this night wounds time, あいとはけっしてこうかいしないこと
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2015.06.09.09.47

あいとはけっしてこうかいしないこと

映画公開時か、さもなければこの映画が主要ターゲットとしている多感な10代の頃に体験していればもしかしたら全く異なった印象を抱いているのかもしれない。
だけれども実際にこの映画を体験したのはTV画面の中の事であって、しかも好いた惚れたにいい加減飽き飽きしていた時季での事だ。
だからと謂って、ぢゃあ中高生の時代に観る機会はあっただろうかと想い返しても決して、そんな可能性は一切なかったと断言しても良い。

初めてのデートでベッツィー (Betsy) [演:シビル・シェパード (Cybill Shepherd)] をポルノ映画館 (Adult Movie Theater) に連れ込んで激昂させてしまったトラヴィス・ビックル (Travis Bickle) [演:ロバート・デ・ニーロ (Robert De Niro)] の様なへま [映画『タクシードライバー (Taxi Driver)』 [マーティン・スコセッシ (Martin Scorsese) 監督作品 1976年制作] 参照の事] は犯さない代わりに、誘った相手を連れ込む先は、向いている関心の行方がポルノグラフィック (Pornographie) ではないだけで、当時の大人達の眉を顰めさせるモノである事にはかわりがない。

だから、映画『ある愛の詩 (Love Story)』 [アーサー・ヒラー (Arthur Hiller) 監督作品 1970年制作] には決していい印象を抱いてない。これから先を読もうとする方々は、それを前提にしておいて下さい。

映画は、雪景色に佇む男性の背中から始まり、それとそっくり同じ情景が映し出されて、幕を閉じる。
つまり、全編がその男、オリバー・バレット4世 (Oliver Barrett IV) [ライアン・オニール (Ryan O'Neal)] の回想 (Flashback) として綴られているのだ。

ぼくがこの映画にいい印象を持たないのは、恐らくこんな枠物語の中にすっぽりと収めてしまう構造があるからだろう。
この構造は、当時の映画作品の主流であったアメリカン・ニューシネマ (New Hollywood) の方法論とは隔絶としたモノなのだ。

アメリカン・ニューシネマ (New Hollywood) の定義の仕方にはいろいろあるだろうし、その作品群の時代設定も様々だ。だけれども、ひとつの共通事項 [もしかしたらそれはたったひとつ唯一のモノかもしれないが] を挙げるとしたら、それは総て現在進行形 (Present Progressive Form) のモノとして描いている事だ。
だから苦いのだし痛いのだし、それらの映画にあった思いつくべき惹句には青春と謂う言葉が踊ってもいたし、それが相応しかった様にも想える。

だけれども、映画『ある愛の詩 (Love Story)』 [アーサー・ヒラー (Arthur Hiller) 監督作品 1970年制作] はどうなのだろう。
回想 (Flashback) と謂う枠の中に押し込めた結果、最早それは現在進行形 (Present Progressive Form) の物語とは謂えまい。

images
そこに描かれているのは、格差と階級とそこに付随する偏見とそれに相克する一組の恋人達の物語だけれども、あの時代を描いたモノには何故かみえない。とっても旧い時代の、旧い作品の様に想える。
[掲載画像はこちらから。]

だがしかし、それは回想 (Flashback) と謂う枠組みだけのせいなのだろうか。

同じ事はそのまま、映画の中の名台詞として、作品を象徴する様にも語られる言葉「愛とは決して後悔しないこと (Love Means Never Having To Say You're Sorry)」にも謂える。

映画にとっては、この言葉はエクスキューズ (Excuse) としての作用しかもっていない。

この言葉は、物語は総てオリバー・バレット4世 (Oliver Barrett IV) [ライアン・オニール (Ryan O'Neal)] の回想 (Flashback) である事を前提にしたその上で、その男の心情のなかには「後悔 (Sorry)」ではないモノ、他の良きモノで満たされている筈だと、善意な解釈を観客に要求しているのだ。

では、「後悔 (Sorry)」ではないナニがそこにはあるのか、そこには良きモノがあるのか、それは果たしてなにか。
その理解や解釈によって、個々人それぞれのこの映画への評価が定まるのだろうか。

映画の中ではこの台詞は2度、登場する。

2度目の台詞は次の様なモノだ。
映画の終焉間際、ジェニファー (Jennifer "Jenny" Cavalleri) [演:アリ・マッグロー (Ali MacGraw)] の死を告げられて、なにかを謂おうとする父親オリバー・バレット3世 (Oliver Barrett III) [演:レイ・ミランド (Ray Milland)] に向けて、息子であるオリバー・バレット4世 (Oliver Barrett IV) [ライアン・オニール (Ryan O'Neal)] は謂う。
愛とは決して後悔しないこと (Love Means Never Having To Say You're Sorry)」

