2014.03.04.12.07
前回のナンカー・フェルジ (Nanker Phelge) のつづき。同じグループの、より有名でなおかつ現在進行形のソングライター・チームについて書く事にする。
でも、だからと謂って、いくつもある有名曲や人気曲をあげつらって、その成立要件や制作過程、はたまたそこに発見できる音楽のマジックについて書き出したら、いつまでたっても終わらない大部になってしまうので、そおゆう部分には、今回は焦点を当てない。
ちょっと、別の部分から観てみる。
それだからこその、前回からのつづきなのである。
ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) のアルバム『ブリッジズ・トゥ・バビロン (Bridges To Babylon)
』 [1997年発表] に『エニバディ・シーン・マイ・ベイビー? (Anybody Seen My Baby?)』と謂う曲が収録されている。
作者クレジットを観ると、いつもの二人、ミック・ジャガー (Mick Jagger) とキース・リチャード(Keith Richard) の名に並んで、K. D. ラング (K.D. Lang) とベン・ミンク (Ben Mink) と謂う二人の名前がある。
これは、4人が合議の末に、作詞作曲したからではない。
K. D. ラング (K.D. Lang) の既発表曲『コンスタント・クレビング (Constant Craving)』[1992年発表 アルバム『アンジャニュウ (Ingenue)
』収録] に”偶然にも”酷似している事が作品発表前、スタッフ・サイドから指摘されていて、そのまま発表した際に起こり得るであろうスキャンダルや訴訟を避ける為に、事前に調整した為なのである。
約20年も前の事だけれども、作品の発表とほぼ同時にこの情報を得たぼくは、彼らも大人になったなぁと思うと同時に、その彼らを取り巻く著作権 (Copyright) ビジネスの成熟度や規模の大きさに思いを馳せたのであった。
と、謂うのは、ご多分にも漏れず、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) も、いくつもの著作権 (Copyright) とその処理に関わる大きな事件に何度も遭遇していたから、なのである。
まぁ、尤も、全く無名の音楽家が、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) の新作に収録されているこれこれの楽曲は以前、彼ら宛に送った自作とそっくりだ、とかなんとか謂うのは、極端な表現をすれば、日常茶飯事で、しかもそれは彼らに限った話ではない。
実際に、そおゆう事があり得ない訳ではないけれども、それが主張する無名の音楽家の謂う通りに、認められる事は、先ずまかり間違っても、絶対にない。
ぢゃあ、無名の音楽家はどうしたら良いのか、もしくは、どうすべきだったのか、それはここでは書かない。本題から外れてしまうからだ。
いや、そうではなくて、そおゆう無名の音楽家とザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) のああでもないこうでもないについて、これから書く訳でもない。そおゆう事なのだ。
ソング・ライティングを巡るザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) との、否、実際にはジャガー = リチャード (Jagger = Richard) とのトラブルに関しては、ライ・クーダー (Ry Cooder) と、彼がレコーディングに参加したアルバム『レット・イット・ブリード (Let It Bleed)
』[1969年発表] での諸楽曲に関するモノが、最も有名だ。
作品の中で、実際にライ・クーダー (Ry Cooder) の演奏に触れられるのは『むなしき愛 (Love In Vain)』での、マンドリン (Mandolin) 演奏だけだ。だが、しかし、彼の発言によれば、この作品のなかに聴く事の出来るいくつものギター・プレイやその先行シングル『ホンキー・トンク・ウィメン (Honky Tonk Women)』[1969年発表 アルバム『スルー・ザ・パスト・ダークリー [ビッグ・ヒッツ Vol.2] (Through The Past, Darkly [Big Hits Vol. 2])
』収録] は彼のアイデアによると謂う。
つまり、彼の主張を全面的に受け入れれば、そのバンドのギタリストが、彼のいくつものアイデアや演奏を盗用していると謂う事になってしまうのだ。

本当のところは解らない。解らないが、この事件の幕引きを図る為 [なのかどうかもよく解らないのだけれども]、1972年にアルバム『ジャミング・ウィズ・エドワード (Jamming With Edward!)』が、ローリング・ストーンズ・レコード (Rolling Stones Records) から発売される。1969年のあるセッションの記録だ。
