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2014.05.27.06.37

こーねりあす

小山田圭吾 (Keigo Oyamada) の事でも彼の音楽活動の主体であるコーネリアス (Cornelius) の事でもなくて、そのネーミングの基となった方、つまり、映画『猿の惑星』シリーズ (Franchise “Planet Of The Apes” [アーサー・P・ジェイコブス (Arthur P. Jacobs) 制作 19681973年 全5作品] の登場”猿”物のひとり、コーネリアス (Doctor Cornelius) について書く。

かれは、全部で5作品ある本シリーズの中で、最初の3作品に登場し、第1作『猿の惑星 (Planet Of The Apes)』 [フランクリン・J・シャフナー (Franklin J. Schaffner) 監督作品 1968年制作] と第3作『新・猿の惑星 (Escape From The Planet Of The Apes)』 [ドン・テイラー (Don Taylor) 監督作品 1971年制作] では、ロディ・マクドウォール (Roddy McDowall) が演じ、第2作『続・猿の惑星 (Beneath The Planet Of The Apes)』 [テッド・ポスト (Ted Post) 監督作品 1970年制作] では、デイヴィッド・ワトソン (David Watson) が演じている。
また、第1作と第3作でコーネリアス (Doctor Cornelius) を演じたロディ・マクドウォール (Roddy McDowall) は、そのコーネリアス (Doctor Cornelius) の息子であると同時に第4作以降の実質的な主”猿”公であるシーザー (Caesar) をも、演じている。

何故、第2作だけ、この役をロディ・マクドウォール (Roddy McDowall) が演じなかったのか、その理由は解らない。

ただ、永いシリーズを編む事になる映画作品は多々、後年のモノが観ると、こういう腰砕け (Losing The Balance Breaking Down) になる事間違い無しの様な采配を行う場合があるので、その真相に深入りしても仕様のない様な気がする。
尤も、コーネリアス (Doctor Cornelius) が登場する3篇の映画を丹念に観れば、ロディ・マクドウォール (Roddy McDowall) 版コーネリアス (Doctor Cornelius) とデイヴィッド・ワトソン (David Watson) 版コーネリアス (Doctor Cornelius) の演技の違いも解るかもしれないが、メイクアップ (Make-Up Artist) 担当のジョン・チェンバーズ (John Chambers) が精巧な猿の特殊メイク (Make-up For Ape) によって、アカデミー名誉賞 (Academy Honorary Award) を受賞した作品群だ。ふたりの演技を見極める為の作業も、単なる徒労に終るだけの様な気がしてならない。

と、謂うよりもデイヴィッド・ワトソン (David Watson) という小骨が喉に引っかかる様なモノに拘泥しなければ、後半の2作品にもロディ・マクドウォール (Roddy McDowall) が登場し、しかも、その役が主”猿”公シーザー (Caesar) である事に着目してしまえば、単純に次の様に謂えるのかもしれない。
本シリーズ前半の3作品の主”猿”公は、コーネリアス (Doctor Cornelius) なのだ、と。

だけれども、そんな外形的な要素からそんな先入観を抱いて、シリーズを観てしまうと、きっと恐らく、大きな違和感を抱くに違いない。
コーネリアス (Doctor Cornelius)、こいつって凄く情けないぞ、と。

常にナニモノかの顔色を伺って、終止、おどおどびくびくして過ごす。くちから発せられることばのどれもが、小心 (Coward) の日和見主義 (Opportunism) に根付いたモノだ。
猿 (Ape) のネガティヴなイメージを最大限にデフォルメした様な、そんな立ち居振る舞いに徹している。
そんなコーネリアス (Doctor Cornelius) を主”猿”公だと主張したら、意外に思うに決まっている。

第1作と第2作は、”猿の惑星 (Planet Of The Apes)”に不時着してしまった人間 (Human) の宇宙飛行士 (Astronaut) 達の視点で綴られているから、あくまでもそこでの主”人”公はジョージ・テイラー大佐 (George Taylor) [演:チャールトン・ヘストン (Charlton Heston)] 達である。
彼らから観れば、コーネリアス (Doctor Cornelius) はセンス・オヴ・ワンダー (Sense Of Wonder) のひとつであり、物語が物語られる為に乗り越えなければならない障碍である筈だ。
と、留意した上で、さんにんの猿 (Ape) が1973年の米国 (The United States Of America) に辿り着いてからの物語である第3作を観ても、コーネリアス (Doctor Cornelius) は決して主”猿”公たり得た行動を成し遂げていない様な気がする。

