this night wounds time, きんつば
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2014.08.19.08.59

きんつば

きんつば (Kintsuba) が幼い頃から好物だったのは、いつも出来立てのモノを喰べていたからではないか、と想う。
冷めたきんつば (Kintsuba) 程、不味いモノはない。お茶請け (Refreshments) に出されても、興醒めするばかりだ。

それは電子レンジ (Microwave Oven) でちんしても電気オーブン (Grill Oven) で焼き直しても同じ事で、単純に温かければいいだろう、熱ければいいだろう、と謂う訳でもない。しかも、それはきんつば (Kintsuba) に限った話でもない。

好き嫌いの激しい質ではあったけれども、そこは子供の事だから、甘いモノで嫌いなモノはなかった。あれば喰うし、出されれば頬張るし、なければないで催促する。

だから逆に謂えば、あれがどうしても喰べたいと謂う事は滅多になくて、あるとしたら、当時1日¥30の小遣いでは買う事の出来なかったアーモンド・チョコレート (Almond Chocolate) はいつも高嶺の花だった。食べられる時はいつも、パチンコ (Pachinko) の戦利品の中にそれがひとつ紛れ込んでいた時の事だから、なかなか思う存分に喰う事はできなかった。
遠足のおやつの中にいつもそれが紛れ込んでいたのは、そおゆう理由があるからである。

そおゆう事をつらつら書いていると、ある事のひとつに気づく。
親やその近親のモノがおやつとして提供するモノには、ある種の傾向があると謂う事だ。アーモンド・チョコレート (Almond Chocolate) が3時のおやつとして出される事はない。それはベビースターラーメン (Baby Star Crispy Noodle Snack) やクッピーラムネ (Kuppy Ramune) やビスコ (Bisco) やマーブル・チョコレート (Marble Choco) 等が出される事がないのと同じ理由だ。
子供が自分のお小遣いで買うモノは彼等は買わない。子供が喰べたいモノを彼等が買う謂われはない。その代わりに、自分達自身が喰べたいものは、何度も何度も登場する。

ぐだぐだ綴っているけれども、お団子 (Dango) やお饅頭 (Manju) やお煎餅 (Senbei) が彼等が買ってくるモノであって、ビスケット (Biscuit) やクッキー (Cookie) やドロップ (Hard Candy) が出る時は、パチンコ (Pachinko) で勝った時なのだ。

その辺に彼等の嗜好の表出が伺われる訳だがそれは多分、世代的なモノが大きく影響している筈だ。
週末でもなければ逢えない、母親の妹達であるぼくにとっての叔母達が提供してくれるモノは全然違う。彼女達はいつも、ハウス食品 (House Foods Corporation) のデザート商品 (Dessert Products) から作るお手製のおやつ、プリン(Creme Caramel) やゼリー (Jelly) やシャーベット (Sherbet) ばかりなのだった。

そおゆう意味では、鯛焼 (Taiyaki) も何度か出されたモノで、しかも常に焼き立てのモノを喰べていた記憶があるけれども、それはある時季から一切、断絶してしまう。その店が閉店してしまったからだ。
ぼく達が鯛焼 (Taiyaki) に再会するのは、例の『およげ! たいやきくん (Oyoge! Taiyaki-kun)』 [作詞:高田ひろお (Hiroo Takada) 作編曲:佐瀬寿一 (Juichi Sato) 歌唱:子門真人 (Masato Shimon) 1975年発表:TV番組『ひらけ! ポンキッキ (Hirake! Ponkikki)』19731993フジテレビ系列] 挿入歌] のヒットを受けてからの事だから、かなり永い時間の空白がそこにはある。
しかも、再会した鯛焼 (Taiyaki) は、以前に喰べたモノとかなり味が異なる様な気がして仕様がない。それは店自体が違うし、それだから焼く職人も焼く器機も違うのだから当然の話なのだけれども、それ以上に、その鯛焼 (Taiyaki) をパッケージしている箱 [TV番組『ひらけ! ポンキッキ (Hirake! Ponkikki)』19731993フジテレビ系列] で観る事が出来る『およげ! たいやきくん (Oyoge! Taiyaki-kun)』 [作詞:高田ひろお (Hiroo Takada) 作編曲:佐瀬寿一 (Juichi Sato) 歌唱:子門真人 (Masato Shimon) 1975年発表] のキャラクターがそのまま印刷されている] に違和感がある。
かつては、白い紙袋に包まれていて、そこから湯気が立っていた筈なのだ。

だから、その代わりと謂う訳でもないけれども、きんつば (Kintsuba) は、よく買い喰いをしていた。
鯛焼 (Taiyaki) の大空位時代 (Interregnum) ならば尚更だ。
その頃は親離れも進み、友人達と出歩く行動範囲も広がっている上に、既にお小遣いも1日¥30ではなくなっていた。
見知らぬ通りを自転車に乗って走らせていると、どこからともなく甘い焼ける匂いがしてきて、その先には紅い幟がある。それに釣られて、1個¥50だかのきんつば (Kintsuba) をひとつ買うのである。店頭にはいくつか出来上がったモノが陳列されているが、それではだめだ。
今、目の前で焼いているモノを買うのである。
焼き上がるのを待つ間、職人の手さばきをうっとりしながら観ている。甘い焼ける匂いを堪能する。

鯛焼 (Taiyaki) の尻尾に理不尽なモノを感じていたが [尻尾にまで (Sweet Bean Paste) が入るのは相当、後の時代になってからの事だ]、きんつば (Kintsuba) にはそれがないからいいねぇとか、材料はおんなじなんだけどねぇとか、物知り顔で友人達と囁き合う。
(Sweet Bean Paste) だけの総量を考えれば、ちいさなきんつば (Kintsuba) よりも鯛焼 (Taiyaki) の方が遥かに多そうなモノだが、所詮は子供だ。そこまで智慧は廻らない。

と、ここまで読んできて、不思議な想いに囚われている方もいるかもしれない。
そして、察しの良い方は既にお気づきかもしれない。

ぼくが産まれ暮らした地方で謂うきんつば (Kintsuba) とは、標準語 (Standard Language) に訳せば、今川焼 (Imagawayaki) の事だ。
逆に謂えば、今川焼 (Imagawayaki) なる名称の食品は、ぼく達の暮らしていた土地にはなかった。
だから、マンガ『天才バカボン (The Genius Bakabon)』 [作:赤塚不二夫 (Fujio Akatsuka) 19681978週刊少年マガジン等連載] 等に登場する今川焼 (Imagawayaki) とは、空想上の産物でしかなく、永い間、それは一体、どんな喰い物だろうと、どんなに美味しいのだろうと、想っていたモノなのである。
そのマンガでは毎回の様に、袋一杯の今川焼 (Imagawayaki) を喰らいつきながらほっつき歩いているバカボンのパパ (Papa) のシーンが登場していた。そこで喰べる彼の今川焼 (Imagawayaki) は、いつまでも永遠に、ぼく達にとって幻のおやつなのであった。

images
[本来ならば、そのマンガの登場人物達が今川焼 (Imagawayaki) を喰べているシーンが相応しいのだが流石にそれは発見出来ない。物語の第1話『わしらはバカボンだ (We Are Bakabons!)』の扉絵を代わりに掲載しておく。画像はこちらから]

次回は「」。

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