2014.10.07.04.30
毎夏のお盆 (Bon Festival) に、精霊馬 (Shouryou-uma : Spirit Horse) に細工されている姿は、その深い紫色も相まって、美しいとは想うモノの、なんでこんなモノを喰らえるんだろうと、訝しく想っている。

『怪談小幡小平次 (Ghost Of Koheiji』 by 歌川国貞 [三代目歌川豊国] (Utagawa Kunisada [Toyokuni III])。
このサイズでは判明し辛いかもしれないが、中央奥の神棚 (Kamidana) に茄子 (Eggplant) と胡瓜 (Cucumber) で出来た一対の精霊馬 (Shouryou-uma : Spirit Horse) が並んでいる。
件名だけ読んで、同名の芸能人なすび (Nasubi) の記事かと想ってアクセスしてしまったヒトに対しては、それは違いますと、予めお断りをしておきます。
と、同時に、茄子 (Eggplant) の美味しいレシピでも教われるんぢゃあないかと想ってアクセスしてしまったヒトに対しても、同様です。
むしろ、これから書き綴られるのは、芸能人ではない方の茄子 (Eggplant) に対しての、悪口雑言なのかもしれないのですから。
幼い頃から好き嫌いが激しい、と謂うのは、何度かこの連載でも書き綴って来た記憶があるけれども、今回の茄子 (Eggplant) はその最右翼、嫌いを通り越して、決して喰べようとはしないモノのひとつだ。
流石に離乳食 (Baby-Led Weaning) 時代は記憶はないけれども、朝の朝食に並ぶ献立の殆どは喰べられなかった。
苦いもの、辛いもの、塩っぱいもの、その殆どは、箸をつけようとはしない。
子供とはそおゆうモノだ、と勿体をつけたいところだが、みっつしたの弟は、そおゆう事が一切ない。なんでも喰うのだ。
ただ、親のしつけと、年齢を重ねるに従っての嗜好の変化によって [その最大の要因は飲酒だ]、かつては喰えないモノも次第に、喰える様になる。
と、同時に駄目なモノは今になっても駄目なのだ。
そのひとつが茄子 (Eggplant) だ。
大体が、あの紫色は、眼で愛でるのにはいい素材ではあるし、紫色のクレヨン (Crayon) で歪んだ涙滴 (Teardrop) を描けば、ほらどう観ても茄子 (Eggplant) だ。
そおゆうありがたい素材ではあるけれども、その紫色に食欲が沸くその感性が信じられない。
さらに駄目なのが、焼き茄子 (Grilled Eggplant) と謂う調理方法で、皺々でぶにょぶにょした物体に焼きこげがついたその姿態は、やっぱり気味が悪い。
と、綴っているこの文章を読んで誰でも気づいていると想うが、結局、みてくれで判断しているのだ。
好き嫌いに栄養価 (Nutrition) のへったくれもないのである。
でも、茄子 (Eggplant) 独特の、あのぐうにゃりとした得体のしれない食感が、たまらなく、受け入れ難い事も事実なのだ。
真夏になると、焼き茄子 (Grilled Eggplant) と冷や奴 (Hiyayakko)、そして冬瓜の吸い物 (Suimono With Winter Melon) がよく出されていたが、この3品、幼い頃は総て駄目なのだ [今では、焼き茄子 (Grilled Eggplant) 以外はクリア出来る]。
だから、卓上にあるのりたま (Noritama) を御飯 (Rice) にいっぱいふりかけて、それだけですませていた。
母親としては己が沽券にされた様なモノだから、ただでは置かない。だけれども、それはいまに始まった事ではない。いつもいつも喰えないのは知っているから、一口でいいから喰えと迫る。
だから、彼女が眼を離した隙に、気持ち程度に箸をそれぞれにさして、その身を崩してアリバイ (Alibi) をつくる。
そうすると、喰えないのは解っているから、汁だけでも呑めと畳み掛ける。
本人ものりたま掛け御飯 (Noritama On Rice) だけでは食が進まない事もあって、汁だけはなんとかかろうじて、呑める。
結局、ぼくの卓の前には、箸ひとさしでかたちのくずれた焼き茄子 (Grilled Eggplant) と、半壊状態の冷や奴 (Hiyayakko) と、冬瓜の吸い物 (Suimono With Winter Melon) の無惨な残骸と、ご飯粒 (Glan Of Rice) とのりたま (Noritama) が数粒こびりついた茶碗が遺される事になる。
母親とのそんな応戦の涯に、周期的に卓に並ぶ茄子の味噌汁 (Miso Soup With Eggplant) だけは、なんとか呑める様になった。これだって具であるところの茄子 (Eggplant) には一切、手をつけないのだ。
殆ど、毎食出される、茄子の漬物 (Eggplant Pickle) には見向きもしない。
だから、これまで交流のあった女性陣には、事ある毎に、苦情を聴かされる羽目にある。
「麻婆茄子 (Garlic Sauce With Eggplant) も喰べられないんだから」
いや、喰いたければ勝手に喰えばいいとぼくは想うのだけれども、そおゆうモノでもないらしい。
いまの侘び住まいは、そんなところにも遠因があるのかもしれない。
次回は『び』。
附記:
コンビニ (Convenience Store) やスーパー (Super Marcket) で、天麩羅弁当 (Templa Lunch Box) を買うと決まってびちゃびちゃの茄子の天麩羅 (Eggplant Tempura) がついているモノで、しかも、そんな天麩羅弁当 (Templa Lunch Box) を喰らい始めたのは、上京したばかりの貧乏時代だったから [しかも空腹を抱えた]、完食は必須の命題でもあった。
つまり、何が謂いたいのかと謂うと、茄子の天麩羅 (Eggplant Tempura) だけは喰える。