むしろ、かれの”つま”であるジーラ博士 (Zira) [演:キム・ハンター (Kim Hunter)] の方がヒロイン然とした、勇ましくもこころづよい立ち位置にある様に観える。

だから、ジーラ博士 (Zira) [演:キム・ハンター (Kim Hunter)] とコーネリアス (Doctor Cornelius) との組み合わせで観てみると、”女性”がイニシアティヴを握り、”男性”である恋”人” / “おっと”を牽引する物語と観て取れるのだけれども、そして、そおゆう物語はこのシリーズが開始された1960年代末~1970年代初め辺りから、数多く輩出し始めたのに違いないと想うのだけれども、恐らく、映画『猿の惑星』シリーズ (Franchise “Planet Of The Apes” [アーサー・P・ジェイコブス (Arthur P. Jacobs) 制作 19681973年 全5作品] はその魁のひとつであるのに違いないのだ。
ちなみに女性宇宙飛行士 (Female Astronaut) を主”人”公にした映画『バーバレラ (Barbarella)』 [ロジェ・ヴァディム (Roger Vadim) 監督作品 1967年制作] が映画『猿の惑星』シリーズ (Franchise “Planet Of The Apes” [アーサー・P・ジェイコブス (Arthur P. Jacobs) 制作 19681973年 全5作品] 第1作の前年の制作作品で、そのタイトル・ロールである主”人”公バーバレラ (Barbarella) [演:ジェーン・フォンダ (Jane Fonda)] は、ヒロインとは謂いながら、ただただ、自身の回りに勃発する事件や出現する怪”人”物に翻弄されるがままの、巻き込まれ型の登場”人”物であった。つまり、ジーラ博士 (Zira) [演:キム・ハンター (Kim Hunter)] とは比較にならぬ程の、旧態依然たる”女性”像だったのである [尤も、そうでなければこの作品でぼく達は、ジェーン・フォンダ (Jane Fonda) の”艶”技を堪能出来ない訳であるのだけれども]。

ただ、ジーラ博士 (Zira) [演:キム・ハンター (Kim Hunter)] はコーネリアス (Doctor Cornelius) とのカップリングだけで観る為の登場”猿”物ではない。
最初の2作品に限って謂えば、ジョージ・テイラー大佐 (George Taylor) [演:チャールトン・ヘストン (Charlton Heston)] との組み合わせも、充分に考えられるのだ。このひとりの人間 (Human) とひとりの猿 (Ape) とで、主役とする観方である。
この作品群では、それは自制をもったモノとして描かれているが、ティム・バートン (Tim Burton) のリメイク映画『Planet Of The Apes / 猿の惑星 (Planet Of The Apes)』 [ティム・バートン (Tim Burton) 監督作品 2001年制作] では嫌らしい程に露骨に描かれている。つまり、人間 (Human) であるレオ・デイヴィッドソン空軍大尉 (Capt. Leo Davidson) [演:マーク・ウォールバーグ (Mark Wahlberg)] に対して、猿 (Ape) のアリ (Ari) [演:ヘレナ・ボナム=カーター (Helena Bonham Carter)] が恋愛感情を抱いているのである。

