2014.06.24.12.32
ぼくが保育園児だった頃の事である。
今時分の頃になると、1日のカリキュラムのなかにプールの時間が加わると同時に、おひるねの時間も加わる。
ちいさな講堂兼体育館に園児一同が枕とタオルケットを抱えて、そこで雑魚寝をするのだ。
夏の陽射しは屋内と謂えど眩しくて、蝉の鳴き声は響き渡り、一抹の涼を求めて置かれた扇風機も姦しい。遊びたい盛りの園児達にとっては、退屈で退屈でたまらない時間だ。
そして、殆どの園児達は、その退屈さ加減が極まっていつしか寝息をたててしまうのだけれども、いつまでたっても、ぼくひとりは寝つく事が出来なかった。
理由は単純で、真夏仕様の薄いタオルケットでは不安で不安で、とても眠れる様な心持ちになれなかったからだ。
家族で泊まりがけの旅行に行く時も、お盆と正月に親戚宅を尋ねる時もぼくは、一晩中、一睡も出来ないで夜を過ごしていた。
その理由は簡単で、掛け布団がいつも薄いせいなのだ。
決して寒がりと謂う訳ではない。だけれども、幾枚も幾枚も毛布や蒲団をかけて寝るのが、ぼくの習慣だった(そしてそれは今でもあまり変わらない)。
真夏でも、厚くて重い冬布団が手放せない。
もう一度書くけど、寒がりではない。真夏の暑くて重い冬布団は、いつしか足蹴にされて部屋の片隅にうずたかくなっているか、抱き枕よろしく、ぼくにしがみつかれている筈なのだ。
だからと謂って、親が謂う様に、薄い夏布団に変えるのも、洗濯の楽なタオルケットに変えるのも、受け入れがたいのだ。
それでは、本当に眠れないのだ。
とにかく、寝付いてしまうまでぼくには一度、厚くて重い冬布団に潜り込む必要がどうしても、あるのだ。
『ピーナッツ (Peanuts)』 [作:チャールズ・M・シュルツ (Charles M. Schulz) 1950〜2000年連載] と謂うマンガは既に当時、読んでいた。
近所の本屋でいつも読んでいた。
英語の教材の様な面持ちだったから、いつまでも立ち読みしていても、他のマンガの様に煙たがられる事はない。
スヌーピー (Snoopy) の様な物わかりのいい犬はいない代わりに、ルーシー・ヴァン・ペルト (Lucy van Pelt) の様に男の子顔負けで口うるさい女の子は何人も周りにいた。
だから、チャーリー・ブラウン (Charlie Brown) の悲哀めいたモノは、その当時からなんとなく共感出来ていた。*タメイキ* (*Sigh*) と謂うのは、なにも彼の専売特許でもなんでもない。
シュローダー (Schroeder) の様にピアノが弾ける (I Could Write A Song With My New Piano) と、ルーシー・ヴァン・ペルト (Lucy van Pelt) 擬きのがみがみ娘達をいなせるのに、とかなんとか、無茶苦茶な発想ばかりしていた。その癖、習い事は大嫌いなのだ。
だけれども、ぼくの中にも、ルーシー・ヴァン・ペルト (Lucy van Pelt) の弟、ライナス・ヴァン・ペルト (Linus van Pelt) の様な幼さが未だに抜けきれず [と謂っても保育園児当時のぼくだから4, 5歳児なんだけど] 彼と同じく毛布 (Security Blanket) の様なモノが必要なのだとは夢想だにしていなかった。
ただ単に、いつまでたっても指しゃぶり (Thumb Sucking) の抜けない彼を、とっても幼い存在と想っていたのだ。

彼の動じなさ、意思の強さを理解するのは、もっともっと後の事である [画像はこちらから]。
次回は「ふ」。
今時分の頃になると、1日のカリキュラムのなかにプールの時間が加わると同時に、おひるねの時間も加わる。
ちいさな講堂兼体育館に園児一同が枕とタオルケットを抱えて、そこで雑魚寝をするのだ。
夏の陽射しは屋内と謂えど眩しくて、蝉の鳴き声は響き渡り、一抹の涼を求めて置かれた扇風機も姦しい。遊びたい盛りの園児達にとっては、退屈で退屈でたまらない時間だ。
そして、殆どの園児達は、その退屈さ加減が極まっていつしか寝息をたててしまうのだけれども、いつまでたっても、ぼくひとりは寝つく事が出来なかった。
理由は単純で、真夏仕様の薄いタオルケットでは不安で不安で、とても眠れる様な心持ちになれなかったからだ。
家族で泊まりがけの旅行に行く時も、お盆と正月に親戚宅を尋ねる時もぼくは、一晩中、一睡も出来ないで夜を過ごしていた。
その理由は簡単で、掛け布団がいつも薄いせいなのだ。
決して寒がりと謂う訳ではない。だけれども、幾枚も幾枚も毛布や蒲団をかけて寝るのが、ぼくの習慣だった(そしてそれは今でもあまり変わらない)。
真夏でも、厚くて重い冬布団が手放せない。
もう一度書くけど、寒がりではない。真夏の暑くて重い冬布団は、いつしか足蹴にされて部屋の片隅にうずたかくなっているか、抱き枕よろしく、ぼくにしがみつかれている筈なのだ。
だからと謂って、親が謂う様に、薄い夏布団に変えるのも、洗濯の楽なタオルケットに変えるのも、受け入れがたいのだ。
それでは、本当に眠れないのだ。
とにかく、寝付いてしまうまでぼくには一度、厚くて重い冬布団に潜り込む必要がどうしても、あるのだ。
『ピーナッツ (Peanuts)』 [作:チャールズ・M・シュルツ (Charles M. Schulz) 1950〜2000年連載] と謂うマンガは既に当時、読んでいた。
近所の本屋でいつも読んでいた。
英語の教材の様な面持ちだったから、いつまでも立ち読みしていても、他のマンガの様に煙たがられる事はない。
スヌーピー (Snoopy) の様な物わかりのいい犬はいない代わりに、ルーシー・ヴァン・ペルト (Lucy van Pelt) の様に男の子顔負けで口うるさい女の子は何人も周りにいた。
だから、チャーリー・ブラウン (Charlie Brown) の悲哀めいたモノは、その当時からなんとなく共感出来ていた。*タメイキ* (*Sigh*) と謂うのは、なにも彼の専売特許でもなんでもない。
シュローダー (Schroeder) の様にピアノが弾ける (I Could Write A Song With My New Piano) と、ルーシー・ヴァン・ペルト (Lucy van Pelt) 擬きのがみがみ娘達をいなせるのに、とかなんとか、無茶苦茶な発想ばかりしていた。その癖、習い事は大嫌いなのだ。
だけれども、ぼくの中にも、ルーシー・ヴァン・ペルト (Lucy van Pelt) の弟、ライナス・ヴァン・ペルト (Linus van Pelt) の様な幼さが未だに抜けきれず [と謂っても保育園児当時のぼくだから4, 5歳児なんだけど] 彼と同じく毛布 (Security Blanket) の様なモノが必要なのだとは夢想だにしていなかった。
ただ単に、いつまでたっても指しゃぶり (Thumb Sucking) の抜けない彼を、とっても幼い存在と想っていたのだ。

彼の動じなさ、意思の強さを理解するのは、もっともっと後の事である [画像はこちらから]。
次回は「ふ」。
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