2014.11.04.11.47
華厳滝 (Kegon Waterfall) は自殺の名所 (Suicide Site) として知られている。半ば、それを理由にして観光地 (Tourist Resort) 化しているふしもある。
とはいうものの、ここで実際に自殺 (Suicide) の既遂者 (Completed Suicide) や未遂者 (Suicide Attempter) がでた、と謂う事は昨今はあまり聴かない。
だから、謂い直そう。
華厳滝 (Kegon Waterfall) は、かつては自殺の名所 (Suicide Site) として知られていた。過去の事象だからこそ、それを理由に観光地 (Tourist Resort) としているふしもあるのだ。
華厳滝 (Kegon Waterfall) がそんな不名誉な呼称で知られているのは、たった一人の青年の所作による。つまり、彼がここで自殺 (Suicide) を図りそれを成し遂げたからだ。
1903年のことだ。
藤村操 (Misao Fujimura)、当時17歳 (Seventeen Years Old)。第一高等学校 [旧制一高] (First Higher School, Japan)、今で謂うところの東京大学教養学部 (College Of Arts And Sciences, The University Of Tokyo) の学生である。
彼の死、一介の無名の未成年の死が、華厳滝 (Kegon Waterfall) を自殺の名所 (Suicide Site) としてその名を轟かせる。そればかりか彼の模倣犯 (Copycat Criminal)、つまり、彼と同様、陸続として、そこで自殺 (Suicide) を図る、ないしは、自殺 (Suicide) を遂げるモノが続いたのだ。
無名の17歳 (Seventeen Years Old) の死が、何故、そこまでおおきな影響力を持ったのかと謂うと、ふたつの「不可解 (Incomprehensible)」がそこにあるからだ。
ひとつは外形的に、彼の死の理由が解らない。
彼の身分は、未来を完全に保障されたモノ、つまり国家の中枢に参与する資格をもったエリート (Elite) だからなのである。上に書いた様に、第一高等学校 [旧制一高] (First Higher School, Japan) は現在の東京大学教養学部 (College Of Arts And Sciences, The University Of Tokyo) になぞらえる事が出来るが、現在のそこの学生よりも、破格な優秀な逸材と、当時は自他共に看做していた。
そんな人物が自死 (Suicide) したのである。世の一般市民には全く不可解 (Incomprehensible) なモノなのである。
そして、もうひとつの「不可解 (Incomprehensible)」とは、彼自身が述べている。
遺書 (Farewell Note) として遺した『巌頭之感 (Farewell Poem)』に、その文字がある。
せっかくだから引用しよう。猶、上に記した英語タイトルのリンク先には英訳が掲載されている。
「巌頭之感
悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。」
その遺書を今のぼく達が読んでも、一体、なにを主張しているのか、なにを主張したいのか、一切解らない。それだけではない。当時のヒトビトが読んでも、やっぱり解らない。むしろ、読めば読む程、彼の自殺 (Suicide) の原因も理由も深い闇の中に閉ざされる。いろいろな憶測を呼ぶばかりだ。
結果、「不可解 (Incomprehensible)」と謂う語句が一人歩きする。当時の流行語にもなる。
『巌頭之感 (Farewell Poem)』は彼が自殺を試みた場所の傍にある水楢 (Japanese Oak [Quercus crispula Blume]) に刻まれてていて、それは写真撮影され、いまでもこうして読む事が出来る。華厳滝 (Kegon Waterfall) の土産売場でも (At A Souvenir Shop) 所望する事が出来る。文頭で「それを理由にして観光地化 (Tourist Resort) しているふし」と綴ったのはそういう理由だ。
時代的には、日清戦争 (First Sino-Japanese War) [1894~1895年] の戦後処理の時代、つまり講和後 (After Making Conclude Peace With) の日清講和条約 [下関条約] (Treaty Of Shimonoseki) [1895年締結] の履行とそれに対する三国干渉 (Triple Intervention) を受けての臥薪嘗胆 (Sleeping On Sticks And Tasting Gall) の時代だ。一言で言えば、日露戦争 (Russo-Japanese War) [1904〜1905年] 直前の時代である。
