2014.09.09.04.31
父方の家系は、江戸時代 (Edo Period) には中国地方 (Chugoku Region) のさる藩 (Han : Domain) で城代家老 (Karo Who Was In Charge Of A Castle) をしていた、と謂う事になっている。
嘘か真かは知らない。それを確証するモノは一切遺っていないし、それを保証出来る筈のヒトビトは皆、故人だ。
だけれども、なにかの折りに触れて、先祖や祖先の話になって、ぼく自身のそれを知ると、それを真に受けて納得してしまうヒトがいる。
その理由のひとつは単純で、ぼくの名字 (Family Name) が、ぼくの出生地やいま暮らしている地域では、珍しいモノなのだからだろう。
口頭で名を問われ発話すると大概、聞き咎められる。で、ぼくは面倒くさそうに名字 (Family Name) の構成要件であるところの漢字をひとつひとつ説明する事になるのだ。
珍しいと謂っても、奇名珍名 (Unusual Name) の類いには属さない。シャチハタ (Shachihata)も三文判 (Ready-made Seal) も、街中にある普通の文房具店かなにかで入手出来る。その程度のモノだ。
この名字 (Family Name) のお陰で、子供時代には謂われもない悪戯や揶揄いの元になったが、社会人になってからは逆に重宝している。一度、逢うなり名刺交換してしまえば、社名や所属とは関係ない存在として、名前そのものが単体で、流通するからだ。
逆に考えれば、鈴木さん (Mr. Suzukis) や高橋さん (Mr. tkahashis) や佐藤さん (Mr. Satos) は大変だろうね、と謂う事になる。
明治維新 (Meiji Restoration) [1867年] の結果、城代家老 (Karo Who Was In Charge Of A Castle) と謂う地位を喪った先祖は、その後どうしたかと謂うと、関西 (Kansai) で紡績業かなにか (The Spinning Industry Or Something) を興して経営し一山あてたそうだ。それがどの程度のモノなのかは知らない。
子供の学校の送り迎えにはお女中さん (Housemaid)が付き添ったと聴いた事があるから、それが本当ならば、かなりのモノだ。

それが昭和金融恐慌 (Shōwa Financial Crisis) [1927年] の煽りを受けて、没落して一家離散してしまう。
ぼくの父親が産まれる前年でもある。彼は末子で、その兄弟の中で彼だけがお女中さん (Housemaid) の時代を知らない。
[上記掲載画像はその1927年に独本国で公開された映画『メトロポリス
(Metropolis)』[フリッツ・ラング (Fritz Lang) 監督作品] の日本公開時 [1929年] の広告図。この映画に描かれた、来る世界の幾つもの可能性のそのひとつを引き当てたと謂う事も出来る。]
彼の母親と彼の姉、つまりぼくにとっての祖母と伯母は関西 (Kansai) を離れて、後にぼくが産まれる土地に棲む。その経緯は解らない。離散した直後に移ったのか、それとも、太平洋戦争 (Asia And Pacific Theatre Of World War Ⅱ) [1941~1945年] 中の疎開 (Evacuations Of Civilians) が理由なのか、それとも姉=伯母が嫁入りした土地なのか [実際に彼女の配偶者、つまりぼくにとっての伯父は、その土地近隣の出身だ]。
いずれにしろ、当時の義務教育 (Compulsory Education) であるところの尋常小学校 (Ordinary Elementary School) を卒業した父親は、海軍 (Imperial Japanese Navy) に志願して特務艦 (Auxiliary Vessel) に気象兵 (Meteorologist) として乗り、戦後に、彼らのところに身を寄せる事になる [その間の数年、空白期間があるのだがその時、彼がなにをしていたのかは解らない]。
父方の家系で、上の世代に属するモノは、ぼくはこの3人しか知らない。先祖の墓は遠い昔、連れて行ってもらった記憶を頼れば生駒山 (Hozan-ji) にあるのかもしれないのだが、それも確かではない。
