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2014.11.11.05.28

きたぐにのていおう

と、書いてみると現ロシア連邦大統領 (Prezident Rossiyskoy Federatsii) ウラジーミル・プーチン (Vladimir Vladimirovich Putin) を揶揄した謂いにもみえるし、その元ネタ [なのか?] の帝政ロシア (Rossiyskaya Imperiya) の歴代皇帝 (Imperator Vserossiyskiy) をも想わせる。
世代的な視点から語れば、『シートン動物記 (Wild Animals I Have Known)』[作:アーネスト・トンプソン・シートン (Ernest Thompson Seton) 1898年刊行] の挿話にもありそうな題名の様な気がしないでもないし、それに範を取った石川球太 (Kyuta Ishikawa) [代表作:『牙王 (Gaou : King Of Fang)』 1965年発表] や高橋よしひろ (Yoshihiro Takahashi) [代表作:『銀牙 -流れ星 銀- (Ginga: Nagareboshi Gin)』 1983年発表] 描く動物マンガの中にも出てきそうだ。
勿論、本宮ひろ志 (Hiroshi Motomiya) [代表作はこの文脈では『男一匹ガキ大将 (Otoko Ippiki Gaki Daishou1968年発表] 辺りから連綿と続くやんちゃな学生達 (Mischievous Students) を描いたマンガの中にもそんな二つ名 (Alias) を持つ登場人物がいても可笑しくないし、どこぞの格闘技団体 (Professional Mixed Martial Arts Organizations) にそんなリング・ネーム (Ring Name) の選手が居ないと謂う保証もない。

まぁ、それだけ、仰々しい名称である代わりに、その代わりに、その辺に一山いくらで売って (Sold By The Lot) も居そうなネーミングでもある。

ここで綴るのは、そんなニックネームで呼ばれたある人物と、彼を主人公とした映画作品だ。

映画『北国の帝王 (Emperor Of The North Pole)』[ロバート・アルドリッチ (Robert Aldrich) 監督作品 1973年制作] である。
作品名となった、ここでの北国の帝王 (Emperor Of The North Pole) とは一介の、定住すら持たぬ初老の失業者 (Unemployment) の渾名、ナンバー・ワン (A No. 1) [演:リー・マーヴィン (Lee Marvin)] と呼ばれている男の事である。

物語に設けられた時代設定は世界恐慌 (The Great Depression) [1929年発生] を受けての大不況 (Long Depression) 時。ある種のヒトビトはホーボー (Hobo) と呼ばれ、職と食を求めて全米各地を放浪するのだが、その際には、全米を横断する鉄道 (Transcontinental Railroad) の、その車輌に隠れ潜み、無賃乗車 (Steal A Ride) するのが常だった。
そんな彼らが唯一人怖れていたのが、シャック (Shack) [演:アーネスト・ボーグナイン (Ernest Borgnine)] と謂う車掌 (Conductor) であり、彼が乗車する列車だけは避ける様にしていた。と、謂うのも、その車掌は無賃乗車犯 (Stealer A Ride) を見つけ次第、容赦ない対応、暴力は疎か殺害さえも厭わないおとこだったからだ。
かくして、ホーボー (Hobo) の名誉をかけて、北国の帝王 (Emperor Of The North Pole) の名にかけて、ナンバー・ワン (A No. 1) [演:リー・マーヴィン (Lee Marvin)] はシャック (Shack) [演:アーネスト・ボーグナイン (Ernest Borgnine)] が車掌 (Conductor) を担う列車に潜り込むのだ。

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物語の粗筋でもあり、物語の舞台設定でもあるのが上記の様なモノになるが、そおゆう事は殆ど無関係に、物語は進む。
唯、只管、リー・マーヴィン (Lee Marvin) とアーネスト・ボーグナイン (Ernest Borgnine) と謂う、灰汁の強い (Pushy Fellow) 俳優 [それは演技だけではなく顔そのものもだけど] が、逃げも隠れも出来ない貨物車輌 (Rail Freight Transport) の上で大乱闘、殴り合いを繰り広げるのだ。
ちなみに両者、映画制作時の実年齢を記せば、前者が49歳、後者が56歳。ひとつ時代が異なれば隠居 (Retired) していても、我が子や我が孫に囲まれて好々爺然 (Looks Like A Good‐natured Old Man) としても不思議でもない年齢だ。
そんな爺ふたりが、なにもかもかなぐり捨てて、文字通りにぶつかり合うのだ。
こんな映画、こんな物語は、他には知らない。

爺が生死を賭けて闘う物語は、例えば映画『真昼の決闘 (High Noon)』 [フレッド・ジンネマン (Fred Zinnemann) 監督作品 1952年制作] や、アーネスト・ボーグナイン (Ernest Borgnine) も出演している映画『ワイルドバンチ (The Wild Bunch)』 [サム・ペキンパー (Sam Peckinpah) 監督作品 1969年制作] があるが、あれは集団抗争、一対他もしくは多対多の闘いであり、比較にならない。そもそも、そのふたつの作品の主要な主題かもしれない喪失感 (Sense Of Loss) は、ここには一切登場しない。
それは本来ならば、この作品の企画立案者であるサム・ペキンパー (Sam Peckinpah) が降板し、ロバート・アルドリッチ (Robert Aldrich) が監督となったからかもしれない。当初の予定どおり、サム・ペキンパー (Sam Peckinpah) が監督を務めていれば、現行のモノには成らなかった筈だ。殺伐とした光景の向こうに、きっとセンチメタリズム (Sentimentalism) が潜んでいるのに違いないのだ。
だから、夢想の中のサム・ペキンパー (Sam Peckinpah) 版を観てみたかったと謂う気がしないでもないが、現実に存在しているロバート・アルドリッチ (Robert Aldrich) 版で正解な様な気がする。