作品名義は、ニッキー・ホプキンス (Nicky Hopkins)、ライ・クーダー (Ry Cooder)、ミック・ジャガー (Mick Jagger)、ビル・ワイマン (Bill Wyman)、チャーリー・ワッツ(Charlie Watts) という、5人の連名。収録曲全6曲のうち、2曲のカヴァーを除けばどれも、ニッキー・ホプキンス (Nicky Hopkins)、ライ・クーダー (Ry Cooder)、チャーリー・ワッツ(Charlie Watts) の共作となっている。
聴き方によっては、ライ・クーダー (Ry Cooder) の主張の正否を確認する術 [だってその場にはギタリストが不在なんだよ!?] ともなるし、観方によっては、この作品での著作権 (Copyright) 上の収益をあげるから、お前は黙っていろと謂われている様にも観える。
[掲載画像はその『ジャミング・ウィズ・エドワード (Jamming With Edward!)』のジャケット、表面 [右] と裏面 [左]。図版はこちらから]
同じ様な事は、1991年に脱退してしまったオリジナル・ベーシスト、ビル・ワイマン (Bill Wyman) にもある。
彼のバンド在籍時のオリジナル楽曲は『イン・アナザー・ランド (In Another Land)』[1967年発表 アルバム『サタニック・マジェスティーズ (Their Satanic Majesties Request)
』収録] と、所謂未発表作である『ダウンタウン・スージー (Downtown Suzie)』[1975年発表 アルバム『メタモフォーシス (Metamorphosis)
』収録] だけだ。ただ、ご多分にも漏れず、例えば彼は『ジャンピング・ジャック・フラッシュ (Jumpin' Jack Flash)』[1969年発表 アルバム『スルー・ザ・パスト・ダークリー [ビッグ・ヒッツ Vol.2] (Through The Past, Darkly [Big Hits Vol. 2])
』収録:この曲についてはこちらを参照の事] での自身の関与も主張しているし、第三者的な見地からしても、単なる1ベーシストとしての関わり合い方だけなのだろうか、という疑義もある。にも関わらずに、バンドに於ける作曲者としての立場でクレジットされているのは、先に挙げた2曲のみなのである。
にも関わらずに、もしかしたら、だからこそと言い換えるべきかもしれないが、脱退時、ビル・ワイマン (Bill Wyman) はローリング・ストーンズ・レコード (Rolling Stones Records) で発表したソロ2作品、『モンキー・グリップ (Monkey Grip)』[1974年発表] と『ストーン・アローン (Stone Alone)』[1976年発表] の、一切の権利を掌中に収めているのである。
有り体に謂えば、アルバム2枚のマスター・テープとその商品化権を手渡されて追放されたとも謂えるが、自身のハンドリングでマネージメントすればその収益はまるまる自身のモノだ。その代わりに、それ以前のジャガー = リチャード (Jagger = Richard) 作品に関して、発言するのは控えてもらおう。
そんな、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) 体制の意識が、垣間見えるのである。
ここまで読んできて、そして、ぼくの文章の書き方によって、もしかしたら、妙な義憤に駆られるヒトもいないとは限らないから、敢えて書いておくけれども、ここで書いている事は、創作上の問題ではない。ビジネスのあり方の問題だ。
創作上の観点から謂えば、冒頭に掲げた『エニバディ・シーン・マイ・ベイビー? (Anybody Seen My Baby?)』[1997年発表 アルバム『ブリッジズ・トゥ・バビロン (Bridges To Babylon)
』収録] は、誰がなんと謂おうと、自分達の楽曲であると主張し続けるべきモノなのである。著作権 (Copyright) とは、そおゆうモノだ。
実際の楽曲が創造された経緯はともかく横に置いておいて、似ている事によって派生するであろう、幾つもの煩わしい問題を回避する為の、恐らく最善の処置なのだ。
レノン = マッカートニー (Lennon = McCartney) が真の意味での共作であったのは、ごく初期に制作されたごく僅かな楽曲でしか無い筈なのに、未だにふたりの連名で表記されているのと同じだ。
しかもそれは、ブランドとしてのイメージを尊重しているから、だけではない。
ジョン・レノン (John Lennon) 側から観れば『平和を我等に (Give Peace A Chance)』 [1969年発表 アルバム『平和の祈りをこめて (Live In Peace Toronto 1969)
』収録:ザ・ビートルズ (The Beatles) 名義の作品ではない] が、ポール・マッカートニー (Paul McCartney) 側から観れば『イエスタデイ (Yesterday)』 [1965年発表 アルバム『4人はアイドル (Help!)
