2015.06.02.12.42
前回に引き続きのザ・ビートルズ (The Beatles)・ネタ。
そしてその前回が楽曲『レット・イット・ビー (Let It Be)』 [アルバム『レット・イット・ビー (Let It Be)
』収録 1970年発表] と謂う彼らの楽曲を題材にしてはいるモノの、その楽曲そのものに関しては一切、語らずに終えてしまったから、果たして、今回はどおゆう塩梅になるのか、ぼくには一切の検討もついていない。
[この連載シリーズは、そのルールの設定上、タイトルだけが先行して決定する結果、その内容はいつも考え考え、その考えの及ぶママに記載しているのです。]
『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ! (A Hard Day's Night)』と謂う名称の創作物は厳密に考えれば、みっつの異なる作品がある。
ひとつは、レノン・マッカートニー (Lennon - McCartney ) 作品であるところの楽曲『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ! (A Hard Day's Night)』 [1964年発表 英オリジナル盤で数えると7作目のシングル曲] とその楽曲を収録し、それを表題に据えたザ・ビートルズ (The Beatles) の3作目のアルバム『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ! (A Hard Day's Night)
』 [1964年発表]、そしてそのアルバム収録曲の幾つかをモチーフとした彼らの初の主演映画『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!
(A Hard Day's Night)』 [リチャード・レスター (Richard Lester) 監督作品 年制作]。
この3作品だ。
これらはそれぞれが密接に連合し、一見すると、たったひとつの事をみっつの異なる側面から見据えたあたかも三位一体論 (Trinitas) であるかの様に思えるかもしれないが、楽曲とその収録アルバムとそれを主題歌とする映画は、そこを起点に語り始めれば、みっつの異なる路がみえるのに違いなく、もしかしたら、それらはその後、絶対に交わらないモノなのかもしれないのだ。
と、書いては恐らく嘘だ。
但し、みっつをひっくるめてひとつのモノとしてだけ眺めていれば、それはそこでおわりで、きみやぼくにとって、新しい体験はいっかなやってこない。
単なる好きなモノのひとつであり、ただの懐かしいモノのひとつにとどまるのにすぎないだろう。

だからここでは、ひとつ、疑問を投げかけてみる。映画『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!
(A Hard Day's Night)』に登場する祖父 (John McCartney, Paul's Grandfather) [演:ウィルフレッド・ブランビル (Wilfrid Brambell)] とは一体誰なのか?
[掲載画像はこちら。画面左からジョージ・ハリソン (George Harrison)、リンゴ・スター (Ringo Starr)、ジョン・レノン (John Lennon)、ポール・マッカートニー (Paul McCartney) そしてその祖父 (John McCartney, Paul's Grandfather) を演じるウィルフレッド・ブランビル (Wilfrid Brambell)。 ]
作品の中では、ザ・ビートルズ (The Beatles) と謂う人気グループの1/4であるポール (Paul) [演:ポール・マッカートニー (Paul McCartney) ] の祖父 (Grandfather) として、彼等のツアーに帯同し、行く先々でトラブルの源となると謂う、謂わば、この作品で描かれている虚構としてのザ・ビートルズ (The Beatles) の、狂言回し (Trickster) 的な役どころだ。
つまり、謂うまでもなく、実際のザ・ビートルズ (The Beatles) のツアーには彼の様な人物の存在はあり得ない。
だが、その代わりに、映画の中に登場するふたりのロード・マネージャー (Road Manager)、ノーム (Norm) [演:ノーマン・ロッシントン (Norman Rossington) ] とシェイク (Shake) [演:ジョン・ジャンキン (John Junkin) ] には、実際のザ・ビートルズ (The Beatles) のロード・マネージャー (Road Manager) であるニール・アスピノール (Neil Aspinall) とマル・エヴァンス (Mal Evans) と謂う実在のモデルが存在している。彼らは [と謂っても映画の中の彼等ではなくて実在の人物である彼等] は、ザ・ビートルズ (The Beatles) のリヴァプール時代 (Liverpool Era) からの旧知の間柄だ。どちらがノーム (Norm) でどちらがシェイク (Shake) なのか、どちらがニール・アスピノール (Neil Aspinall) でどちらがマル・エヴァンス (Mal Evans) なのかは解らないけれども、そしてかなりのカリカチュア (Caricature) がなされているのに違いないけれども、実際の人物のひととなりを基にその人物像が設定されていると思ってもいいだろう。