列車には少なくともふたり、機関士と機関助士 (Train Driver And Fireman) がいる筈だが、彼等の闘いには一切関わらない。
だから例えば、船舶 (Ship) や宇宙船 (Starship) での密航者 (Stowaway) の物語の様に、多対一の対決構造すらも、ここにはない。そして、その多くが乗船を許されてその後の航行業務に携わる様な物語展開になるのだろうけれども、この物語はそうはならない。
シャック (Shack) [演:アーネスト・ボーグナイン (Ernest Borgnine)] は排除以外の事には一切、考えが及ばないのだ。

物語序盤には、悪名を轟かせているふたりの鼻を明かそうと、ひとりの青年、シガレット (Cigaret) [ 演:キース・キャラダイン (Keith Carradine)] がその列車にも乗り込むが、彼はさっさと振り落とされる。振り落とされると同時に、いくばくかの心持ちで観客が期待していた、老人と少年の物語 (A Boy Meets An Old Man) の可能性も振り落とされる。つまり、彼らの一方の、後を継ぐ者の可能性、次世代 (Next Generations) が育まれる事すらも否定されるのだ。
それは復讐譚 (Vendetta) の否定でもあるし、続編 (Sequel) の否定でもある。第一、万が一、そんな事があり得ても、次の世代のモノが、同じ様に貨物車輌 (Rail Freight Transport) のうえで対峙する訳もない。

佇まいは、ある種の格闘技 (Martial Arts) であるどころか時に、古代ローマ (Roma antiqua) の剣闘士 (Gladiator) をも想起させるが、そこにはその成り行きを見守る観客も登場しない。
果たし合いと謂えば果たし合いだが、この場合、彼らは一体、何の為に、闘うのか。車掌 (Conductor) であるシャック (Shack) [演:アーネスト・ボーグナイン (Ernest Borgnine)] には少なくとも職業上の使命感はあるのかもしれないが、それすらもどこかで忘却されてしまう。ナンバー・ワン (A No. 1) [演:リー・マーヴィン (Lee Marvin)] に至っては態々、我が身を賭す意味すら、鼻から存在しない。
彼は、その列車が運搬している貨物には一切、興味がないのだ。
映画『大列車強盗 (The Great Train Robbery)』 [エドウィン・S・ポーター (Edwin S. Porter) 監督作品 1903年制作] から始まった伝統である、列車襲撃の物語すらも、ここでは機能しない。

己の生存を賭けてたったひとつの場所を奪い合う物語も過去、五万と語られてきたが、そんな物語の殆どは、同じリー・マーヴィン (Lee Marvin) がそこでは三船敏郎 (Toshiro Mifune) と対峙した映画『太平洋の地獄 (Hell In The Pacific)』 [ジョン・ブアマン (John Boorman) 監督作品 1968年制作] が良い例証で、その作品の様に、闘いの中からいつしかお互いを認め合う、友情の様な感情が生まれ育まれそしていつしか、共存への道を探る筈なのだ。
ここではそれすらも産まれ得ないのだ。

だから、ヒトとヒトとの対立であるよりも、映画『ジョーズ (Jaws) [スティーヴン・スピルバーグ (Steven Spielberg) 監督作品 1975年制作] の様な、ヒトにあらざる脅威との対決の物語の方に寧ろ、近い様にすら思えてくる。だがしかし、この物語での主人公はあくまでもナンバー・ワン (A No. 1) [演:リー・マーヴィン (Lee Marvin)]、襲われる側ではなくて襲う側の視点、つまり映画『ジョーズ (Jaws) [スティーヴン・スピルバーグ (Steven Spielberg) 監督作品 1975年制作] との対比で見れば、鮫 (Shark) の視点で物語が物語られている事になる。

と、以上の様なないない尽くしで、他に比べ様もない物語であって、よくぞこれが映画として成立できたなぁ、と未だに思う。
劇場公開時は観る事が叶わなかった作品であって、実際に観る事が出来たのは、今世紀に入ってからだ。
この物語は、当時読んでいた週刊少年マンガ誌 {Weekly Comic Mgazine For Boys} での映画紹介の記事で知っていたけど、それをずっと憶えていたのは、なんだろうな。
この映画について熱く語るヒトにも文章にも出逢えた事はなかったのだけれども、ある意味で、記憶の煮凝りの様なかたちで、様々な物語におおきな影響を与えていたのではないだろうか。

それとも、疾走する貨物車輌 (Rail Freight Transport) の車屋でふたりの爺が殺し合いをする、と考えるだけで、異様な昂奮状態に陥る、おれが変なのか。

そうして、出演者の名前を想い出しながら彼らの出演作を反芻し、こう思う。
リー・マーヴィン (Lee Marvin) は映画『キャット・バルー (Cat Ballou)』 [エリオット・シルヴァースタイン (Elliot Silverstein) 監督作品 1965年制作] で、アーネスト・ボーグナイン (Ernest Borgnine) は映画『マーティ (Marty)』 [デルバート・マン (Delbert Mann) 監督作品 1955年制作] で、それぞれアカデミー賞 (The Academy Award) の『主演男優賞 (Best Performance By An Actor In A Leading Role)』を受賞しているが、それが果たして、どんな意味をもっているのだろうか。
それよりも一度、ふたりには殴り合いの殺し合いをやってみて欲しかったんだ。
そんな声がこだまして聴こえるのである。

次回は「」。
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