』収録:他の3人は一切参加せず純粋にポール・マッカートニー (Paul McCartney) のソロ・ナンバー] が、互いに相手に”人質 (A Hostage)”に取られている様なものなのだ。
つまり、”人質 (A Hostage)”をさしだしたその結果として、ジョン・レノン (John Lennon) 側は『イエスタデイ (Yesterday)』 [1965年発表 アルバム『4人はアイドル (Help!)
』収録] からの収益を得られる訳であるし、ポール・マッカートニー (Paul McCartney) 側は『平和を我等に (Give Peace A Chance)』 [1969年発表 アルバム『平和の祈りをこめて (Live In Peace Toronto 1969)
』収録] からの収益を得られる訳である。
どちらから観ても、その権利を放棄する事によって生じる新しい益となるモノは、殆どない。
そして、もうひとつだけレノン = マッカートニー (Lennon = McCartney) 作品に関して付け加えておくとすれば、それを維持し運営する為の安全策として、他のメンバーのオリジナル楽曲、別けてもジジョージ・ハリソン (George Harrison) 楽曲のザ・ビートルズ (The Beatles) 作品への収録を制限していたのも、その起因は同じ様なモノなのだ。
それと同じ様に、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) の作品には、所謂カヴァー・ナンバーを除けば、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) 以外のメンバー作品は、殆どない。
1976年以降、メンバーである筈のロン・ウッド (Ron Wood) でさえ、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) との共作はあり得るモノの個人単体の提供楽曲はない。
しかも、その共作作品でさえ、バンドが危機的な状況にあっての時ばかりなのだ。例えば、ミック・ジャガー (Mick Jagger) もキース・リチャード(Keith Richard) も自分自身のソロ作とそのツアーに奔走してバンド自身が蔑ろにされていた頃に制作されたアルバム『ダーティ・ワーク (Dirty Work)
』[1986年発表] に収録された『ワン・ヒット (One Hit [To The Body]』や、過去のセッション・ナンバーばかりをかき集めて制作せざるを得なかったアルバム『刺青の男 (Tattoo You)
』[1981年発表] に収録された『黒いリムジン (Black Limousine)』や『泣いても無駄 (No Use In Crying)』 [この2曲ともに前作『エモーショナル・レスキュー (Emotional Rescue)
』[[1980年発表] のアウト・テイク] 等、である。
ちなみに彼が最初にクレジットされたのは、アルバム『イッツ・オンリー・ロックン・ロール (It's Only Rock'n Roll)
』 [1974年発表] での表題曲『イッツ・オンリー・ロックン・ロール (It's Only Rock'n Roll [But I Like It])』 [しかも共作者扱いではなくて”インスピレーション・バイ (Inspiration By)”と謂うモノ] だけれども、この時点では、彼はまだフェイセズ (Faces) に在籍していたし、そこでの枕詞”インスピレーション・バイ (Inspiration By)”は、もうひとりのギタリスト不在の時に制作 [その完成後にザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) に正式に参加する] されたアルバム『ブラック・アンド・ブルー (Black And Blue)
』[1976年発表] での『ヘイ・ネグリータ (Hey Negrita)』 の楽曲クレジットにも観られる。
[この枕詞”インスピレーション・バイ (Inspiration By)”は、ビリー・プレストン (Billy Preston) にも顕われていて、その『ブラック・アンド・ブルー (Black And Blue)
』[1976年発表] での『メロディー (Melody)』 の作者クレジットで発見できる。もしかしたら、ライ・クーダー (Ry Cooder) との件で学習した成果が、枕詞”インスピレーション・バイ (Inspiration By)”として出現したのではないだろうか。ビリー・プレストン (Billy Preston) 側からこの件に関しては、ライ・クーダー (Ry Cooder) の様な発言は観られない。だからと謂って、彼に正式な著作権 (Copyright) から派生する印税もしくはそれに代わるなにがしかが支払われているという保障は一切、ないんだけどね]。
[それに誤解や推測を交えて書けば、共作曲とされている楽曲も、実際はどうなのだか解らない。例えば仮に、共作扱いのクレジットを条件としたアルバム収録、つまりはザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) ・ナンバーとしての楽曲発表もあり得ない訳ではないからだ。それはつまり、自身のオリジナル楽曲としてソロ・アルバムに収録して発表したその結果、得べかるべき収益と、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) ・ナンバーとしてザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) の作品に収録して発表したその結果、共作者として得べかるべき収益と、どちらが得策なのか、という判断がそこに存在しているかもしれない、という事なのだ。勿論、それは二者選択ではない。自身のソロ・アルバムにゲスト・シンガー乃至はゲスト・ミュージシャンとして、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) の両方さもなければいずれか一人を招くと謂う方法論も無い訳ではない]。
序でに、ぢゃあ、ロン・ウッド (Ron Wood) の前任者ミック・テイラー (Mick Taylor) はと観れば『メイン・ストリートのならず者 (Exile On Main St.)