そして勿論、映画の中のザ・ビートルズ (The Beatles) の4人、ジョン(John) [演:ジョン・レノン (John Lennon)]、ポール (Paul) [演:ポール・マッカートニー (Paul McCartney) ]、ジョージ (George) [演:ジョージ・ハリソン (George Harrison)]、そしてリンゴ (Ringo) [演:リンゴ・スター (Ringo Starr)]も、実在するザ・ビートルズ (The Beatles) の4人、ジョン・レノン (John Lennon)、ポール・マッカートニー (Paul McCartney)、ジョージ・ハリソン (George Harrison) そしてリンゴ・スター (Ringo Starr) と極めて近似値に近い存在でありながら決して4人そのものではない。
それは、近松門左衛門 (Chikamatsu Monzaemon) の『虚実皮膜論 (The Slender Margin Between The Real And The Unreal)』の実証であるかの様なモノと思ってもいいのかもしれないし、これらの作品発表から数年の後に顕れるアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)
』 [1967年発表] のアルバム・カヴァーに顕れる、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band) に扮した実在する4人のザ・ビートルズ (The Beatles) とアイドル全盛時代の彼らを蝋人形 (Wax Sculpture) 化した4体との関係に比す事が出来るのかもしれない。
映画の中に絶えずどこにでも登場し、いつでもどこまでも彼らを追い叫ぶ少女達が、映画制作の為にかき集められた単なるエキストラではなくて当時の純粋なファン達がそのまま映画の中に登場した様に、この映画は極めて虚構に近い形の現実であると同時に、極めて現実に近い形の虚構であるのだ。
そうやって物語の細部を追っていくと、祖父 (John McCartney, Paul's Grandfather) だけが唯独り、完全な虚構の存在としてある事に気づく。
[虚構の存在として登場する、列車内で彼等が出逢う女学生のひとりはパティ・ボイド (Pattie Boyd) で後にジョージ・ハリソン (George Harrison) と結婚してしまうのだ。]
と同時にぼく達はもうひとつの事に気づくのだ。当時の [実在の] ザ・ビートルズ (The Beatles) の最も近い場所にいるべき人物がこの映画の中には一切、登場していない事を。
5人目のザ・ビートルズ (The Fifth Beatle) と謂う語句がある。一般的には、彼らのマネージャー (Manager) であるブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) を指す言葉だ。
いや、真の意味では彼等のプロデューサー (Record Producer) であるジョージ・マーティン (George Martin) が相応しい、そんな議論があるが、この映画にはレコーディング風景 (Recording Scene) が一切登場しないから彼の出演シーンはない。その代わりに、彼にはより彼に相応しい場として音楽監督 (Music Director) としての地位が充てがわれている [制作陣の中にもブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) の名はない]。
だがしかし、ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) が祖父 (John McCartney, Paul's Grandfather) である訳はない。むしろ、彼本来の役回りとしては、ツアーのお荷物にしかならない様な彼にはお引き取りを願うのがその筋の筈だ。
ここで一気に結論へ雪崩れ込んでもいいのだけれども、その前にこんな疑問はどうだろうか。
何故、彼がポール (Paul) の祖父 (Grandfather) でならなければならなかったのか。
ジョン (John) の、ジョージ (George) の、もしくはリンゴ (Ringo) の祖父 (Grandfather) であってはならなかったのか。
メンバー4人の性格や思考回路を前提に考えるには、この問題は結構、面白いと同時に凄く難しい問題の様に思えるのだが、如何だろうか。
彼がポール (Paul) 以外の祖父 (Grandfather) である事を前提に映画を考えるのは幾らでも可能な様に思えるが、ひとつとして、同じ映画にはならない様にぼくには思える。
と同時に、他の3人のそれぞれの場合、同行する親族は、祖父 (Grandfather) 以外の人物の可能性の方が高くも思える。
後年、ジョン・レノン (John Lennon) に影の様に擦り寄っていたのはあの、小野洋子 (Yoko Ono) だ。
