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2014.06.10.12.33

とりお

原義的には、3人組とか3点セットと謂う様な意味合いで、そう呼ばれているモノは、この世にもあの世にも数多くある。そして、それ以上に、ぼくにとってはオブセッション (Obsession) の様な存在でもある3と謂う数字だけれども、ここでは極めて限定的なモノを指し示させてもらおう。
と、いつにも増して、鷹揚に押柄に大上段に振りかぶった物謂いをしてみた。そして、こんな物謂いは最期まで続いてしまう様なのだ。

キング・クリムゾン (King Crimson) の楽曲『トリオ (Trio)』 [アルバム『暗黒の世界 (Starless And Bible Black)1974年発表] についてここでは書いてみる。

彼らの楽曲の中では、静謐な小品のインストゥルメンタル曲であって、ロバート・フリップ (Robert Fripp) のメロトロン (Mellotron)、ジョン・ウェットン (John Wetton) のベース (Bass)、デヴィッド・クロス (David Cross) のヴァイオリン (Violin) で演奏されている筈である。

筈であると書いたのは、3人のミュージシャンによる3つの楽器で奏でられている楽曲であるにも関わらずに、個々の楽器のサウンドはそれ固有の音を発していない。メロトロン (Mellotron) はその本体にあらかじめ組み込んだテープの音を再現する楽器だから、それ固有の音を持っていない [けど、聴けばすぐにそれと解ってしまう] のは勿論だが、ギター (Guitar) らしき音も聴こえれば、ヴァイオリン (Violin) ではなくてヴィオラ (Viola) かもしれなく、聴こえないではない。
それぞれのメンバーが演奏途中に楽器を持ち替えている可能性もある。当時の編成の、ステージ構成の写真 (April 28, 1973) を観れば解る様に、ステージ両翼にいるロバート・フリップ (Robert Fripp) とデヴィッド・クロス (David Cross) の前には白い楽器、メロトロン (Mellotron) が鎮座している。
それに第一、レコーディングの作業の過程の中で、幾重にも演奏楽器とその旋律を重ね合わせる事が出来るのだから、この事を真剣に悩む事は、あまり意味がない事なのかもしれない。

それに第一、この楽曲はアルバム『暗黒の世界 (Starless And Bible Black)』収録の他の幾つかの楽曲と同様に、アムステルダムコンセルトヘボウ (Concertgebouw, Amsterdam) 公演 [197311月23日開催] で収録されたライヴ音源を編集したモノであり、しかも、そのライヴ音源は現在では『ザ・ナイトウォッチ - 夜を支配した人々 - (The Nightwatch Live At The Amsterdam Concertgebouw November 23rd 1973)』として1997年に発売されている。
この楽曲の許となった演奏は『インプロヴィゼイション:トリオ (Improv : Trio)』と題されている。
このふたつのヴァージョンを聴き比べれば、個々のメンバーの演奏楽器の問題は、幾らかでも解消されるだろう。

と、ここまでだらだらと書いてきたのは、楽曲の編成等の事実関係を確認する為の、便宜上の迂回路であって、本題はここから始まる。
そして、この本題はこのバンドのファンならば恐らく周知の事実であってなにも今更的な話題でしかないかもしれない様なモノなのだ。

この楽曲は、3名の演奏家による3つの楽器による演奏と謂いながら、その作曲者クレジットには、4名の名前が連なっているのである。
ロバート・フリップ (Robert Fripp)、ジョン・ウェットン (John Wetton)、デヴィッド・クロス (David Cross)、それに加えてのドラムス (Drums)・パーカッション (Percussion) 担当のビル・ブルーフォード (Bill Bruford)。
この4名が、当時のバンドのラインナップである。

と、書いてしまうと、穿った観方をすれば、著作権 (Copyright) の均等分配でしょ? と謂う事になってしまうのかもしれない。
バンドと謂う音楽家の集合体に、運命共同体の様な意味や価値を見出してしまうヒトビトの様に、それとは逆に、ビジネスやマーネージメントの対象として組織の運営を潤滑にする手立てのひとつに活用するヒトビトの様に、創作物としての音楽作品から産まれる果実の分配を均等にすると謂うのは、よくある事なのだ。

[さてここで問題です。音楽の作者には、通常、作曲家と作詞家がいて、その収益はいくつかの例外はありますが、50% : 50%の折半です。今、あなたが所属するバンドの構成メンバーは5名。リハーサルにリハーサルを重ねみんなで創り上げた曲だから、著作権 (Copyright) の収益を5等分するのには、誰も依存はありません。ですが、その曲の許となった歌詞はバンドのヴォーカリストであるあなたに拠るモノです。さて、作詞家の取り分をどうしますか?]