だが映画を観れば解るとおり、必ずしもこの訳のとおりの意味をもたらされている様には響かない。
むしろ、こう解釈すべきだろう。
「とうさん、ぼくのことは心配しないで (Love Means Never Having To Say You're Sorry)」
これはこれまでおのれと対立していた父親にむけて発せられた許し (Acknowledgement) の言葉だ。

だがしかし、許し (Acknowledgement) のつもりで発したことばが、発話したモノの意図どおりの意味を兼ね備えて流通するのだろうか。
むしろ、謂われた方はこう解釈しないだろうか。
「[父親づらするつもりなら] すまないなんてやすっぽいことばいうなよな (Love Means Never Having To Say You're Sorry)」

だから本来ならば、ここから新たな父と息子の確執の物語が始まる可能性を秘めてはいるのだけれども、物語はここで終わるのだ [続編である映画『続・ある愛の詩 (Oliver's Story)』 [ジョン・コーティ (John Korty) 監督作品 1978年制作] は、ぼくは未見だ]。

しかも、この台詞そのものはオリバー・バレット4世 (Oliver Barrett IV) [ライアン・オニール (Ryan O'Neal)] 自身のことばではない。
この映画での1度目の登場は、ジェニファー (Jennifer "Jenny" Cavalleri) [演:アリ・マッグロー (Ali MacGraw)] からオリバー・バレット4世 (Oliver Barrett IV) [ライアン・オニール (Ryan O'Neal)] にむけて発せられたモノだ。

では、ジェニファー (Jennifer "Jenny" Cavalleri) [演:アリ・マッグロー (Ali MacGraw)] がそこに込めたモノは一体なんなのだろうか。

だがしかし、それを考える事は得策ではない。何故ならば、それそのものがオリバー・バレット4世 (Oliver Barrett IV) [ライアン・オニール (Ryan O'Neal)] の回想 (Flashback) であるからなのだ。
ジェニファー (Jennifer "Jenny" Cavalleri) [演:アリ・マッグロー (Ali MacGraw)] の発言のオリバー・バレット4世 (Oliver Barrett IV) [ライアン・オニール (Ryan O'Neal)] なりの解釈がそこにあるだけなのだ。
ありていに謂い捨てれば、そこには彼の身勝手な思い込み以上のモノはない。

それをもって息子は父親にそれがそのまま通用すると想って発する。誤解される可能性がないとは謂えないモノであるのに。

この映画に対してぼくが良い印象を持っていない理由は多分、その辺りにあるのだろう。

次回は「」。

附記 1. :
映画『卒業 (The Graduate)』 [マイク・ニコルズ (Mike Nichols) 監督作品 1967年制作] は、一人娘にある若い男をあてがった上でその男を誘惑して面白い様に弄んだ後に捨てちまおうと目論んだミセス・ロビンソン (Mrs. Robinson) [演:アン・バンクロフト (Anne Bancroft)] の物語として解釈すると、とっても面白い作品だ。

附記 2.:
上で「身勝手な思い込み以上のモノはない」と断罪したが、それ自身を非難している訳ではない。むしろ、アメリカン・ニューシネマ (New Hollywood) と謂う映画の特徴として挙げた現在進行形 (Present Progressive Form)、その原動力は正に「身勝手な思い込み」でしかない。
冒頭に登場したトラヴィス・ビックル (Travis Bickle) [演:ロバート・デ・ニーロ (Robert De Niro)] [映画『タクシードライバー (Taxi Driver)』 [マーティン・スコセッシ (Martin Scorsese) 監督作品 1976年制作] の主人公] こそ、それだけを具象化した様な人物だ。

附記 3. :
それに第一、「愛とは決して後悔しないこと (Love Means Never Having To Say You're Sorry)」と謂うことばそれ自体が実はなにも語っていないのに等しいのではないだろうか。
後悔 (Sorry) と謂うことば自体が決して肯定的な意味を含んでいるとは思えない。だから世の中の殆どのあらゆる事象に対しては「◯◯とは決して後悔しないこと (***** Means Never Having To Say You're Sorry)」」と断言する事が出来てしまう。
例えば「戦争とは決して後悔しないこと (War Means Never Having To Say You're Sorry)」
どこぞの独裁者 (Dictator) が放言しても決して不思議ではない。
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