』[1972年発表] での『ヴェンチレイター・ブルース (Ventilator Blues)』しかジャガー = リチャード (Jagger = Richard) との共作曲はなくて、しかも彼の演奏力を考えてみても、もっとあるだろうと謂う気にはなる。実際に、『タイム・ウェイツ・フォー・ノー・ワン (Time Waits For No One)』 [1974年発表『イッツ・オンリー・ロックン・ロール (It's Only Rock'n Roll)
』収録] 等は彼のモノらしく、そのクレジット表記に関するトラブル [とそこから派生する金銭的なあれやこれや]が、彼の脱退の理由のひとつとされている。
さらに序でに書くと、ミック・テイラー (Mick Taylor) の前任者でオリジナル・メンバーのブライアン・ジョーンズ (Brian Jones) は、前回に書いた様に、ナンカー・フェルジ (Nanker Phelge) 名義のモノだけだ。
だから、つまり、結論めいたモノがもし、この駄文に必要だとしたら、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) と謂うバンドよりも、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) というソングライター・チームの方がより重要なのだ、と謂う事になるのだろうか。
否、これは少なくとも、著作権 (Copyright) というモノでのビジネスを前提にすれば、当然なのだが。
そうではない。
もし仮に、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) と謂う作家チームよりも、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) と謂うバンドありきの発想が彼らにあるのであるならば、こうまで、オリジナル楽曲を重視したのだろうか、と謂う事だ。
永い歴史を誇る彼らだ。全曲カヴァーのアルバムを創ったとしても、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) の出逢いの場を演出したチャック・ベリー (Chuck Berry) やバンド名の出自ともなったマディ・ウォーターズ (Muddy Waters) へのトリビュート・アルバムがあったとしても、決して非難される筋合いはないし、むしろ、ある種のファンからは諸手を挙げて、歓迎される筈なのだ。
それに比する事の出来る作品はせいぜいが『ストリップド (Stripped)
』 [[1995年発表] と謂う、中途半端なアンプラグド作品で、これだって全14曲中10曲はジャガー = リチャード (Jagger = Richard) 作品なのである。
次回は「ど」。
でも、だからと謂って、いくつもある有名曲や人気曲をあげつらって、その成立要件や制作過程、はたまたそこに発見できる音楽のマジックについて書き出したら、いつまでたっても終わらない大部になってしまうので、そおゆう部分には、今回は焦点を当てない。
ちょっと、別の部分から観てみる。
それだからこその、前回からのつづきなのである。
ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) のアルバム『ブリッジズ・トゥ・バビロン (Bridges To Babylon)
作者クレジットを観ると、いつもの二人、ミック・ジャガー (Mick Jagger) とキース・リチャード(Keith Richard) の名に並んで、K. D. ラング (K.D. Lang) とベン・ミンク (Ben Mink) と謂う二人の名前がある。
これは、4人が合議の末に、作詞作曲したからではない。
K. D. ラング (K.D. Lang) の既発表曲『コンスタント・クレビング (Constant Craving)』[1992年発表 アルバム『アンジャニュウ (Ingenue)
約20年も前の事だけれども、作品の発表とほぼ同時にこの情報を得たぼくは、彼らも大人になったなぁと思うと同時に、その彼らを取り巻く著作権 (Copyright) ビジネスの成熟度や規模の大きさに思いを馳せたのであった。
と、謂うのは、ご多分にも漏れず、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) も、いくつもの著作権 (Copyright) とその処理に関わる大きな事件に何度も遭遇していたから、なのである。
まぁ、尤も、全く無名の音楽家が、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) の新作に収録されているこれこれの楽曲は以前、彼ら宛に送った自作とそっくりだ、とかなんとか謂うのは、極端な表現をすれば、日常茶飯事で、しかもそれは彼らに限った話ではない。
実際に、そおゆう事があり得ない訳ではないけれども、それが主張する無名の音楽家の謂う通りに、認められる事は、先ずまかり間違っても、絶対にない。
ぢゃあ、無名の音楽家はどうしたら良いのか、もしくは、どうすべきだったのか、それはここでは書かない。本題から外れてしまうからだ。
いや、そうではなくて、そおゆう無名の音楽家とザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) のああでもないこうでもないについて、これから書く訳でもない。そおゆう事なのだ。
