールは適用しない。3人が3人とも役 (Hand) と謂う概念がなく、麻雀牌 (Mahjong Tiles) 14枚である秩序をつくりあげれればそれでよいと思っていた。だから弟の得意な手はいつも、七対子 (Seven Pairs) なのだ。
そんな家族麻雀 (Family Mahjong) は、炬燵 (Kotatsu) の出るシーズンになると何回か行われた。大概が、子供達の夜更かしの許されている晩、休日の前夜だ。
寒い晩、親子4人が卓を囲み、誰かが飽きたらそこで終わる。その次は、夜食だ。残り物かなにかでこさえたナニか、あたたかいモノを喰べる。
炬燵 (Kotatsu) の脇には蜜柑 (Mandarin) が積み上げられていたから、勝負の間はそれだけが喰いたい放題だ。
だから東風戦 (Quarter-length Game) とか半荘 (Half-game) と謂う概念はぼく達にはなかった。ただ、東 (East) と書かれた牌 (Tiles) を3枚もっていれば強い、そんな認識だった。

家族麻雀 (Family Mahjong) と謂えば、ぼく個人の中ではマンガ『動物のお医者さん
(Doubutsu No Oisha-san)』 [作:佐々木倫子 (Noriko Sasaki) 1988〜1993年 花とゆめ連載] の一挿話なのだが残念ながらそれに相当する画像は検索出来ないのであった。
なので、マンガ『サルでも描けるまんが教室
(Even A Monkey Can Draw Manga)』[作:相原コージ (Koji Aihara)・竹熊健太郎 (Kentaro Takekuma) 1989年 ビッグコミックスピリッツ連載] の1シーンから [掲載画像はこちらから]。まぁ、これに似た様な叙景は、確かに当時のぼく達家族にはあった。
そして、そういう愉しい時代はそう永くは続かない。
母親が先ず嫌がる。息子達には賭事を憶えて欲しくはないらしい。昔は親子4人で、近所の競輪場 (Cycling Stadium) に出かけた事も、日曜日のドライヴを兼ねて遠く競艇場 (Speedboat Racecourse) に足を伸ばした事もあったが、とんとそんな事は忘れている。
母に代わる代打ち (Tripper) は、その家にはいない。3人で無理矢理囲む場合がない訳ではないが、4辺ある炬燵 (Kotatsu) のひとつの辺が空白なだけで、面白みは一向に減衰してしまう。
父親は必ずしもやりたがっている訳ではない。ぼく達に麻雀 (Mahjong) を教えた本人であるのにも関わらずだ。
彼はかつてこんな事を謂っていた。
「知り合い同士の勝ち負けで金が動くのは嫌なんだよな。だからと謂って半日、機械とにらめっこするのもつまらない」
そんな捨て台詞をして、耳にちびた赤鉛筆 (Red Pencil) を挟んで、彼は競輪新聞 (Cycling Game Newspaper) を抱えて出かける。
ぼく達兄弟はかつてとは違って置いてけぼりだが、その頃になると、父や母のつきあいで、大事な休日が奪われてしまう事も納得がいかない。そういう時季になっていた。
次回は「ぷ」。
それをぼくに教えてくれたのは、イエロー・マジック・オーケストラ (Yellow Magic Orchestra) の第1作『イエロー・マジック・オーケストラ (Yellow Magic Orchestra)
と綴れば、前々回の記事冒頭と同じ様な収まり具合いをしてくれそうなモノなのだが、残念ながらそう安易に事は運ばない。
東から吹く風、東風 (Wind From The East) と綴って、"東風:とんぷー (Wind From The East : Tong Poo)"と読む。それを知ったのは、ぼくが小学校 (Primary School) にあがるかあがらないかの1960年代 (1960s) の終盤。つまり、家族麻雀 (Family Mahjong) を通じてそのことばを知ったのである。
卓を囲むのは父と母とぼくと3歳下の弟、だけれども実際にその遊び方を知っているのは父親だけだから、講習会の様なものだ。
牌 (Tiles) を積み上げて、骰 (Dice) を振って、それから後は順番が来る度に、父に尋ねる。
「どれを捨てたらいい?」
手の内を覗き込んだ父は即断で、捨てるべき牌 (Tiles) と所持すべき牌 (Tiles) 、そしてその後の展開を予測して、待つべき牌 (Tiles) を的確に指示するのだけれども、母とぼくと弟はそこまで理解が及ばない。だから自身の順番が来る度に同じことばで尋ねる。
「どれを捨てたらいい?」
ちなみに麻雀 (Mahjong)と似通ったルールでなおかつそれが単純化されたゲームに、セブンブリッジ (Seven Bridge) と謂うものがあるが、それすらもその当時は知らない。
解っているのは牌 (Tiles) の枚数と、碰 (Pong) と吃 (Chow) と、和了る (Wining) 為の要件くらいだ。だから、3人が3人とも馬鹿正直にリーチ (Reach) を唱える。
本来ならば無役 (No Hand) ならばあがれないが、そのルールは適用しない。3人が3人とも役 (Hand) と謂う概念がなく、麻雀牌 (Mahjong Tiles) 14枚である秩序をつくりあげれればそれでよいと思っていた。だから弟の得意な手はいつも、七対子 (Seven Pairs) なのだ。
そんな家族麻雀 (Family Mahjong) は、炬燵 (Kotatsu) の出るシーズンになると何回か行われた。大概が、子供達の夜更かしの許されている晩、休日の前夜だ。
寒い晩、親子4人が卓を囲み、誰かが飽きたらそこで終わる。その次は、夜食だ。残り物かなにかでこさえたナニか、あたたかいモノを喰べる。
炬燵 (Kotatsu) の脇には蜜柑 (Mandarin) が積み上げられていたから、勝負の間はそれだけが喰いたい放題だ。
だから東風戦 (Quarter-length Game) とか半荘 (Half-game) と謂う概念はぼく達にはなかった。ただ、東 (East) と書かれた牌 (Tiles) を3枚もっていれば強い、そんな認識だった。

家族麻雀 (Family Mahjong) と謂えば、ぼく個人の中ではマンガ『動物のお医者さん
なので、マンガ『サルでも描けるまんが教室
そして、そういう愉しい時代はそう永くは続かない。
母親が先ず嫌がる。息子達には賭事を憶えて欲しくはないらしい。昔は親子4人で、近所の競輪場 (Cycling Stadium) に出かけた事も、日曜日のドライヴを兼ねて遠く競艇場 (Speedboat Racecourse) に足を伸ばした事もあったが、とんとそんな事は忘れている。
母に代わる代打ち (Tripper) は、その家にはいない。3人で無理矢理囲む場合がない訳ではないが、4辺ある炬燵 (Kotatsu) のひとつの辺が空白なだけで、面白みは一向に減衰してしまう。
父親は必ずしもやりたがっている訳ではない。ぼく達に麻雀 (Mahjong) を教えた本人であるのにも関わらずだ。
彼はかつてこんな事を謂っていた。
「知り合い同士の勝ち負けで金が動くのは嫌なんだよな。だからと謂って半日、機械とにらめっこするのもつまらない」
そんな捨て台詞をして、耳にちびた赤鉛筆 (Red Pencil) を挟んで、彼は競輪新聞 (Cycling Game Newspaper) を抱えて出かける。
ぼく達兄弟はかつてとは違って置いてけぼりだが、その頃になると、父や母のつきあいで、大事な休日が奪われてしまう事も納得がいかない。そういう時季になっていた。
次回は「ぷ」。
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