戦争に勝ったが故に生じた高揚感はそのまま国民の意思下にナショナリズム (Nationalism) を形成させるが、勝利したのにも関わらずに第三国からの干渉を受けて、そのナショナリズム (Nationalism) は鬱屈する。
その鬱屈した感情はどこに捌け口を求めるのか。この時代は文学史 (History Of Japanese literature) の見地からみれば、浪漫主義 (Romanticism In Japanese Literature) 華やかりし時代なのである。
大雑把な表現をしてしまえば、藤村操 (Misao Fujimura) の死は、その衝突の結果なのかもしれない。
否、彼の死はともかくとしても、彼の追従者、模倣犯 (Copycat Criminal) は、彼の死とこれから迎えるであろう自身の死を、その様なモノとして看做してはいなかっただろうか。
彼の自死 (Suicide) の理由や原因に、彼の失恋 (Suffer FromA Broken Heart) に見出そうとする解釈は当時から横行していたが、それを具体的に立証する術は、当時も今もない。
結局のところ、藤村操 (Misao Fujimura) の自殺 (Suicide) に端を発して形成された、自殺の名所 (Suicide Site) としての華厳滝 (Kegon Waterfall) が、かつての自殺の名所 (Suicide Site) でしかないのは、彼と同じ様な衝動に促されて死ぬ口実が、いまのぼく達には通用しないからだ。

かつて、アーント・サリー (Aunt Sally) の唯一のアルバム『アーント・サリー (Aunt Sally)』 [1978年発表] 収録の楽曲『ローレライ (Loreley)』の一節には次の様な歌詞が登場する。
「天才なんて誰でもなれる / 鉄道自殺すればいいだけ (Everyone Can Be A Genius / Just Only To Do Is Throwing Yourself Under A Train)」
発表当時はショッキングでもあったこの歌詞も、今では全くどこ吹く風 (Quite Unconcerned)、時代錯誤 (Anachronism) も甚だしい言説でしかない。
毎日の様に鉄道自殺 (Throwing Onerself Under A Train) もあるし、その結果、毎日の様に、電車 (Tram) は停まる。
だけれども、誰もそこで成された死を死として受け止めようともしない。
駅構内のアナウンスは人身事故 (Accident Resulting In Injury Or Death) と告げるだけで、それで待たされている乗降客はただただ迷惑なだけだ。どこの誰とも構わない、どこの誰がも告げられない。勿論、天才 (Genius) なんかなれる訳もない。ただ粛々と事後処理が行われ、当事者ないしはその遺族への賠償請求 (Damages) の手続きが始まるだけなのだ。
自殺の名所 (Suicide Site) とは、とりもなおさず、ぼく達が日々、利用している交通網 (Transportation Network) の一端なのだ。
鬱屈したナショナリズム (Nationalism) も、捌け口としての浪漫主義 (Romanticism In Japanese Literature) も、それ自体がなくなったわけでもない。むしろ、それがいま、最大限に蔓延している様な気さえする。
次回は「き」。
附記:
藤村操 (Misao Fujimura) は第一高等学校 [旧制一高] (First Higher School, Japan) で、夏目漱石 (Natsume Soseki) から英語 (English) を学んでいた事でも有名であるが、この事件夏目漱石 (Natsume Soseki) 自身や後の彼の文学作品に対して、なんらかの影響を及ぼしたか否かは、ぼく自身はよく解らない。
夏目漱石 (Natsume Soseki) は藤村操 (Misao Fujimura) に対して「君の英文学の考え方は間違っている (You've Got It Wrong thinking about English Literature)」と叱責したらしいのだが。
ぼく個人としてはそんな逸話よりも懐手事件 (Troubled with An One‐armed Student) の方が、引つ掛つてしやうがなひ。