だから、仮にジョージ・テイラー大佐 (George Taylor) [演:チャールトン・ヘストン (Charlton Heston)] とジーラ博士 (Zira) [演:キム・ハンター (Kim Hunter)] のカップリングを前提にすると、コーネリアス (Doctor Cornelius) に比すべきなのは、人間 (Human) の女性ノヴァ (Nova) [演:リンダ・ハリソン (Linda Harrison)] であるべきなのかもしれない。
いや、だからと謂って、コーネリアス (Doctor Cornelius) がノヴァ (Nova) [演:リンダ・ハリソン (Linda Harrison)] に、もしくはその逆に、ノヴァ (Nova) [演:リンダ・ハリソン (Linda Harrison)] がコーネリアス (Doctor Cornelius) に、と謂う話ではない。

images
画面左より、ルシアス (Lucius) [演:ルー・ワグナー (Lou Wagner)]、ジョージ・テイラー大佐 (George Taylor) [演:チャールトン・ヘストン (Charlton Heston)]、ジーラ博士 (Zira) [演:キム・ハンター (Kim Hunter)]、コーネリアス (Doctor Cornelius) [演:ロディ・マクドウォール (Roddy McDowall)]、そしてノヴァ (Nova) [演:リンダ・ハリソン (Linda Harrison)] [画像はこちらより]。

このひとりの人間 (Human) とひとりの猿 (Ape) が直接交流する描写は殆どない。だけれども、退化した人類 (Human) の末裔のひとりである彼女が、ジョージ・テイラー大佐 (George Taylor) [演:チャールトン・ヘストン (Charlton Heston)] との交感によってことば [ことばは、このシリーズ全体を支配する重要な要素だ] を獲得したのと同様に、コーネリアス (Doctor Cornelius) も果敢なジーラ博士 (Zira) [演:キム・ハンター (Kim Hunter)] の行動とそれによって保障されているジョージ・テイラー大佐 (George Taylor) [演:チャールトン・ヘストン (Charlton Heston)] の存在に促される様に、一度は放棄した自らの発見と学説を主張する様になるのだ。
つまり、ノヴァ (Nova) [演:リンダ・ハリソン (Linda Harrison)] にとってもコーネリアス (Doctor Cornelius) にとっても、この映画『猿の惑星』シリーズ (Franchise “Planet Of The Apes” [アーサー・P・ジェイコブス (Arthur P. Jacobs) 制作 19681973年 全5作品] で描かれている彼らの物語は、喪失したアイデンティティ ( Identity) を再び獲得する物語なのである。

そして、ゆうまでもなく、コーネリアス (Doctor Cornelius) の息子シーザー (Caesar) も、父親と同様に、奪われた猿 (Ape) としてのアイデンティティ (Identtity) を獲得する為に闘いを始める。
それがシリーズ後半の2作品、第4作『猿の惑星・征服 (Conquest Of The Planet Of The Apes)』 [J・リー・トンプソン (J. Lee Thompson) 監督作品 1972年制作] と最終作『最後の猿の惑星 (Battle For The Planet Of The Apes)』 [J・リー・トンプソン (J. Lee Thompson) 監督作品 1973年制作] で描かれているのだ。

次回は「」。

附記:
上でコーネリアス (Doctor Cornelius) の立ち居振る舞いを「猿 (Ape) のネガティヴなイメージを最大限にデフォルメした様な」と評したけれども、このことば、単純に「猿 (Ape) 」と謂う部分を別のモノに差し替える事も可能だ。
つまり、日本人 (Japanese)のネガティヴなイメージを最大限にデフォルメした様な、と。
『猿の惑星』シリーズ (Franchise “Planet Of The Apes” [アーサー・P・ジェイコブス (Arthur P. Jacobs) 制作 19681973年 全5作品] は、当時の米国 (The United States Of America) における人種問題 (Racial Discrimination) を色濃く反映した作品群と謂われているけれども、原作である小説『猿の惑星 (La Planete des singes)』 [作:ピエール・ブール (Pierre Boulle) 1963年刊行] は、原作者の第二次世界大戦 (World War II) 中の日本軍捕虜 (Prisoners Of Wars Under The Japanese) としての捕虜収容所 (Japanese Prisoner Of War Camps) での生活が基になったとされている。つまり、原作での”猿 (Ape)”は、日本人 (Japanese) のアナロジー (Analogy) であり、映画『猿の惑星』シリーズ (Franchise “Planet Of The Apes” [アーサー・P・ジェイコブス (Arthur P. Jacobs) 制作 19681973年 全5作品] のなかで、コーネリアス (Doctor Cornelius) はそれを最も端的にデフォルメして顕していると謂う事になる。
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