2014.12.30.11.29
『マンガの読み方』 [別冊宝島Ex 1995年刊行] と謂うムックがあって、その『第2章 マンガという「記号」』の中に『ひと目でわかる「形喩」図鑑!』 [著:竹熊健太郎 (Kentaro Takekuma)] と謂う論評がある。
そこではいくつもの漫符 (Manpu : Symbols On Manga) が分類されて数多くの図版と伴に紹介されているが、その漫符 (Manpu : Symbols On Manga) のひとつとして「ツギ」が掲載されている。
そこで謂う「ツギ」とは、衣類の破れた箇所に新たに別の布をあてがって縫い付けて修復する、その手法の事であると同時に、あてがわれた布自身を指す言葉だ。
つぎはぎだらけの〜 (Patching And Darning) と謂う形容句の語源でもあるし、その布を小洒落たデザイン等で処置すれば、パッチワーク (Patchwork) とも呼ばれる。
あのつぎ (Patching) の事である。
と、取り急ぎこの拙稿の主題であるところのつぎ (Patching) については定義してみてはものの、ここまで綴ってきた短い文章のなかに、いくつもきちんと定義しなければならない語句も登場している。
でも、それではと謂って一文字一文字、その作業をしている訳にもいかない。
不明な語句や曖昧な語句は、それぞれに貼ったリンク先を照会してもらう事にして、先に進める。

マンガ作品に登場するつぎ (Patching) の中で、恐らく、最も認知度が高いと思われるモノが上に掲載した画像ではないだろうか [掲載画像はこちらから]。
マンガ『巨人の星
(Kyojin No Hoshi : Star Of The Giants)』 [原作:梶原一騎 (Ikki Kajiwara) 作画;川崎のぼる (Noboru Kawasaki) 1966~1971年 週刊少年マガジン連載] からの1齣、所謂、ちゃぶ台返し (Table-Flip) のシーンである。
ビンタを喰らわす (Face Slapping) 方の父親星一徹 (Ittetsu Hoshi) と、ビンタを喰らわせられる (Face Slapped) 方の息子星飛雄馬 (Hyuuma Hoshi)、その双方が履くズボンの両膝に四角状のモノ、今回指摘すべきつぎ (Patching) があてられている。
でも、だからと謂って、これ即ち、漫符 (Manpu : Symbols On Manga) としての「ツギ」であるとは、簡単に断言する事は出来ない。
と、謂うのは、星一徹 (Ittetsu Hoshi) と星飛雄馬 (Hyuuma Hoshi)、この親子が履くズボンに、実際に、現実的に、つぎ (Patching) があてられていると謂う解釈も可能だからだ。と謂うよりも、そう解釈する方が順当だ。
「物資の不足していた時代は、古着にツギを当てて長持ちさせたものだが、これはまた貧乏の象徴でもあった」[『ひと目でわかる「形喩」図鑑!』 [著:竹熊健太郎 (Kentaro Takekuma)]より]
つまり、上掲の1齣に登場する「ツギ」から、その中に登場している3人の人物達の、生活環境や経済状態を読者が解読出来て初めて、つぎ (Patching) は漫符 (Manpu : Symbols On Manga) としての「ツギ」へと昇華出来るのである。
一見、ややこしい事を綴ってみせている様な印象を与えかねないが、比喩 (Metaphor) が比喩 (Metaphor) として生成する事を可能とする構造を、逐語的に表現したモノにすぎない。
単純に上の例で謂い換えると、もし仮に星一徹 (Ittetsu Hoshi) や星飛雄馬 (Hyuuma Hoshi) のつぎ (Patching) が、実際の齣に描かれている様な形状ではなくて、林檎 (Apple) やチューリップ (Tulip) のアップリケ (Applique) だったら、どの様なモノに観えるのか。もしくは、その齣の背景が長屋 (Terraced house) の四畳半 (Four‐and‐a‐half‐mat Room) ではなくて、ロココ調 (Rococo) の調度品で飾られた洋間だったら、どの様に観えるのか。
つまりは、そういう齣の中に描かれているいくつもの要因が重なって、ひとつの象徴として、漫符 (Manpu : Symbols On Manga) としての「ツギ」が生成されていくのである。
そして『ひと目でわかる「形喩」図鑑!』 [著:竹熊健太郎 (Kentaro Takekuma)] では「貧乏の象徴」から発展して以下の様な論評が続く。
「『コンプレックス』、『ダサい』と謂う意味をもつ」
「彼女が着ているのは古着ではない。着物のツギアテは、彼女がある出来事でいじけた瞬間に貼りついたのだ。つまりこれは実際のツギではなく『いじけ』を象徴する形喩である」
[いずれも『ひと目でわかる「形喩」図鑑!』 [著:竹熊健太郎 (Kentaro Takekuma)] より]
本来ならば、そこで指摘されている様な暗示としての「ツギ」を紹介すべきところだが、インターネット上では、それに相応しい作例をどうしても発見出来ない。だから、近年に発表されたマンガ作品を丹念に繙いて頂くしかない。
ちなみに上の引用で用例として掲載されているのはマンガ『動物のお医者さん
(Doubutsu No Oisha-san)』 [作;佐々木倫子 (Noriko Sasaki) 1987~1993年 花とゆめ連載] の1齣である。
その代わりと謂うのも変な話だが、手塚治虫 (Tezuka Osamu) のキャラクターであるヒョウタンツギ (Hyotantsugi : Gourdski) に関して記しておこう。
彼の作品の中で頻繁に登場するあのキャラクターに張り付いているつぎ (Patching) は、一体、なんなのだろうか?
