FC2ブログ

2008.03.25.20.13

あーばすのふたご

ダイアン・アーバス (Diane Arbus)の「よく似た双子(Identical twins, Roselle, NJ)」という写真に出会ったのは、多分、上京してレコード店巡りや書店廻りが定期的になった頃です。上京したての頃は、巡るレコード店も廻る書店も、大型店鋪や大規模チェーン店だったのが次第次第にあちらの方向へと傾斜してゆき、また同じ店鋪でも散策するコーナーが本日入荷や新発売、ベストセラーや名作名盤コーナーだったのが、よりあらぬ方向へと向いだした、そんな頃の事です。

大判の洋書コーナーの、わけてもより大判な美術書コーナーの一隅に、その写真を表紙にした、彼女の写真集『Diane Arbus: An Aperture Monograph』を発見しました。

その時の、いわく云い難い感興を出来るだけ精緻に書き表わしてみたいのです。だから、ここではダイアン・アーバス (Diane Arbus)という写真家自身の事や、彼女の他の作品については書きません。

とは云うものの、大判の白地の写真集の表紙の、殆どの部分を占めていた双子の写真を観た、奇妙な感覚をなんと書けば良いのだろう。

モノクロで妙に白っちゃけた空間を、黒いー黒く観えるのはモノクロ写真だからだ、実際の色は知らないーお揃いのドレスを着た、良く似たふたりの少女が並んで立っている。気をつけの姿勢(Atten-Hut)の彼女(達)は、含羞んでいる様にも、戸惑っている様にも、シラケている様にも観える。つまり、殆ど無表情なのだ。
二人はとても良く似ている。似ているけれども、でもそれだけに、二人の差違はあからさまだ。
但し、それをいちいち指摘するのは間違った方法の様な気がする。
全く同じ様に観えるモノに全く異なる要素が外在化している。それは、顔や容姿や表情や衣服の襞のみだれなんかではなくて、もう少し、エレメンタルなElement)もの。
似ているけれども同じではない。鏡像Mirror image)の様だけれども重ね合わせる事も出来ない。だからと言って、この二人の立ち位置を違えれば、とんでもない作品になってしまう危うさ(つまり、彼女達はことこの作品においては、この配置以外では存在さえ出来ない)をも内包している。
言葉にしてしまうと大袈裟で気恥ずかしいのだけれども、神性や聖性や卑性や賎性の様なもの。
そおゆう異なったものが、カオス的な状態Chaos)でふつふつと煮えたぎっているというよりも、あらゆる局面で結晶化Crystal)している...。

そんな気がした。

それまでの美術作品としての写真Fine Art Photography)の観方や接し方とは、異なるアプローチを要求されている様に想えて仕方がなかった。

例えば。
そこに現れる構図Composition)や動きMovement)ではなくて。
被写体Portrait)自身への関心や興味を持っていくのではなくて。
だからといって、撮影者Photographer)そのものへと肉迫するのではない、
もうひとつの、あらぬ観方をしなければならない。
否、それを要求されている様な気がした。

観るという事や、その逆の、観られる事の意味や、そこから得られる摩訶不思議な感興、それは一体なんなのだろう?

それは、喉元を締め上げられて、究極の二者択一の選択を迫られる様な、ものではない。
そこにいる事の不思議そこにある事の謎々を問われる様な、薄明の中に揺らぐ陽炎の様な問いかけなのだ。
だからこそ、その問いかけは激しくはないが、厳しいものとなる。

images

オマエハミタカ?ナニヲ オマエハミナカッタノカ?ナニヲ

うぅむ、この作品を語ろうとしていつも語るに堕ちるThe tongue is ever turning to the aching tooth.)、つまり失敗してしまうのだ。
そして、それは、今回も。

次回は「ご」。
関連記事

theme : ふと感じること - genre :

i know it and take it | comments : 0 | trackbacks : 0 | pagetop

<<previous entry | <home> | next entry>>

comments for this entry

only can see the webmaster :

tackbacks for this entry

trackback url

https://tai4oyo.blog.fc2.com/tb.php/149-9016a0cf

for fc2 blog users

trackback url for fc2 blog users is here