ただ、当時のジョン (John) は絶対に誰も帯同を許さない様に思えるし、ジョージ (George) の場合は他の3人がその人物の帯同を許さないだろう。
そしてもし仮に、リンゴ (Ringo) が親族を同道したら映画後半の、リンゴ (Ringo) の放浪する説話自体があり得ない物語となってしまう。
そう、つまり、祖父 (John McCartney, Paul's Grandfather) が仮令、他の3人の誰かの祖父 (Grandfather) ないしは他の親族であろうとも、彼の役割は、リンゴ (Ringo) をバンドから離脱させ彼にひとりの放浪者 (Exile) として徘徊させる為にあるのだ。
そして誰の眼にも明らかだが、そのシーンこそ映画の中で最も美しいシーンのひとつであると同時に、俳優としてリンゴ・スター (Ringo Starr) が開眼した瞬間でもあるのだ。
つまり、ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) の庇護下であっては決して現実化出来なかった事が、彼 [と彼と似た様な人物] が不在の物語であるが故に描きえた虚構が、この映画『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!
(A Hard Day's Night)』と謂えるのではないだろうか。
だから、祖父 (John McCartney, Paul's Grandfather) とはとりもなおさず、映画監督 (Movie Director) リチャード・レスター (Richard Lester) そのものなのではないかとぼくは思う。
少なくとも映像のなかにあるザ・ビートルズ (The Beatles) と謂う存在に関する限り、リチャード・レスター (Richard Lester) は5人目のザ・ビートルズ (The Fifth Beatle) の称号は相応しいのではないか。
音楽制作 (Record Production) の現場に於いて、ジョージ・マーティン (George Martin) が5人目のザ・ビートルズ (The Fifth Beatle) と看做す事出来得るのであるのならば [音楽制作 (Record Production) に於いて、ジョン・レノン (John Lennon) がブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) に対して、一切くちだししない様に厳命したと謂う逸話をふと憶い出す。つまり彼はそこでも不在であらねばならなかったのだ]。
それは彼等がタッグを組んだ次の映画『ヘルプ! 4人はアイドル
(Help!)』 [1965年] だけの事ではない。
映画『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!
(A Hard Day's Night)』の中で描かれている4人の描写をそのまま延長して、彼等のライヴ映像やドキュメンタリー映像を、ぼく達は観てはいないだろうか。
次回は「あ」。
そしてその前回が楽曲『レット・イット・ビー (Let It Be)』 [アルバム『レット・イット・ビー (Let It Be)
[この連載シリーズは、そのルールの設定上、タイトルだけが先行して決定する結果、その内容はいつも考え考え、その考えの及ぶママに記載しているのです。]
『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ! (A Hard Day's Night)』と謂う名称の創作物は厳密に考えれば、みっつの異なる作品がある。
ひとつは、レノン・マッカートニー (Lennon - McCartney ) 作品であるところの楽曲『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ! (A Hard Day's Night)』 [1964年発表 英オリジナル盤で数えると7作目のシングル曲] とその楽曲を収録し、それを表題に据えたザ・ビートルズ (The Beatles) の3作目のアルバム『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ! (A Hard Day's Night)
この3作品だ。
これらはそれぞれが密接に連合し、一見すると、たったひとつの事をみっつの異なる側面から見据えたあたかも三位一体論 (Trinitas) であるかの様に思えるかもしれないが、楽曲とその収録アルバムとそれを主題歌とする映画は、そこを起点に語り始めれば、みっつの異なる路がみえるのに違いなく、もしかしたら、それらはその後、絶対に交わらないモノなのかもしれないのだ。
と、書いては恐らく嘘だ。
但し、みっつをひっくるめてひとつのモノとしてだけ眺めていれば、それはそこでおわりで、きみやぼくにとって、新しい体験はいっかなやってこない。
単なる好きなモノのひとつであり、ただの懐かしいモノのひとつにとどまるのにすぎないだろう。

だからここでは、ひとつ、疑問を投げかけてみる。映画『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!