単純に考えれば、ヒョウタンツギ (Hyotantsugi : Gourdski) と謂う生物 [なのか?] 特有の紋様と考えられなくもない。しかし、、あのキャラクターはそれそのものとして単独で手塚治虫 (Tezuka Osamu) 作品に登場する例はあまりない。
むしろ、作品中のあるキャラクターにほんの一瞬憑依して、もしくは、あるキャラクターがヒョウタンツギ (Hyotantsugi : Gourdski) にほんの一瞬変身して、登場する場合が殆どだ。
ある意味で、その憑依 / 変身したキャラクターの心象の象徴としてヒョウタンツギ (Hyotantsugi : Gourdski) が顕れていると謂っても良い。
ではその場合の、象徴しているモノとはなんなのか。そして、その象徴する存在であるヒョウタンツギ (Hyotantsugi : Gourdski) に貼り付いているつぎ (Patching) とは一体、なんなのか。
次回は「ぎ」。
附記:
ここでは漫符 (Manpu : Symbols On Manga) のひとつである「ツギ」に限定したけれども、実際の生活に登場するつぎ (Patching) の意味合いも随分と変化している様にも思える。
貧乏だからつぎ (Patching) のあてられた衣服を纏うと謂う訳では、衣服につぎ (Patching) があてられているから貧乏であると謂う訳では、決してない。
そこではいくつもの漫符 (Manpu : Symbols On Manga) が分類されて数多くの図版と伴に紹介されているが、その漫符 (Manpu : Symbols On Manga) のひとつとして「ツギ」が掲載されている。
そこで謂う「ツギ」とは、衣類の破れた箇所に新たに別の布をあてがって縫い付けて修復する、その手法の事であると同時に、あてがわれた布自身を指す言葉だ。
つぎはぎだらけの〜 (Patching And Darning) と謂う形容句の語源でもあるし、その布を小洒落たデザイン等で処置すれば、パッチワーク (Patchwork) とも呼ばれる。
あのつぎ (Patching) の事である。
と、取り急ぎこの拙稿の主題であるところのつぎ (Patching) については定義してみてはものの、ここまで綴ってきた短い文章のなかに、いくつもきちんと定義しなければならない語句も登場している。
でも、それではと謂って一文字一文字、その作業をしている訳にもいかない。
不明な語句や曖昧な語句は、それぞれに貼ったリンク先を照会してもらう事にして、先に進める。

マンガ作品に登場するつぎ (Patching) の中で、恐らく、最も認知度が高いと思われるモノが上に掲載した画像ではないだろうか [掲載画像はこちらから]。
マンガ『巨人の星
ビンタを喰らわす (Face Slapping) 方の父親星一徹 (Ittetsu Hoshi) と、ビンタを喰らわせられる (Face Slapped) 方の息子星飛雄馬 (Hyuuma Hoshi)、その双方が履くズボンの両膝に四角状のモノ、今回指摘すべきつぎ (Patching) があてられている。
でも、だからと謂って、これ即ち、漫符 (Manpu : Symbols On Manga) としての「ツギ」であるとは、簡単に断言する事は出来ない。
と、謂うのは、星一徹 (Ittetsu Hoshi) と星飛雄馬 (Hyuuma Hoshi)、この親子が履くズボンに、実際に、現実的に、つぎ (Patching) があてられていると謂う解釈も可能だからだ。と謂うよりも、そう解釈する方が順当だ。
「物資の不足していた時代は、古着にツギを当てて長持ちさせたものだが、これはまた貧乏の象徴でもあった」[『ひと目でわかる「形喩」図鑑!』 [著:竹熊健太郎 (Kentaro Takekuma)]より]
つまり、上掲の1齣に登場する「ツギ」から、その中に登場している3人の人物達の、生活環境や経済状態を読者が解読出来て初めて、つぎ (Patching) は漫符 (Manpu : Symbols On Manga) としての「ツギ」へと昇華出来るのである。