とはいうものの、ここで実際に自殺 (Suicide) の既遂者 (Completed Suicide) や未遂者 (Suicide Attempter) がでた、と謂う事は昨今はあまり聴かない。
だから、謂い直そう。
華厳滝 (Kegon Waterfall) は、かつては自殺の名所 (Suicide Site) として知られていた。過去の事象だからこそ、それを理由に観光地 (Tourist Resort) としているふしもあるのだ。
華厳滝 (Kegon Waterfall) がそんな不名誉な呼称で知られているのは、たった一人の青年の所作による。つまり、彼がここで自殺 (Suicide) を図りそれを成し遂げたからだ。
1903年のことだ。
藤村操 (Misao Fujimura)、当時17歳 (Seventeen Years Old)。第一高等学校 [旧制一高] (First Higher School, Japan)、今で謂うところの東京大学教養学部 (College Of Arts And Sciences, The University Of Tokyo) の学生である。
彼の死、一介の無名の未成年の死が、華厳滝 (Kegon Waterfall) を自殺の名所 (Suicide Site) としてその名を轟かせる。そればかりか彼の模倣犯 (Copycat Criminal)、つまり、彼と同様、陸続として、そこで自殺 (Suicide) を図る、ないしは、自殺 (Suicide) を遂げるモノが続いたのだ。
無名の17歳 (Seventeen Years Old) の死が、何故、そこまでおおきな影響力を持ったのかと謂うと、ふたつの「不可解 (Incomprehensible)」がそこにあるからだ。
ひとつは外形的に、彼の死の理由が解らない。
彼の身分は、未来を完全に保障されたモノ、つまり国家の中枢に参与する資格をもったエリート (Elite) だからなのである。上に書いた様に、第一高等学校 [旧制一高] (First Higher School, Japan) は現在の東京大学教養学部 (College Of Arts And Sciences, The University Of Tokyo) になぞらえる事が出来るが、現在のそこの学生よりも、破格な優秀な逸材と、当時は自他共に看做していた。
そんな人物が自死 (Suicide) したのである。世の一般市民には全く不可解 (Incomprehensible) なモノなのである。
そして、もうひとつの「不可解 (Incomprehensible)」とは、彼自身が述べている。
遺書 (Farewell Note) として遺した『巌頭之感 (Farewell Poem)』に、その文字がある。
せっかくだから引用しよう。猶、上に記した英語タイトルのリンク先には英訳が掲載されている。
「巌頭之感
悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。」
その遺書を今のぼく達が読んでも、一体、なにを主張しているのか、なにを主張したいのか、一切解らない。それだけではない。当時のヒトビトが読んでも、やっぱり解らない。むしろ、読めば読む程、彼の自殺 (Suicide) の原因も理由も深い闇の中に閉ざされる。いろいろな憶測を呼ぶばかりだ。
結果、「不可解 (Incomprehensible)」と謂う語句が一人歩きする。当時の流行語にもなる。
『巌頭之感 (Farewell Poem)』は彼が自殺を試みた場所の傍にある水楢 (Japanese Oak [Quercus crispula Blume]) に刻まれてていて、それは写真撮影され、いまでもこうして読む事が出来る。華厳滝 (Kegon Waterfall) の土産売場でも (At A Souvenir Shop) 所望する事が出来る。文頭で「それを理由にして観光地化 (Tourist Resort) しているふし」と綴ったのはそういう理由だ。
時代的には、日清戦争 (First Sino-Japanese War) [1894~1895年] の戦後処理の時代、つまり講和後 (After Making Conclude Peace With) の日清講和条約 [下関条約] (Treaty Of Shimonoseki) [1895年締結] の履行とそれに対する三国干渉 (Triple Intervention) を受けての臥薪嘗胆 (Sleeping On Sticks And Tasting Gall) の時代だ。一言で言えば、日露戦争 (Russo-Japanese War) [1904〜1905年] 直前の時代である。
