2015.06.16.13.12
タイトルに掲げたのは、マンガ『マカロニほうれん荘
(Macaroni Hourensou)』 [作:鴨川つばめ (Tsubame Kamogawa) 1977~1979年 週刊少年チャンピオン 連載] の主役トリオのひとり、膝方歳三 (Toshizo HIzakata) の名台詞 [なのか?] 「トシちゃん感激! (Excellent Toshi-chan!)」ではあるが、その作品自体はこれから綴る文章には登場しない。

いや、あらかじめ断っておかないと、あとで怒られそうだから。
[上記掲載画像は、膝方歳三 (Toshizo HIzakata) のヴィジュアル面でのモデルであった、ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) の1977年のシングル『トーキョー・ジョー (Tokyo Joe)』 [アルバム『イン・ユア・マインド [あなたの心に] (In Your Mind)
』収録] のジャケット [こちらより]。ちなみにこの楽曲は音楽評論家の、今野雄二 (Yuji Konno) がモデルと謂われているが、そもそもはハンフリー・ボガート (Humphrey Bogart) の映画『東京ジョー (Tokyo Joe)』 [スチュアート・ヘイスラー (Stuart Heisler) 監督作品 1949年制作] の題名だ。]
ぼくが幼い頃は、ファースト・ネームの最初の文字をとって「としちゃん」と呼ばれていた。
肉親や親戚、近隣に棲む方々も含めてだ。
だから、まずは自分自身の事を「としちゃん」と認識していた筈だ。
そんなアイデンティティーが崩れ始めるのは、保育園に入園した時だ。
保育園にもっていく自身の持物には総てフル・ネームが平仮名で綴られている。そして、保育園の先生や同級生の誰もがぼくをファミリー・ネームの方で呼ぶ様になる。
自分自身の名前がそれである事はその随分前から認識していた。
家族揃って外出すると、よく迷子になったからだ。自宅周辺でも、よくわけのわからない場所にまで出かけてしまって帰れなくなるときもある。
だから、ぼくの両親は徹底して、名前と住所を謂える様に躾けていた。
もしかすると、他の誰よりも早く、名前と住所を憶えてしまったが故で安心して、好き勝手に出歩いてしまったのかもしれない。
なにしろ、迷子になったその先で、泣きもせずに、自分自身の名前と住所を告げれば、誰もが関心して褒めてくれるからだ。
だから、平仮名で書けばぼく自身の名前が「としちゃん」ではない6文字の綴りである事は保育園に通う前から充分に承知していた。
しかも、よきにつけあしきにつけ、ぼくの苗字が鈴木さんでも高橋さんでもなかったが故に、保育園では誰もぼくの事を「としちゃん」とは呼ばない。呼ぶ必要もない。
だが保育園がひければ、そこでは相変わらずぼくは「としちゃん」だった。
そこで恐らくぼくは、屈折した。
良い様に解釈すればその時点でぼくは、ふたつの世界を得たのかもしれない。
それがそのまま続けば、いまとは少しは違う人格となっていたのかもしれない。
だが一度、まがったモノは元に戻るよりもさらにまげてしまうのが定石だ。
小学校に入学して、公団住宅に引っ越す事になった。2学期からは新しい小学校に通う事になる。
それ以来、ぼくの事を「としちゃん」と呼ぶ人は極めて少なくなった。
昔からのぼくの事を知っているのは、血の繋がった人々ばかりだ。
しかも、同じ団地の1階に、小学生のぼくよりも遥かに幼い「としちゃん」が親子3人で暮らしている。
少なくとも、その棟に棲む人々の間では、彼の方が「としちゃん」だ。
さらに間の悪い事に、彼の父親は酒癖が悪く、よく夜中に大声で悪態をついているのが聴こえた。
翌朝、窓をあけてみると、彼の狼藉の痕跡が遺っている。
だから、酒癖の悪い父親のその幼い息子は、ぼくからみても「としちゃん」だ。
学校が終わって、3階にある自分の家に帰れば夕方、下の方から「としちゃん」と呼ぶ声が聴こえる。
でも、それはもう、ぼくの事ではない。
ぼくを捜している声ではない。ぼくが待っている声でもない。
次回は「き」。

いや、あらかじめ断っておかないと、あとで怒られそうだから。
[上記掲載画像は、膝方歳三 (Toshizo HIzakata) のヴィジュアル面でのモデルであった、ブライアン・フェリー (Bryan Ferry) の1977年のシングル『トーキョー・ジョー (Tokyo Joe)』 [アルバム『イン・ユア・マインド [あなたの心に] (In Your Mind)
ぼくが幼い頃は、ファースト・ネームの最初の文字をとって「としちゃん」と呼ばれていた。
肉親や親戚、近隣に棲む方々も含めてだ。
だから、まずは自分自身の事を「としちゃん」と認識していた筈だ。
そんなアイデンティティーが崩れ始めるのは、保育園に入園した時だ。
保育園にもっていく自身の持物には総てフル・ネームが平仮名で綴られている。そして、保育園の先生や同級生の誰もがぼくをファミリー・ネームの方で呼ぶ様になる。
自分自身の名前がそれである事はその随分前から認識していた。
家族揃って外出すると、よく迷子になったからだ。自宅周辺でも、よくわけのわからない場所にまで出かけてしまって帰れなくなるときもある。
だから、ぼくの両親は徹底して、名前と住所を謂える様に躾けていた。
もしかすると、他の誰よりも早く、名前と住所を憶えてしまったが故で安心して、好き勝手に出歩いてしまったのかもしれない。
なにしろ、迷子になったその先で、泣きもせずに、自分自身の名前と住所を告げれば、誰もが関心して褒めてくれるからだ。
だから、平仮名で書けばぼく自身の名前が「としちゃん」ではない6文字の綴りである事は保育園に通う前から充分に承知していた。
しかも、よきにつけあしきにつけ、ぼくの苗字が鈴木さんでも高橋さんでもなかったが故に、保育園では誰もぼくの事を「としちゃん」とは呼ばない。呼ぶ必要もない。
だが保育園がひければ、そこでは相変わらずぼくは「としちゃん」だった。
そこで恐らくぼくは、屈折した。
良い様に解釈すればその時点でぼくは、ふたつの世界を得たのかもしれない。
それがそのまま続けば、いまとは少しは違う人格となっていたのかもしれない。
だが一度、まがったモノは元に戻るよりもさらにまげてしまうのが定石だ。
小学校に入学して、公団住宅に引っ越す事になった。2学期からは新しい小学校に通う事になる。
それ以来、ぼくの事を「としちゃん」と呼ぶ人は極めて少なくなった。
昔からのぼくの事を知っているのは、血の繋がった人々ばかりだ。
しかも、同じ団地の1階に、小学生のぼくよりも遥かに幼い「としちゃん」が親子3人で暮らしている。
少なくとも、その棟に棲む人々の間では、彼の方が「としちゃん」だ。
さらに間の悪い事に、彼の父親は酒癖が悪く、よく夜中に大声で悪態をついているのが聴こえた。
翌朝、窓をあけてみると、彼の狼藉の痕跡が遺っている。
だから、酒癖の悪い父親のその幼い息子は、ぼくからみても「としちゃん」だ。
学校が終わって、3階にある自分の家に帰れば夕方、下の方から「としちゃん」と呼ぶ声が聴こえる。
でも、それはもう、ぼくの事ではない。
ぼくを捜している声ではない。ぼくが待っている声でもない。
次回は「き」。
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