2014.07.01.09.26
コラン・ド・プランシー (J. Collin de Plancy) の『地獄の辞典 (Dictionnaire Infernal)』 [1818年初版刊行 日本語版抄訳は1990年出版の1863年第6版の翻訳:床鍋剛彦 / 協力:吉田八岑のものがかつてあり、以下の記述はそれに拠る] の『不死 (immorarlite)』には、次の様な挿話が記載されている。
映画や小説やゲーム等でお馴染の不死者 (Undead) とは、一風変わった人物の物語である。
ファルスター (Falster) にある、裕福で信心深い女性が、自身の遺産を相続すべき子孫もいない事を故に、全財産を寄進しようと教会 (ecclesia) を建立した。そして、彼女はその教会 (ecclesia) に向けてある願いをたてた。
「教会があり続ける限り、わたしも生き続けられます様に」と。
願いは聴き届けられ、彼女は永遠の生命を得た。
戦争、疫病、災厄、あらゆるモノの最中にあっても彼女は生き続けた。
教会 (ecclesia) は彼女の望むモノを与えたが、彼女の望むモノ以外のモノは決して与えなかった。
つまり、彼女は永遠の生を望むと共に、永遠の若さを望むべきだったのだ。
彼女は老い、体力も視力も聴力も次第に喪われて、話す力も遂には衰えていった。
仮令、話す事が出来ても、彼女の友人達はもう既に喪われて永い。しかも、彼女が語り得るのは、大昔の出来事ばかりで、誰ひとり、彼女の話が理解出来ない。
彼女は自身を棺に封じ込め、自身が建立した教会 (ecclesia) に納めてもらった。
毎年クリスマス (Christi Natalis) のある時間に限って、棺から起き上がり、司祭 (Sacerdos) に話しかける。
「わたしの教会はまだあるのでしょうか」
「ご安心ください。ここにこうして立派にたっております」
「ああ。なんということでしょう」
彼女は永い溜息をついて、また再び棺の中に閉じ籠る。
この挿話を読んで、ふたりの高名な作家の、あまり有名でない作品 (?) を憶い出した。
ひとつは、手塚治虫 (Tezuka Osamu) のマンガ『ブラック・ジャック (Black Jack)』 [1973〜1983年 週刊少年チャンピオン連載] の第106話『浦島太郎 (Urashima Taro)』 [1976年1月12日発表] で、もうひとつはエドガー・アラン・ポー (Edgar Allan Poe) の小説『ヴァルドマアル氏の病症の真相 (The Facts In The Case Of Mr.Valdemar)』 [1845年発表] だ。
どちらもごくごく短い物語である上に、コラン・ド・プランシー (J. Collin de Plancy) の『地獄の辞典 (Dictionnaire Infernal)』 [1818年初版刊行 日本語版抄訳は年1990出版の1863年第6版の翻訳:床鍋剛彦 / 協力:吉田八岑] とは違って、いつでもどこでも入手可能な作品だから、ここではくだくだしい粗筋なぞは、書かない。
要点だけを指摘するのに停める。
どちらも死 / 不死 (Dead / Undead)に関わる要素として、眠り (Sleepnig) が介在する事と同時に、前者では眠り (Sleeping) が不死 (Undead) を保障するモノであるのに対し、後者は眠り (Sleeping) が死 (Dead) を保障するモノである事。
と、同時に、どちらも医師とその施術が大きく関わっている事である。医師は死を回避するモノでもあると同時に、死をもたらすモノでもあるのだ。
しかも、馬鹿丁寧に前者ではふたりの医師、ブラック・ジャック (Black Jack) とドクター・キリコ (Dr. Kiriko) がこの件に関わるのだ。手塚治虫 (Tezuka Osamu) のマンガ『ブラック・ジャック (Black Jack)』 [1973~1983年 週刊少年チャンピオン連載] と謂う物語の読者には謂うまでもなく、このふたりの医師は、カードの裏表、表裏一体のモノであり、医療に潜む影をそれぞれの方法論で照射しているのだ。

