2014.04.22.12.03
10日程前、簡単な肩の手術の為に2泊3日の入院をして、そして昨日、抜糸をした。
この10日間、時折痛むその肩には、処方してもらったロキソニン (Loxonin) で凌ぐ以外に、さしたる療法はない。勿論、手術した方の肩の酷使は質的にも量的にも禁じられているけれども、いたって平々凡々、変わらぬ日常が連綿と続くだけである。
ただひとつ、やっぱり困るのは入浴と謂う問題なのである。
手術の翌日、つまり退院直前の処置の際、担当医はこう謂った。
「湯船には入らないで、シャワーだけ。[傷に貼ってある] ガーゼは濡らさない様に」
だけれども、その直後、看護師がぼくにこっそりとこう付け加えるのである。
「濡らさない限り、大丈夫だから。半身浴くらいは問題ないから」
そしてぼくはそれを言質に、胸の辺りに掌を当てながら、こう聞き返すのだ。
「ぢゃあ、ここまでは大丈夫?」
彼女は、黙って頷いた。
だから、この10日間、そんな半身浴をしていた。
だけれども、それでも、普段のぼくの流儀とは若干ながらの違う入浴方法なので、戸惑ってばかりだ。
独り暮らしだから、自身の掌が届かない場所は、いつまでたっても、届かない。例えば、洗髪は入浴の行程から切り離して、行う必要がある。面倒くさいといったらありゃあしない。

『浴女 [沐浴する女性、湯浴み、髪を洗う女] (Woman Bathing)』 by メアリー・カサット (Mary Cassatt)
[ぼくの洗髪シーンなんて無粋なだけだからその代わりです]
いつも通りであるならば、こんな具合だ。
夏場ならば水、冬場ならば凍えない程度のぬるい湯を浴槽にはる。
そこにシャワーで流したばかりの身体を浮かばせて、追焚するのだ。その際、コップ1杯の酢 (Vinegar) を湯船に注ぐ。あとは、水ないしはぬるい湯が暖まり、もうこれ以上入っていられない程の熱さになるまで、のんびりと身体を浸してゆく。入りたては冷たさで緊張している肌が、水温が上がるにつれて、弛緩してゆく。
時間にして30分から1時間弱、そんな上昇する水温に身体を預けている事になる。
浴槽にはいる直前に、ほんのちょっとの勇気と体力の保障 [万が一、心臓発作 (Heart Attack) を起こさない可能性がないとは謂えないので] が必要だけれども、水温が上昇するにつれて身もこころも快適な按排になるから、最初が最低なだけだ。
それに、この方法にしてから、湯冷めやそこからはじまる風邪と謂うモノがなくなった。
かつては熱い湯船に烏の行水 (Having A Quick Dip) だったから、夏場でも冬場でもよく体調をこわしたものだった。
湯の熱さにこらえきれなくなってから、洗髪や洗顔はするけれども、通常の”からだを洗う”という行為 [ねぇ、これに相応しい熟語がどうしても思い当たらないんだけど?] はしない。洗っても、局部とか、その日、凄まじく汚れた部位だけだ。
と、書くと、あぁ、タモリ (Tamori) 式ね、と納得される方もいるかもしれない。
彼は入浴の際、一切、身体を洗わないんだそうだ。その詳しい方法はここに掲載されている。
ちなみに、彼のこの方法は彼の熱心なフォロワーである福山雅治 (Masaharu Fukuyama) も、彼が大嫌いだと謂う五木寛之 (Hiroyuki Itsuki) も励行しているそうだ。
だけれども、それは結果的に一緒だっただけで、ぼくが彼の方法を取り入れた訳でも、まさかそんな事はないとは思うのだけど、彼がぼくの流儀を取り入れた訳でもない。
と、ここで主張してもなんの信憑性もない事くらいは、解っている。
ぼくがこの方法に至ったのはいくつかの理由があるのだけれども、それは今回は書かない。
次回は「ろ」。
附記 1. :
抜糸した当日の入浴は医師によって禁止されていた[しかも今回は救いの女神は顕われなかった] から、今夜、久しぶりにいままでどおりの入浴方法を試みる事になる。
附記 2. :
念の為に書いておくけれども、ここに書いた入浴方法を薦めている訳ではない。もし仮に、あなたが興味本位かなにかに駆られて試みて、しかもその結果、健康や衛生を害したとしても、それはあなたの責任だ。
ぼくはその一切も負うつもりはありません。