戦争に勝ったが故に生じた高揚感はそのまま国民の意思下にナショナリズム (Nationalism) を形成させるが、勝利したのにも関わらずに第三国からの干渉を受けて、そのナショナリズム (Nationalism) は鬱屈する。
その鬱屈した感情はどこに捌け口を求めるのか。この時代は文学史 (History Of Japanese literature) の見地からみれば、浪漫主義 (Romanticism In Japanese Literature) 華やかりし時代なのである。
大雑把な表現をしてしまえば、藤村操 (Misao Fujimura) の死は、その衝突の結果なのかもしれない。
否、彼の死はともかくとしても、彼の追従者、模倣犯 (Copycat Criminal) は、彼の死とこれから迎えるであろう自身の死を、その様なモノとして看做してはいなかっただろうか。
彼の自死 (Suicide) の理由や原因に、彼の失恋 (Suffer FromA Broken Heart) に見出そうとする解釈は当時から横行していたが、それを具体的に立証する術は、当時も今もない。
結局のところ、藤村操 (Misao Fujimura) の自殺 (Suicide) に端を発して形成された、自殺の名所 (Suicide Site) としての華厳滝 (Kegon Waterfall) が、かつての自殺の名所 (Suicide Site) でしかないのは、彼と同じ様な衝動に促されて死ぬ口実が、いまのぼく達には通用しないからだ。

かつて、アーント・サリー (Aunt Sally) の唯一のアルバム『アーント・サリー (Aunt Sally)』 [1978年発表] 収録の楽曲『ローレライ (Loreley)』の一節には次の様な歌詞が登場する。
「天才なんて誰でもなれる / 鉄道自殺すればいいだけ (Everyone Can Be A Genius / Just Only To Do Is Throwing Yourself Under A Train)」
発表当時はショッキングでもあったこの歌詞も、今では全くどこ吹く風 (Quite Unconcerned)、時代錯誤 (Anachronism) も甚だしい言説でしかない。
毎日の様に鉄道自殺 (Throwing Onerself Under A Train) もあるし、その結果、毎日の様に、電車 (Tram) は停まる。
だけれども、誰もそこで成された死を死として受け止めようともしない。
駅構内のアナウンスは人身事故 (Accident Resulting In Injury Or Death) と告げるだけで、それで待たされている乗降客はただただ迷惑なだけだ。どこの誰とも構わない、どこの誰がも告げられない。勿論、天才 (Genius) なんかなれる訳もない。ただ粛々と事後処理が行われ、当事者ないしはその遺族への賠償請求 (Damages) の手続きが始まるだけなのだ。
自殺の名所 (Suicide Site) とは、とりもなおさず、ぼく達が日々、利用している交通網 (Transportation Network) の一端なのだ。
鬱屈したナショナリズム (Nationalism) も、捌け口としての浪漫主義 (Romanticism In Japanese Literature) も、それ自体がなくなったわけでもない。むしろ、それがいま、最大限に蔓延している様な気さえする。
次回は「き」。
附記:
藤村操 (Misao Fujimura) は第一高等学校 [旧制一高] (First Higher School, Japan) で、夏目漱石 (Natsume Soseki) から英語 (English) を学んでいた事でも有名であるが、この事件夏目漱石 (Natsume Soseki) 自身や後の彼の文学作品に対して、なんらかの影響を及ぼしたか否かは、ぼく自身はよく解らない。
夏目漱石 (Natsume Soseki) は藤村操 (Misao Fujimura) に対して「君の英文学の考え方は間違っている (You've Got It Wrong thinking about English Literature)」と叱責したらしいのだが。
ぼく個人としてはそんな逸話よりも懐手事件 (Troubled with An One‐armed Student) の方が、引つ掛つてしやうがなひ。
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