一見、ややこしい事を綴ってみせている様な印象を与えかねないが、比喩 (Metaphor) が比喩 (Metaphor) として生成する事を可能とする構造を、逐語的に表現したモノにすぎない。
単純に上の例で謂い換えると、もし仮に星一徹 (Ittetsu Hoshi) や星飛雄馬 (Hyuuma Hoshi) のつぎ (Patching) が、実際の齣に描かれている様な形状ではなくて、林檎 (Apple) やチューリップ (Tulip) のアップリケ (Applique) だったら、どの様なモノに観えるのか。もしくは、その齣の背景が長屋 (Terraced house) の四畳半 (Four‐and‐a‐half‐mat Room) ではなくて、ロココ調 (Rococo) の調度品で飾られた洋間だったら、どの様に観えるのか。
つまりは、そういう齣の中に描かれているいくつもの要因が重なって、ひとつの象徴として、漫符 (Manpu : Symbols On Manga) としての「ツギ」が生成されていくのである。
そして『ひと目でわかる「形喩」図鑑!』 [著:竹熊健太郎 (Kentaro Takekuma)] では「貧乏の象徴」から発展して以下の様な論評が続く。
「『コンプレックス』、『ダサい』と謂う意味をもつ」
「彼女が着ているのは古着ではない。着物のツギアテは、彼女がある出来事でいじけた瞬間に貼りついたのだ。つまりこれは実際のツギではなく『いじけ』を象徴する形喩である」
[いずれも『ひと目でわかる「形喩」図鑑!』 [著:竹熊健太郎 (Kentaro Takekuma)] より]
本来ならば、そこで指摘されている様な暗示としての「ツギ」を紹介すべきところだが、インターネット上では、それに相応しい作例をどうしても発見出来ない。だから、近年に発表されたマンガ作品を丹念に繙いて頂くしかない。
ちなみに上の引用で用例として掲載されているのはマンガ『動物のお医者さん
その代わりと謂うのも変な話だが、手塚治虫 (Tezuka Osamu) のキャラクターであるヒョウタンツギ (Hyotantsugi : Gourdski) に関して記しておこう。
彼の作品の中で頻繁に登場するあのキャラクターに張り付いているつぎ (Patching) は、一体、なんなのだろうか?
単純に考えれば、ヒョウタンツギ (Hyotantsugi : Gourdski) と謂う生物 [なのか?] 特有の紋様と考えられなくもない。しかし、、あのキャラクターはそれそのものとして単独で手塚治虫 (Tezuka Osamu) 作品に登場する例はあまりない。
むしろ、作品中のあるキャラクターにほんの一瞬憑依して、もしくは、あるキャラクターがヒョウタンツギ (Hyotantsugi : Gourdski) にほんの一瞬変身して、登場する場合が殆どだ。
ある意味で、その憑依 / 変身したキャラクターの心象の象徴としてヒョウタンツギ (Hyotantsugi : Gourdski) が顕れていると謂っても良い。
ではその場合の、象徴しているモノとはなんなのか。そして、その象徴する存在であるヒョウタンツギ (Hyotantsugi : Gourdski) に貼り付いているつぎ (Patching) とは一体、なんなのか。
次回は「ぎ」。
附記:
ここでは漫符 (Manpu : Symbols On Manga) のひとつである「ツギ」に限定したけれども、実際の生活に登場するつぎ (Patching) の意味合いも随分と変化している様にも思える。
貧乏だからつぎ (Patching) のあてられた衣服を纏うと謂う訳では、衣服につぎ (Patching) があてられているから貧乏であると謂う訳では、決してない。
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