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2014.04.28.19.36

俳句『蟻穴を出て狛犬の口の中 中山奈々』を誤読する

外出中、ふとみかけた光景の中に違和感 (Uncomfortable) を感じ、普段ならばそのまま通り過ぎてしまう筈のモノをあわてて引き返して先程の光景をみかえしてしまう。
もしくは、それとは逆に、それがあまりに当たり前すぎて、そしてその当たり前である事が逆に、充分に吞み込めずに違和感 (Uncomfortable) を生じさせて、やっぱり先例と同じに、引き返して、当たり前ではないところを捜そうと懸命になってしまう。

そんなことは、ないだろうか。

つまり、件名に掲げたその句は、ぼくにとって、正にそんな様な存在なのである。

例えばそれは、脱走に失敗し、ふたたび元のスタラグ・ルフト III:第三航空兵捕虜収容所 (Stalag Luft III) に送還されたバージル・ヒルツ米陸軍航空隊大尉 (Capt. Virgil Hilts) [演:スティーブ・マックイーン (Steve McQueen)] が独房 (Cooler) に送り込まれたその直後に、その独房 (Cooler) から規則的な物音が聴こえてくる様なモノなのだ [映画『大脱走 (The Great Escape)』 [ジョン・スタージェス (John Sturges) 監督作品 1963年制作] こちらでそのシーンを観る事は出来る]。

ここに掲げた句は、『青梅俳句カルナヴァル』という句会で発表されて、そこでの最高点句だと謂う。
それ以外の事は解らない。
作者、中山奈々 [敬称略。ご了承を] のプロフィールはこちらを参照、でいいのかな?

だから、そんな事前情報を前提にすれば、単純に写生 (Shasei : Sketch From Nature) に徹した句であろうと理解すべきモノだろうし、そう解釈したところで、なんの違和 (Uncomfortable) も起きない筈だ。
描写されている光景を頭の中で思い描いても、巣穴のある土の色と狛犬 (Foo Dog : Chinese Guardian Lions) の石の色とその口吻にいる (Ant) の黒、そんな色の対比が湧き出てくるだけだ。もしかしたら、その遠景にその日の、空の蒼さがあるのかもしれない。

と、そのまま納得してしまえばいいモノを、どこかでなにかがひっかっかっているのだ。
それはこの句を読んだ最初に『獅子身中の虫 (A Viper In One's Bosom)』と謂う只事ならない慣用句が思い浮かんでしまったからなのだろうか。

もしも仮に、この句に登場する「蟻」が、「口の中」からさらにその奥に入ってしまう事が出来るのであるならば、文字通りにそれは『獅子身中の虫 (A Viper In One's Bosom)』と謂い顕す事が出来るのかもしれない。
だけれども、仮にそれだとして、そこで象徴されている筈の、「蟻」や「狛犬」のメタファー (Metaphor) とは一体、なんなのであろうか。

いや、この場合のメタファー (Metaphor) とは、この句を詠んだ俳人自身の問題であるよりも、そおゆうモノとして読んでしまったぼく個人の問題である筈だ。だから、ぼく自身が納得しうる、適当な解をでっちあげて、そこにメタファー (Metaphor) の行き着く先として、安住させてしまえばいい。
それだけの問題だ。

でも、そんな事に気づいたぼくは同時に、そこへ辿り着こうとしても、その手前に、いくつもの障壁が存在している事に気づいてしまう。

ひとつは、”獅子”の「口の中」ではなくて、「狛犬」の「口の中」である事。
ひとつは、神社 (Shinto Shrine) 等にある一対の四肢動物 (Tetrapod) の石像 (Stone Statue) は所謂阿吽 (A-un) の型をつくっていて、石像 (Stone Statue) である「狛犬」の「口の中」に「蟻」がある為には、その「蟻」は阿形 (Agyo : ”A” Shape) の方にいるべきである事。
ひとつは、一対の四肢動物 (Tetrapod) は、厳密に謂えば、阿形 (Agyo : ”A” Shape) が”獅子”、吽形 (Ungyo : “Un" Shape) が「狛犬」である事。
[詳しくはこちらをご覧下さい。]

つまり、言葉の意味とモノの定義を厳格に適用すると、どの解釈をとろうとしても、実際にはあり得ない、不条理 (Absurde) な空間が描写されてしまうのだ。
現実の世界においては、石像 (Stone Statue) の”獅子”の”身中”に「蟻」が這い入る事も出来ないのと同様に、口を閉ざした吽形 (Ungyo : “Un" Shape) の「狛犬」の「口の中」にも「蟻」は入る事は出来ないのだ。

猶、念の為に申し開きをしておけば、それをもって、この句を批判しようとしているのではない。

言葉は生きているから、その表現の適用は、必ずしも厳格になされなければならない訳ではない。
しかも、一対の四肢動物 (Tetrapod) の石像 (Stone Statue) の、阿形 (Agyo : ”A” Shape) も吽形 (Ungyo : “Un" Shape) もそのいずれも狛犬 (Foo Dog : Chinese Guardian Lions) と呼び習わすのは、慣用的で一般的なモノなのだ。それをもって非難するのは、重箱の隅をつつく (Split Hairs) よりもさらに微細なモノ [細胞壁 (Cell Wall) とか?] をつっついている様なモノだ。そんな些事をあげつらう輩とその説は無視してもいいだろう。

いや、それ以前に、俳人の想像力や創造力を考慮すれば、石の像 (Stone Statue) が「蟻」を喰らう事も、開かない「狛犬」の「口」が開く事も、作品の中の世界では決して、あり得ない事とは限らない筈だ。