ソング・ライティングを巡るザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) との、否、実際にはジャガー = リチャード (Jagger = Richard) とのトラブルに関しては、ライ・クーダー (Ry Cooder) と、彼がレコーディングに参加したアルバム『レット・イット・ブリード (Let It Bleed)
作品の中で、実際にライ・クーダー (Ry Cooder) の演奏に触れられるのは『むなしき愛 (Love In Vain)』での、マンドリン (Mandolin) 演奏だけだ。だが、しかし、彼の発言によれば、この作品のなかに聴く事の出来るいくつものギター・プレイやその先行シングル『ホンキー・トンク・ウィメン (Honky Tonk Women)』[1969年発表 アルバム『スルー・ザ・パスト・ダークリー [ビッグ・ヒッツ Vol.2] (Through The Past, Darkly [Big Hits Vol. 2])
つまり、彼の主張を全面的に受け入れれば、そのバンドのギタリストが、彼のいくつものアイデアや演奏を盗用していると謂う事になってしまうのだ。

本当のところは解らない。解らないが、この事件の幕引きを図る為 [なのかどうかもよく解らないのだけれども]、1972年にアルバム『ジャミング・ウィズ・エドワード (Jamming With Edward!)』が、ローリング・ストーンズ・レコード (Rolling Stones Records) から発売される。1969年のあるセッションの記録だ。
作品名義は、ニッキー・ホプキンス (Nicky Hopkins)、ライ・クーダー (Ry Cooder)、ミック・ジャガー (Mick Jagger)、ビル・ワイマン (Bill Wyman)、チャーリー・ワッツ(Charlie Watts) という、5人の連名。収録曲全6曲のうち、2曲のカヴァーを除けばどれも、ニッキー・ホプキンス (Nicky Hopkins)、ライ・クーダー (Ry Cooder)、チャーリー・ワッツ(Charlie Watts) の共作となっている。
聴き方によっては、ライ・クーダー (Ry Cooder) の主張の正否を確認する術 [だってその場にはギタリストが不在なんだよ!?] ともなるし、観方によっては、この作品での著作権 (Copyright) 上の収益をあげるから、お前は黙っていろと謂われている様にも観える。
[掲載画像はその『ジャミング・ウィズ・エドワード (Jamming With Edward!)』のジャケット、表面 [右] と裏面 [左]。図版はこちらから]
同じ様な事は、1991年に脱退してしまったオリジナル・ベーシスト、ビル・ワイマン (Bill Wyman) にもある。
彼のバンド在籍時のオリジナル楽曲は『イン・アナザー・ランド (In Another Land)』[1967年発表 アルバム『サタニック・マジェスティーズ (Their Satanic Majesties Request)
にも関わらずに、もしかしたら、だからこそと言い換えるべきかもしれないが、脱退時、ビル・ワイマン (Bill Wyman) はローリング・ストーンズ・レコード (Rolling Stones Records) で発表したソロ2作品、『モンキー・グリップ (Monkey Grip)』[1974年発表] と『ストーン・アローン (Stone Alone)』[1976年発表] の、一切の権利を掌中に収めているのである。
有り体に謂えば、アルバム2枚のマスター・テープとその商品化権を手渡されて追放されたとも謂えるが、自身のハンドリングでマネージメントすればその収益はまるまる自身のモノだ。その代わりに、それ以前のジャガー = リチャード (Jagger = Richard) 作品に関して、発言するのは控えてもらおう。
そんな、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) 体制の意識が、垣間見えるのである。
ここまで読んできて、そして、ぼくの文章の書き方によって、もしかしたら、妙な義憤に駆られるヒトもいないとは限らないから、敢えて書いておくけれども、ここで書いている事は、創作上の問題ではない。ビジネスのあり方の問題だ。
創作上の観点から謂えば、冒頭に掲げた『エニバディ・シーン・マイ・ベイビー? (Anybody Seen My Baby?)』[1997年発表 アルバム『ブリッジズ・トゥ・バビロン (Bridges To Babylon)
実際の楽曲が創造された経緯はともかく横に置いておいて、似ている事によって派生するであろう、幾つもの煩わしい問題を回避する為の、恐らく最善の処置なのだ。
レノン = マッカートニー (Lennon = McCartney) が真の意味での共作であったのは、ごく初期に制作されたごく僅かな楽曲でしか無い筈なのに、未だにふたりの連名で表記されているのと同じだ。
しかもそれは、ブランドとしてのイメージを尊重しているから、だけではない。
ジョン・レノン (John Lennon) 側から観れば『平和を我等に (Give Peace A Chance)』 [1969年発表 アルバム『平和の祈りをこめて (Live In Peace Toronto 1969)
つまり、”人質 (A Hostage)”をさしだしたその結果として、ジョン・レノン (John Lennon) 側は『イエスタデイ (Yesterday)』 [1965年発表 アルバム『4人はアイドル (Help!)