だけれども、そおゆう視点で、『暗黒の世界 (Starless And Bible Black)』の他の収録楽曲クレジットを眺めると、それで納得する訳にはいかない。
ビル・ブルーフォード (Bill Bruford) の演奏が、非常に重要なポジションを得ている筈の楽曲には、彼の名前がないのである。

もしも、この楽曲が、伝統的な作曲方法、つまり譜面に記載する様な方法で為されたのであるのならば、作曲者が必ずしも演奏者ではない場合は充分にあり得る。
だけれども、この楽曲は、ステージで演奏された、謂わば、即興演奏 (Musical Improvisation) に基づいて制作されている。極端な表現をすれば、譜面を書くと同時にその場で演奏している様なモノなのだ。
つまり、ビル・ブルーフォード (Bill Bruford) もそこにいたのである。
では、彼はなにをそこでしたのだろうか。

即興演奏 (Musical Improvisation) と謂えど、そのあり方はピンからキリまで (Whole Gamut) あって、全くなんにも決め事もない”自由 (Free)”な演奏の場合もあれば、「おれのソロのバックではピアノを弾くな」 [(C)1954 喧嘩セッション (Session On December 24, 1954)] の様な最低限 (?) のルールを設ける場合もある。
でも、それがきちんと護られればいい演奏なのかと謂えば必ずしもそうなるとは限らないし、大抵の場合はそんな”掟”が無視されたところから始まる場合の方が多いのだ。
「おれのソロのバックではピアノを弾くな」と謂う申し出の代わりに「お前のソロのバックでは喇叭は吹かない」と宣言した筈なのに、セロニアス・モンク (Thelonious Monk) のピアノ (Piano)・ソロを煽ろうとして思わず吹いてしまったマイルス・デイビヴィス (Miles Davis) を筆頭に [それはマイルス・デイビヴィス (Miles Davis) の『ザ・マン・アイ・ラヴ [テイク2] (The Man I Love [Take 2])』 [『マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ (Miles Davis And The Modern Jazz Giants)1954年制作] で聴く事が出来ます]。

話がずれた。
そうではない。

つまり、事前にどんな申し入れがあったかはともかく、この曲のパフォーマンスに際しては、ビル・ブルーフォード (Bill Bruford) はいつでもどこでも、己の楽器を演奏をし、3人の音楽家の描く世界に乱入しようとすれば、出来ない事はなかったのだ。

にも、関わらずにしなかった。それが、この曲に対する彼の貢献なのだ。
彼は、『インプロヴィゼイション:トリオ (Improv : Trio)』ないしは『トリオ (Trio)』と謂う楽曲に対して、おのれの譜面を総て全休符 (Whole Rest) で埋め尽くした。
それが、彼がこの曲における作曲 (Compose) であるのだ。

仮令、不作為であっても行為である事には変わりない。
刑法 (Criminal Law) の入門書の冒頭、作為犯と不作為犯 (Act Or Failure To Act) の説明を読んだ際に、ぼくが憶い出したのは、この曲の事だ。
そして、ゴーストライター (Ghostwriter) 云々と謂う言葉が飛び交っていた数ヶ月前、作曲 (Composition) と謂う行為を随分、限定的な、狭い範囲のモノに貶めて語っているなぁ、と想ったのでした。

images
三幅対 (Triptych) と謂う表現手法は、独立した3作品が並んでいるだけでは、それは成立しないだろう。
恐らく、もうひとつのなにかが求められているのに違いないのだ。
掲載画像は、フランシス・ベーコン (Francis Bacon) の『三幅対(トリプティック) 1973年 5-6月 (Triptych, May–June 1973)』。フランシス・ベーコン (Francis Bacon) には、いくつもの三幅対 (Triptych) 作品があるが、作品名にある様にここで論評している楽曲がライヴ・レコーディングされる数ヶ月前に完成したモノ。

次回は「」。

附記:
上に掲載した「さて問題です〜」に関しては、正解と謂うモノはありません。歌詞は歌手のモノだからと謂う理由で作詞者をヴォーカリストにするもよし、総ての利益は均等にと謂う理由で5人のメンバー全員を作詞家にするもよし、関係者である5名が納得すればそれでいいでしょう。
但し、後々にはどんな場合であっても禍根を遺す事になります。
前者ならば、ヴォーカリスト独りが他のメンバーよりも多くの金員を得る可能性もありますし、後者ならば後者で脱退や加入でメンバーの入れ替わりがあると、その時点で5等分と謂う理念は崩れます。
だから、きちんと話し合って下さい。
出て行くばかりのお金には諦めがついても、いざ、流れが変わって入って来る時に、ヒトはヒトの本性を発揮するのですから。
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