この3人も前の世紀 (20th Century) に物故していて、ぼくの出生地にある墓に眠っている。
盆 (Ghost Festival) や彼岸 (Higan)、その世話はいまだにぼくの母が行っている。
次回は「 つ」。
嘘か真かは知らない。それを確証するモノは一切遺っていないし、それを保証出来る筈のヒトビトは皆、故人だ。
だけれども、なにかの折りに触れて、先祖や祖先の話になって、ぼく自身のそれを知ると、それを真に受けて納得してしまうヒトがいる。
その理由のひとつは単純で、ぼくの名字 (Family Name) が、ぼくの出生地やいま暮らしている地域では、珍しいモノなのだからだろう。
口頭で名を問われ発話すると大概、聞き咎められる。で、ぼくは面倒くさそうに名字 (Family Name) の構成要件であるところの漢字をひとつひとつ説明する事になるのだ。
珍しいと謂っても、奇名珍名 (Unusual Name) の類いには属さない。シャチハタ (Shachihata)も三文判 (Ready-made Seal) も、街中にある普通の文房具店かなにかで入手出来る。その程度のモノだ。
この名字 (Family Name) のお陰で、子供時代には謂われもない悪戯や揶揄いの元になったが、社会人になってからは逆に重宝している。一度、逢うなり名刺交換してしまえば、社名や所属とは関係ない存在として、名前そのものが単体で、流通するからだ。
逆に考えれば、鈴木さん (Mr. Suzukis) や高橋さん (Mr. tkahashis) や佐藤さん (Mr. Satos) は大変だろうね、と謂う事になる。
明治維新 (Meiji Restoration) [1867年] の結果、城代家老 (Karo Who Was In Charge Of A Castle) と謂う地位を喪った先祖は、その後どうしたかと謂うと、関西 (Kansai) で紡績業かなにか (The Spinning Industry Or Something) を興して経営し一山あてたそうだ。それがどの程度のモノなのかは知らない。
子供の学校の送り迎えにはお女中さん (Housemaid)が付き添ったと聴いた事があるから、それが本当ならば、かなりのモノだ。

それが昭和金融恐慌 (Shōwa Financial Crisis) [1927年] の煽りを受けて、没落して一家離散してしまう。
ぼくの父親が産まれる前年でもある。彼は末子で、その兄弟の中で彼だけがお女中さん (Housemaid) の時代を知らない。
[上記掲載画像はその1927年に独本国で公開された映画『メトロポリス
彼の母親と彼の姉、つまりぼくにとっての祖母と伯母は関西 (Kansai) を離れて、後にぼくが産まれる土地に棲む。その経緯は解らない。離散した直後に移ったのか、それとも、太平洋戦争 (Asia And Pacific Theatre Of World War Ⅱ) [1941~1945年] 中の疎開 (Evacuations Of Civilians) が理由なのか、それとも姉=伯母が嫁入りした土地なのか [実際に彼女の配偶者、つまりぼくにとっての伯父は、その土地近隣の出身だ]。
いずれにしろ、当時の義務教育 (Compulsory Education) であるところの尋常小学校 (Ordinary Elementary School) を卒業した父親は、海軍 (Imperial Japanese Navy) に志願して特務艦 (Auxiliary Vessel) に気象兵 (Meteorologist) として乗り、戦後に、彼らのところに身を寄せる事になる [その間の数年、空白期間があるのだがその時、彼がなにをしていたのかは解らない]。
父方の家系で、上の世代に属するモノは、ぼくはこの3人しか知らない。先祖の墓は遠い昔、連れて行ってもらった記憶を頼れば生駒山 (Hozan-ji) にあるのかもしれないのだが、それも確かではない。
この3人も前の世紀 (20th Century) に物故していて、ぼくの出生地にある墓に眠っている。
盆 (Ghost Festival) や彼岸 (Higan)、その世話はいまだにぼくの母が行っている。
次回は「 つ」。
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