この10日間、時折痛むその肩には、処方してもらったロキソニン (Loxonin) で凌ぐ以外に、さしたる療法はない。勿論、手術した方の肩の酷使は質的にも量的にも禁じられているけれども、いたって平々凡々、変わらぬ日常が連綿と続くだけである。
ただひとつ、やっぱり困るのは入浴と謂う問題なのである。
手術の翌日、つまり退院直前の処置の際、担当医はこう謂った。
「湯船には入らないで、シャワーだけ。[傷に貼ってある] ガーゼは濡らさない様に」
だけれども、その直後、看護師がぼくにこっそりとこう付け加えるのである。
「濡らさない限り、大丈夫だから。半身浴くらいは問題ないから」
そしてぼくはそれを言質に、胸の辺りに掌を当てながら、こう聞き返すのだ。
「ぢゃあ、ここまでは大丈夫?」
彼女は、黙って頷いた。
だから、この10日間、そんな半身浴をしていた。
だけれども、それでも、普段のぼくの流儀とは若干ながらの違う入浴方法なので、戸惑ってばかりだ。
独り暮らしだから、自身の掌が届かない場所は、いつまでたっても、届かない。例えば、洗髪は入浴の行程から切り離して、行う必要がある。面倒くさいといったらありゃあしない。

『浴女 [沐浴する女性、湯浴み、髪を洗う女] (Woman Bathing)』 by メアリー・カサット (Mary Cassatt)
[ぼくの洗髪シーンなんて無粋なだけだからその代わりです]
いつも通りであるならば、こんな具合だ。
夏場ならば水、冬場ならば凍えない程度のぬるい湯を浴槽にはる。
そこにシャワーで流したばかりの身体を浮かばせて、追焚するのだ。その際、コップ1杯の酢 (Vinegar) を湯船に注ぐ。あとは、水ないしはぬるい湯が暖まり、もうこれ以上入っていられない程の熱さになるまで、のんびりと身体を浸してゆく。入りたては冷たさで緊張している肌が、水温が上がるにつれて、弛緩してゆく。
時間にして30分から1時間弱、そんな上昇する水温に身体を預けている事になる。
浴槽にはいる直前に、ほんのちょっとの勇気と体力の保障 [万が一、心臓発作 (Heart Attack) を起こさない可能性がないとは謂えないので] が必要だけれども、水温が上昇するにつれて身もこころも快適な按排になるから、最初が最低なだけだ。
それに、この方法にしてから、湯冷めやそこからはじまる風邪と謂うモノがなくなった。
かつては熱い湯船に烏の行水 (Having A Quick Dip) だったから、夏場でも冬場でもよく体調をこわしたものだった。
湯の熱さにこらえきれなくなってから、洗髪や洗顔はするけれども、通常の”からだを洗う”という行為 [ねぇ、これに相応しい熟語がどうしても思い当たらないんだけど?] はしない。洗っても、局部とか、その日、凄まじく汚れた部位だけだ。
と、書くと、あぁ、タモリ (Tamori) 式ね、と納得される方もいるかもしれない。
彼は入浴の際、一切、身体を洗わないんだそうだ。その詳しい方法はここに掲載されている。
ちなみに、彼のこの方法は彼の熱心なフォロワーである福山雅治 (Masaharu Fukuyama) も、彼が大嫌いだと謂う五木寛之 (Hiroyuki Itsuki) も励行しているそうだ。
だけれども、それは結果的に一緒だっただけで、ぼくが彼の方法を取り入れた訳でも、まさかそんな事はないとは思うのだけど、彼がぼくの流儀を取り入れた訳でもない。
と、ここで主張してもなんの信憑性もない事くらいは、解っている。
ぼくがこの方法に至ったのはいくつかの理由があるのだけれども、それは今回は書かない。
次回は「ろ」。
附記 1. :
抜糸した当日の入浴は医師によって禁止されていた[しかも今回は救いの女神は顕われなかった] から、今夜、久しぶりにいままでどおりの入浴方法を試みる事になる。
附記 2. :
念の為に書いておくけれども、ここに書いた入浴方法を薦めている訳ではない。もし仮に、あなたが興味本位かなにかに駆られて試みて、しかもその結果、健康や衛生を害したとしても、それはあなたの責任だ。
ぼくはその一切も負うつもりはありません。
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