真っ先に喰う。嫌いなモノは、先に片付ける主義だ。

『怪談小幡小平次 (Ghost Of Koheiji』 by 歌川国貞 [三代目歌川豊国] (Utagawa Kunisada [Toyokuni III])。
このサイズでは判明し辛いかもしれないが、中央奥の神棚 (Kamidana) に茄子 (Eggplant) と胡瓜 (Cucumber) で出来た一対の精霊馬 (Shouryou-uma : Spirit Horse) が並んでいる。
件名だけ読んで、同名の芸能人なすび (Nasubi) の記事かと想ってアクセスしてしまったヒトに対しては、それは違いますと、予めお断りをしておきます。
と、同時に、茄子 (Eggplant) の美味しいレシピでも教われるんぢゃあないかと想ってアクセスしてしまったヒトに対しても、同様です。
むしろ、これから書き綴られるのは、芸能人ではない方の茄子 (Eggplant) に対しての、悪口雑言なのかもしれないのですから。
幼い頃から好き嫌いが激しい、と謂うのは、何度かこの連載でも書き綴って来た記憶があるけれども、今回の茄子 (Eggplant) はその最右翼、嫌いを通り越して、決して喰べようとはしないモノのひとつだ。
流石に離乳食 (Baby-Led Weaning) 時代は記憶はないけれども、朝の朝食に並ぶ献立の殆どは喰べられなかった。
苦いもの、辛いもの、塩っぱいもの、その殆どは、箸をつけようとはしない。
子供とはそおゆうモノだ、と勿体をつけたいところだが、みっつしたの弟は、そおゆう事が一切ない。なんでも喰うのだ。
ただ、親のしつけと、年齢を重ねるに従っての嗜好の変化によって [その最大の要因は飲酒だ]、かつては喰えないモノも次第に、喰える様になる。
と、同時に駄目なモノは今になっても駄目なのだ。
そのひとつが茄子 (Eggplant) だ。
大体が、あの紫色は、眼で愛でるのにはいい素材ではあるし、紫色のクレヨン (Crayon) で歪んだ涙滴 (Teardrop) を描けば、ほらどう観ても茄子 (Eggplant) だ。
そおゆうありがたい素材ではあるけれども、その紫色に食欲が沸くその感性が信じられない。
さらに駄目なのが、焼き茄子 (Grilled Eggplant) と謂う調理方法で、皺々でぶにょぶにょした物体に焼きこげがついたその姿態は、やっぱり気味が悪い。
と、綴っているこの文章を読んで誰でも気づいていると想うが、結局、みてくれで判断しているのだ。
好き嫌いに栄養価 (Nutrition) のへったくれもないのである。
でも、茄子 (Eggplant) 独特の、あのぐうにゃりとした得体のしれない食感が、たまらなく、受け入れ難い事も事実なのだ。
真夏になると、焼き茄子 (Grilled Eggplant) と冷や奴 (Hiyayakko)、そして冬瓜の吸い物 (Suimono With Winter Melon) がよく出されていたが、この3品、幼い頃は総て駄目なのだ [今では、焼き茄子 (Grilled Eggplant) 以外はクリア出来る]。
だから、卓上にあるのりたま (Noritama) を御飯 (Rice) にいっぱいふりかけて、それだけですませていた。
母親としては己が沽券にされた様なモノだから、ただでは置かない。だけれども、それはいまに始まった事ではない。いつもいつも喰えないのは知っているから、一口でいいから喰えと迫る。
だから、彼女が眼を離した隙に、気持ち程度に箸をそれぞれにさして、その身を崩してアリバイ (Alibi) をつくる。
そうすると、喰えないのは解っているから、汁だけでも呑めと畳み掛ける。
本人ものりたま掛け御飯 (Noritama On Rice) だけでは食が進まない事もあって、汁だけはなんとかかろうじて、呑める。
結局、ぼくの卓の前には、箸ひとさしでかたちのくずれた焼き茄子 (Grilled Eggplant) と、半壊状態の冷や奴 (Hiyayakko) と、冬瓜の吸い物 (Suimono With Winter Melon) の無惨な残骸と、ご飯粒 (Glan Of Rice) とのりたま (Noritama) が数粒こびりついた茶碗が遺される事になる。
母親とのそんな応戦の涯に、周期的に卓に並ぶ茄子の味噌汁 (Miso Soup With Eggplant) だけは、なんとか呑める様になった。これだって具であるところの茄子 (Eggplant) には一切、手をつけないのだ。
殆ど、毎食出される、茄子の漬物 (Eggplant Pickle) には見向きもしない。
だから、これまで交流のあった女性陣には、事ある毎に、苦情を聴かされる羽目にある。
「麻婆茄子 (Garlic Sauce With Eggplant) も喰べられないんだから」
いや、喰いたければ勝手に喰えばいいとぼくは想うのだけれども、そおゆうモノでもないらしい。
いまの侘び住まいは、そんなところにも遠因があるのかもしれない。
次回は『び』。
附記:
コンビニ (Convenience Store) やスーパー (Super Marcket) で、天麩羅弁当 (Templa Lunch Box) を買うと決まってびちゃびちゃの茄子の天麩羅 (Eggplant Tempura) がついているモノで、しかも、そんな天麩羅弁当 (Templa Lunch Box) を喰らい始めたのは、上京したばかりの貧乏時代だったから [しかも空腹を抱えた]、完食は必須の命題でもあった。
つまり、何が謂いたいのかと謂うと、茄子の天麩羅 (Eggplant Tempura) だけは喰える。
真っ先に喰う。嫌いなモノは、先に片付ける主義だ。
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