[掲載画像はこちら。画面左からジョージ・ハリソン (George Harrison)、リンゴ・スター (Ringo Starr)、ジョン・レノン (John Lennon)、ポール・マッカートニー (Paul McCartney) そしてその祖父 (John McCartney, Paul's Grandfather) を演じるウィルフレッド・ブランビル (Wilfrid Brambell)。 ]
作品の中では、ザ・ビートルズ (The Beatles) と謂う人気グループの1/4であるポール (Paul) [演:ポール・マッカートニー (Paul McCartney) ] の祖父 (Grandfather) として、彼等のツアーに帯同し、行く先々でトラブルの源となると謂う、謂わば、この作品で描かれている虚構としてのザ・ビートルズ (The Beatles) の、狂言回し (Trickster) 的な役どころだ。
つまり、謂うまでもなく、実際のザ・ビートルズ (The Beatles) のツアーには彼の様な人物の存在はあり得ない。
だが、その代わりに、映画の中に登場するふたりのロード・マネージャー (Road Manager)、ノーム (Norm) [演:ノーマン・ロッシントン (Norman Rossington) ] とシェイク (Shake) [演:ジョン・ジャンキン (John Junkin) ] には、実際のザ・ビートルズ (The Beatles) のロード・マネージャー (Road Manager) であるニール・アスピノール (Neil Aspinall) とマル・エヴァンス (Mal Evans) と謂う実在のモデルが存在している。彼らは [と謂っても映画の中の彼等ではなくて実在の人物である彼等] は、ザ・ビートルズ (The Beatles) のリヴァプール時代 (Liverpool Era) からの旧知の間柄だ。どちらがノーム (Norm) でどちらがシェイク (Shake) なのか、どちらがニール・アスピノール (Neil Aspinall) でどちらがマル・エヴァンス (Mal Evans) なのかは解らないけれども、そしてかなりのカリカチュア (Caricature) がなされているのに違いないけれども、実際の人物のひととなりを基にその人物像が設定されていると思ってもいいだろう。
そして勿論、映画の中のザ・ビートルズ (The Beatles) の4人、ジョン(John) [演:ジョン・レノン (John Lennon)]、ポール (Paul) [演:ポール・マッカートニー (Paul McCartney) ]、ジョージ (George) [演:ジョージ・ハリソン (George Harrison)]、そしてリンゴ (Ringo) [演:リンゴ・スター (Ringo Starr)]も、実在するザ・ビートルズ (The Beatles) の4人、ジョン・レノン (John Lennon)、ポール・マッカートニー (Paul McCartney)、ジョージ・ハリソン (George Harrison) そしてリンゴ・スター (Ringo Starr) と極めて近似値に近い存在でありながら決して4人そのものではない。
それは、近松門左衛門 (Chikamatsu Monzaemon) の『虚実皮膜論 (The Slender Margin Between The Real And The Unreal)』の実証であるかの様なモノと思ってもいいのかもしれないし、これらの作品発表から数年の後に顕れるアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)
映画の中に絶えずどこにでも登場し、いつでもどこまでも彼らを追い叫ぶ少女達が、映画制作の為にかき集められた単なるエキストラではなくて当時の純粋なファン達がそのまま映画の中に登場した様に、この映画は極めて虚構に近い形の現実であると同時に、極めて現実に近い形の虚構であるのだ。
そうやって物語の細部を追っていくと、祖父 (John McCartney, Paul's Grandfather) だけが唯独り、完全な虚構の存在としてある事に気づく。
[虚構の存在として登場する、列車内で彼等が出逢う女学生のひとりはパティ・ボイド (Pattie Boyd) で後にジョージ・ハリソン (George Harrison) と結婚してしまうのだ。]
と同時にぼく達はもうひとつの事に気づくのだ。当時の [実在の] ザ・ビートルズ (The Beatles) の最も近い場所にいるべき人物がこの映画の中には一切、登場していない事を。
5人目のザ・ビートルズ (The Fifth Beatle) と謂う語句がある。一般的には、彼らのマネージャー (Manager) であるブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) を指す言葉だ。