どちらから観ても、その権利を放棄する事によって生じる新しい益となるモノは、殆どない。
そして、もうひとつだけレノン = マッカートニー (Lennon = McCartney) 作品に関して付け加えておくとすれば、それを維持し運営する為の安全策として、他のメンバーのオリジナル楽曲、別けてもジジョージ・ハリソン (George Harrison) 楽曲のザ・ビートルズ (The Beatles) 作品への収録を制限していたのも、その起因は同じ様なモノなのだ。
それと同じ様に、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) の作品には、所謂カヴァー・ナンバーを除けば、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) 以外のメンバー作品は、殆どない。
1976年以降、メンバーである筈のロン・ウッド (Ron Wood) でさえ、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) との共作はあり得るモノの個人単体の提供楽曲はない。
しかも、その共作作品でさえ、バンドが危機的な状況にあっての時ばかりなのだ。例えば、ミック・ジャガー (Mick Jagger) もキース・リチャード(Keith Richard) も自分自身のソロ作とそのツアーに奔走してバンド自身が蔑ろにされていた頃に制作されたアルバム『ダーティ・ワーク (Dirty Work)
ちなみに彼が最初にクレジットされたのは、アルバム『イッツ・オンリー・ロックン・ロール (It's Only Rock'n Roll)
[この枕詞”インスピレーション・バイ (Inspiration By)”は、ビリー・プレストン (Billy Preston) にも顕われていて、その『ブラック・アンド・ブルー (Black And Blue)
[それに誤解や推測を交えて書けば、共作曲とされている楽曲も、実際はどうなのだか解らない。例えば仮に、共作扱いのクレジットを条件としたアルバム収録、つまりはザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) ・ナンバーとしての楽曲発表もあり得ない訳ではないからだ。それはつまり、自身のオリジナル楽曲としてソロ・アルバムに収録して発表したその結果、得べかるべき収益と、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) ・ナンバーとしてザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) の作品に収録して発表したその結果、共作者として得べかるべき収益と、どちらが得策なのか、という判断がそこに存在しているかもしれない、という事なのだ。勿論、それは二者選択ではない。自身のソロ・アルバムにゲスト・シンガー乃至はゲスト・ミュージシャンとして、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) の両方さもなければいずれか一人を招くと謂う方法論も無い訳ではない]。
序でに、ぢゃあ、ロン・ウッド (Ron Wood) の前任者ミック・テイラー (Mick Taylor) はと観れば『メイン・ストリートのならず者 (Exile On Main St.)
さらに序でに書くと、ミック・テイラー (Mick Taylor) の前任者でオリジナル・メンバーのブライアン・ジョーンズ (Brian Jones) は、前回に書いた様に、ナンカー・フェルジ (Nanker Phelge) 名義のモノだけだ。
だから、つまり、結論めいたモノがもし、この駄文に必要だとしたら、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) と謂うバンドよりも、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) というソングライター・チームの方がより重要なのだ、と謂う事になるのだろうか。
否、これは少なくとも、著作権 (Copyright) というモノでのビジネスを前提にすれば、当然なのだが。
そうではない。
もし仮に、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) と謂う作家チームよりも、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) と謂うバンドありきの発想が彼らにあるのであるならば、こうまで、オリジナル楽曲を重視したのだろうか、と謂う事だ。
永い歴史を誇る彼らだ。全曲カヴァーのアルバムを創ったとしても、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) の出逢いの場を演出したチャック・ベリー (Chuck Berry) やバンド名の出自ともなったマディ・ウォーターズ (Muddy Waters) へのトリビュート・アルバムがあったとしても、決して非難される筋合いはないし、むしろ、ある種のファンからは諸手を挙げて、歓迎される筈なのだ。
それに比する事の出来る作品はせいぜいが『ストリップド (Stripped)
次回は「ど」。
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