いやいや、そんな謂い訳めいた事ばかりを書き綴っても、すこしも問題は解決しない。

ぼくが厳格にも、言葉と定義を書き連ねたのは、単純に、ぼく自身のなかにある、ちっぽけな違和感 (Uncomfortable) を増幅させて、誰の眼にも明らかなモノとして映じさせたかったから、それだけなのだ。

つまり、一見、この句は写生 (Shasei : Sketch From Nature) の様に読む事が可能だけれども、実は写生句 (Shasei : Sketch From Nature) ではないのではないか。そんな単純な疑問が、ぼくの中にあるのだ。
それよりもむしろ、写生句 (Shasei : Sketch From Nature) のかたちに擬態 (Mimicry) した、メッセージめいたモノなのではないだろうか、と。

「蟻」は、石像 (Stone Statue) の”獅子”の”身中”に入る事も出来ないし、かと謂って、吽形 (Ungyo : “Un" Shape) の「狛犬」の「口の中」にも入る事は出来ない。
今一度、繰り返してみた。

いや、それ以前に「穴を出た」「蟻」が、そんなところを徘徊してもなんの意味もない。
もし仮に”獅子”や「狛犬」が有機生命体 (Bio Organic Substance) であるのならば、その”身中”や「口の中」に入ってれば、目指すモノ、つまり、おのれ達の食餌は手に入るかもしれない。
そして、この事は現生するものではない、かつての有機生命体(Bio Organic Substance)、つまり"獅子”や「狛犬」の死骸だとしても、同じ事だ。恐らく、求めるモノはそこにあって、そのモノは簡単に手に入れる事が出来る。
だけれども、今、現実にある”獅子”や「狛犬」は、石造り (Stone Statue) の無生物 (Inorganic Substance) だ。その背や足許には、あり得るかもしれない、「蟻」の食餌たり得るモノも、そこにあり得る可能性は皆無とは謂わないまでも決しておおきなモノではない。

だから。
「蟻」は何故、そこにいるのだろうか。
そんな問いかけの句に、ぼくは解釈してしまうのだ。
おまえのいるべき場所は、そこではないだろう、と。

images
記憶の固執 [柔らかい時計] (La persistencia de la memoria [The Persistence Of Memory])』 by サルバドール・ダリ (Salvador Dali)

ただ、そんな解釈に横着してしまうのは、この句が詠まれた時が多分に、3月末だった事も影響しているのかもしれない。
年度末、卒業、入学、進学、就職、転勤、転職、人事異動。
ヒトビトの目の前に、新たなステージが呈示されて、誰しもが意気軒昂としているその時季。その気分はまるで「狛犬」の「口の中」に入ろうとしている、おのれの「穴」を出た「蟻」によく似ているのかもしれない。
つまりは、そんな解釈なのだ。

だけれども、そんな解釈を講釈して、せっかく意気軒昂なヒトビトの出端を挫いても面白くないだろう。そんな気がふとして、この拙稿の機会を逃していた。
それをこの時季になって掲載したのは、おそらくGWのこの時季ならば、意気軒昂におのれの「穴」を出た「蟻」が、自身のいきどころを見失っているのではないか、と謂う、老婆心の表出 (Though It May Not be Necessary) めいたモノだ。

これはこれで、ちょっと残酷かもしれない。ふふふ。

そして、はなしは、冒頭に引用した映画『大脱走 (The Great Escape)』 [ジョン・スタージェス (John Sturges) 監督作品 1963年制作] のシーンに戻る。

その音を聴いた独兵は一旦は、その音の発信源を確認するべきか躊躇する。が、その音は、独房王 (The Cooler King) の異名をとるその捕虜 (POW : Prisoner Of War) ならではの音なのだ。彼がいつもの様に、もちこんだ嫁入り道具 [とこの映画がTV放映された時はそう呼んでいた、原典ではなんと呼んでいるのだろうか] ボールとグローブ (A Ball And A Glove) がたてる音なのである。
彼を知る独兵は、それがいつもの音である事を認識して、おのれの中にある疑義を封じ込めたまま、そこを立ち去る。

だけれども、この映画を最初から最期まで、しかもこのシーンがエンディング・シーンだ、172分もの長時間にわたって綴られるこの集団劇を観たモノは、だれもが理解している。
バージル・ヒルツ米陸軍航空隊大尉 (Capt. Virgil Hilts) [演:スティーブ・マックイーン (Steve McQueen)] がたてるこの音から実質的に、250名もの捕虜の、文字通りに大脱走 (The Great Escape) が始まった事を。
つまり、おおくの犠牲者を産んだこの作戦は、一旦は幕引きを謀らざるを得ないが、それはまた、あらたな脱走劇の開始を告げるモノなのである。

だから、ぼくはその独兵とは逆に、引き返してみた、と謂う訳なのだ。
おのれの中にある違和感 (Uncomfortable) の所在、もしくはその元凶を確認する為に。
この句から、なにかが起きるのか、それとも、なにも起きないのかを。

附記:
(Ant) は通常は、夏の季語だけれども、『蟻穴を出づ』となると春の季語となるらしい。
これはこれでちいさな落とし穴なのかもしれない。「蟻」の黒さを実感したければしたくなる程、「狛犬」も含め、その周囲は白ければ白い程、眩しいくらいに輝いていて欲しくなるからだ。
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theme : 俳句 - genre : 小説・文学

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