いや、真の意味では彼等のプロデューサー (Record Producer) であるジョージ・マーティン (George Martin) が相応しい、そんな議論があるが、この映画にはレコーディング風景 (Recording Scene) が一切登場しないから彼の出演シーンはない。その代わりに、彼にはより彼に相応しい場として音楽監督 (Music Director) としての地位が充てがわれている [制作陣の中にもブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) の名はない]。
だがしかし、ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) が祖父 (John McCartney, Paul's Grandfather) である訳はない。むしろ、彼本来の役回りとしては、ツアーのお荷物にしかならない様な彼にはお引き取りを願うのがその筋の筈だ。
ここで一気に結論へ雪崩れ込んでもいいのだけれども、その前にこんな疑問はどうだろうか。
何故、彼がポール (Paul) の祖父 (Grandfather) でならなければならなかったのか。
ジョン (John) の、ジョージ (George) の、もしくはリンゴ (Ringo) の祖父 (Grandfather) であってはならなかったのか。
メンバー4人の性格や思考回路を前提に考えるには、この問題は結構、面白いと同時に凄く難しい問題の様に思えるのだが、如何だろうか。
彼がポール (Paul) 以外の祖父 (Grandfather) である事を前提に映画を考えるのは幾らでも可能な様に思えるが、ひとつとして、同じ映画にはならない様にぼくには思える。
と同時に、他の3人のそれぞれの場合、同行する親族は、祖父 (Grandfather) 以外の人物の可能性の方が高くも思える。
後年、ジョン・レノン (John Lennon) に影の様に擦り寄っていたのはあの、小野洋子 (Yoko Ono) だ。
ただ、当時のジョン (John) は絶対に誰も帯同を許さない様に思えるし、ジョージ (George) の場合は他の3人がその人物の帯同を許さないだろう。
そしてもし仮に、リンゴ (Ringo) が親族を同道したら映画後半の、リンゴ (Ringo) の放浪する説話自体があり得ない物語となってしまう。
そう、つまり、祖父 (John McCartney, Paul's Grandfather) が仮令、他の3人の誰かの祖父 (Grandfather) ないしは他の親族であろうとも、彼の役割は、リンゴ (Ringo) をバンドから離脱させ彼にひとりの放浪者 (Exile) として徘徊させる為にあるのだ。
そして誰の眼にも明らかだが、そのシーンこそ映画の中で最も美しいシーンのひとつであると同時に、俳優としてリンゴ・スター (Ringo Starr) が開眼した瞬間でもあるのだ。
つまり、ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) の庇護下であっては決して現実化出来なかった事が、彼 [と彼と似た様な人物] が不在の物語であるが故に描きえた虚構が、この映画『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!
だから、祖父 (John McCartney, Paul's Grandfather) とはとりもなおさず、映画監督 (Movie Director) リチャード・レスター (Richard Lester) そのものなのではないかとぼくは思う。
少なくとも映像のなかにあるザ・ビートルズ (The Beatles) と謂う存在に関する限り、リチャード・レスター (Richard Lester) は5人目のザ・ビートルズ (The Fifth Beatle) の称号は相応しいのではないか。
音楽制作 (Record Production) の現場に於いて、ジョージ・マーティン (George Martin) が5人目のザ・ビートルズ (The Fifth Beatle) と看做す事出来得るのであるのならば [音楽制作 (Record Production) に於いて、ジョン・レノン (John Lennon) がブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) に対して、一切くちだししない様に厳命したと謂う逸話をふと憶い出す。つまり彼はそこでも不在であらねばならなかったのだ]。
それは彼等がタッグを組んだ次の映画『ヘルプ! 4人はアイドル
映画『ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ!
次回は「あ」。
- 関連記事
-
- としちゃんかんげき (2015/06/16)
- あいとはけっしてこうかいしないこと (2015/06/09)
- びーとるずがやってくるやぁやぁやぁやぁ (2015/06/02)
- れっといっとびー (2015/05/26)
- なをなのれ (2015/05/19)