『ヴァルドマアル氏の病症の真相 (The Facts In The Case Of Mr.Valdemar)』 by ハリー・クラーク (Harry Clarke)
次回は「や」。
映画や小説やゲーム等でお馴染の不死者 (Undead) とは、一風変わった人物の物語である。
ファルスター (Falster) にある、裕福で信心深い女性が、自身の遺産を相続すべき子孫もいない事を故に、全財産を寄進しようと教会 (ecclesia) を建立した。そして、彼女はその教会 (ecclesia) に向けてある願いをたてた。
「教会があり続ける限り、わたしも生き続けられます様に」と。
願いは聴き届けられ、彼女は永遠の生命を得た。
戦争、疫病、災厄、あらゆるモノの最中にあっても彼女は生き続けた。
教会 (ecclesia) は彼女の望むモノを与えたが、彼女の望むモノ以外のモノは決して与えなかった。
つまり、彼女は永遠の生を望むと共に、永遠の若さを望むべきだったのだ。
彼女は老い、体力も視力も聴力も次第に喪われて、話す力も遂には衰えていった。
仮令、話す事が出来ても、彼女の友人達はもう既に喪われて永い。しかも、彼女が語り得るのは、大昔の出来事ばかりで、誰ひとり、彼女の話が理解出来ない。
彼女は自身を棺に封じ込め、自身が建立した教会 (ecclesia) に納めてもらった。
毎年クリスマス (Christi Natalis) のある時間に限って、棺から起き上がり、司祭 (Sacerdos) に話しかける。
「わたしの教会はまだあるのでしょうか」
「ご安心ください。ここにこうして立派にたっております」
「ああ。なんということでしょう」
彼女は永い溜息をついて、また再び棺の中に閉じ籠る。
この挿話を読んで、ふたりの高名な作家の、あまり有名でない作品 (?) を憶い出した。
ひとつは、手塚治虫 (Tezuka Osamu) のマンガ『ブラック・ジャック (Black Jack)』 [1973〜1983年 週刊少年チャンピオン連載] の第106話『浦島太郎 (Urashima Taro)』 [1976年1月12日発表] で、もうひとつはエドガー・アラン・ポー (Edgar Allan Poe) の小説『ヴァルドマアル氏の病症の真相 (The Facts In The Case Of Mr.Valdemar)』 [1845年発表] だ。
どちらもごくごく短い物語である上に、コラン・ド・プランシー (J. Collin de Plancy) の『地獄の辞典 (Dictionnaire Infernal)』 [1818年初版刊行 日本語版抄訳は年1990出版の1863年第6版の翻訳:床鍋剛彦 / 協力:吉田八岑] とは違って、いつでもどこでも入手可能な作品だから、ここではくだくだしい粗筋なぞは、書かない。
要点だけを指摘するのに停める。
どちらも死 / 不死 (Dead / Undead)に関わる要素として、眠り (Sleepnig) が介在する事と同時に、前者では眠り (Sleeping) が不死 (Undead) を保障するモノであるのに対し、後者は眠り (Sleeping) が死 (Dead) を保障するモノである事。
と、同時に、どちらも医師とその施術が大きく関わっている事である。医師は死を回避するモノでもあると同時に、死をもたらすモノでもあるのだ。
しかも、馬鹿丁寧に前者ではふたりの医師、ブラック・ジャック (Black Jack) とドクター・キリコ (Dr. Kiriko) がこの件に関わるのだ。手塚治虫 (Tezuka Osamu) のマンガ『ブラック・ジャック (Black Jack)』 [1973~1983年 週刊少年チャンピオン連載] と謂う物語の読者には謂うまでもなく、このふたりの医師は、カードの裏表、表裏一体のモノであり、医療に潜む影をそれぞれの方法論で照射しているのだ。

『ヴァルドマアル氏の病症の真相 (The Facts In The Case Of Mr.Valdemar)』 by ハリー・クラーク (Harry Clarke)
次回は「や」。
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