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2014.02.25.11.47

なんかーふぇるじ

ナンカー・フェルジ (Nanker Phelge) と謂うのは、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) の1960年代の作品の、楽曲クレジットを観て行くと発見できる名前で、要はつまり、当時の参加メンバー全員の事である。
収録楽曲の末尾に、馬鹿丁寧にも、 ミック・ジャガー / ブライアン・ジョーンズ / キース・リチャード / チャーリー・ワッツ / ビル・ワイマン (Mick Jagger / Brian Jones / Keith Richard / Charlie Watts / Bill Wyman) とする煩を煩わさせるのを良しとしなかった結果である。しかも、この5人に加えて、初期楽曲群には、かのイアン・スチュワート (Ian Stewart) [既にこちらで紹介済] も関わっていると謂うから、尚更だ。

この名義の楽曲は、所謂、未発表音音源を含めて17曲あるそうだ [詳細はこちらを参照の事]。

と、書いてしまえばこの記事はこれで終わりだ。
実際に、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) に関する文献で、この名前に関して詳述されたモノを観た記憶がない。
初期の彼らの、特に彼ら5人プラス1人の、それぞれの力関係や人間関係、はたまたその変遷を考えるのには、うってつけのサヴ・テキストの様に思えるのだが、どうだろうか。

勿論、この名前が忘却される理由も当然であって、彼らはまごう事なき未だに現役のバンドであって、しかも、彼らのソング・ライター・チームは謂わずもがなのジャガー = リチャード (Jagger = Richard) のグリマー・ツインズ (The Glimmer Twins) だ。
このチームの楽曲群を堪能するだけで、ロックン・ロール (Rock ’n’ Roll) の歴史の大半を堪能出来る、と謂う事になっている。

だから、逆から見れば、何故、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) という”専属の”ソング・ライター・チームがあるのにも関わらず、ナンカー・フェルジ (Nanker Phelge) がかつて存在していたのかという疑問が、そこにあるのだ。

ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) の発端は有名だ。
例によって、アンドリュー・ルーグ・オールダム (Andrew Loog Oldham) が [例によってと書いたのはこの時季、よきにつけあしにつけ、総ての発端が彼なのだ]、レノン = マッカートニー (Lennon = McCartney) にザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) 用の楽曲の提供を依頼する。その時、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) も同席していた。
二つ返事で了解したレノン = マッカートニー (Lennon = McCartney) は別室で数10分すごした後に、彼らの為の新曲を携えてくる。
それが『彼氏になりたい (I Wanna Be Your Man)』 [1963年発表 アルバム『シングル・コレクション [ザ・ロンドン・イヤーズ] (Singles Collection : The London Years)』収録] で、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) のデヴュー第2作のシングル・ナンバーとなった。レノン = マッカートニー (Lennon = McCartney) 自身は、リンゴ・スター (Ringo Starr) のヴォーカル曲『アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン (I Wanna Be Your Man)』 [1963年発表 アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ (With The Beatles)』収録] として発表した。
このものの数10分を体験しジャガー = リチャード (Jagger = Richard) は吃驚した、と同時に、発奮した。自身達と同世代のモノがこんなに簡単に曲を創れるなんて、という事なのである。それじゃあ、やってみましょう、という事なのである。

images
そんな風にして始まったジャガー = リチャード (Jagger = Richard) の最初の作品は彼らの4枚目のシングル『テル・ミー (Tell Me)』 [1964年発表 アルバム『ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones)』収録] であって、ナンカー・フェルジ (Nanker Phelge) 名義の最初の作品はその2作前の、つまり『彼氏になりたい (I Wanna Be Your Man)』 [1963年発表 アルバム『シングル・コレクション [ザ・ロンドン・イヤーズ] (Singles Collection : The London Years)』収録] のB面曲『ストーンド (Stoned)』 [1963年発表 アルバム『シングル・コレクション [ザ・ロンドン・イヤーズ] (Singles Collection : The London Years)』収録] なのである[掲載画像はこちらから]。

だから、ナンカー・フェルジ (Nanker Phelge) にもジャガー = リチャード (Jagger = Richard) と同等の神話が存在したとしても不思議ではないのだけれども、残念ながら、そんなモノは未だに発掘出来てはいないのだ。

でも、その代わりに彼の正体を知る為のヒントは、別のかたちで出てくる。

悪魔を憐れむ歌 (Sympathy For The Devil)』 [1968年発表 アルバム『ベガーズ・バンケット (Beggars Banquet)』収録] のレコーディングの過程を追った映画『ワン・プラス・ワン (One Plus One)』 [ジャン=リュック・ゴダール (Jean-Luc Godard) 監督作品 1968年制作] だ。
ここで発見できるのは、自らが創った楽曲をスタジオで精製するジャガー = リチャード (Jagger = Richard) の姿だ。
最初に用意された曲の楽想がどんどん変容していく過程と、そこに顕われる2人の姿だ。ミック・ジャガー (Mick Jagger) がコンダクター (Conductor) に観える様に、キース・リチャード (Keith Richard) がコンサートマスター (Concertmaster) に観える。そして、実際の交響曲 (Symphony) の演奏とまるっきり違うのは、ここではコンダクター (Conductor) とコンサートマスター (Concertmaster) はそれぞれの役割が入れ替わる時がある事だ。

そして、その模様が収録されてから半世紀近く経過しているが、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) の楽曲制作の手法は、そこからそれほど変わらないだろう。もしあるとしたら、その長い歴史が刻み付けたふたりの物語に起因するモノであって、映画『ワン・プラス・ワン (One Plus One)』 [ジャン=リュック・ゴダール (Jean-Luc Godard) 監督作品 1968年制作] の時の様な、コインの表と裏 (Two Sides Of The Same Coin) では、もう、ないのかもしれない。
否、きっと恐らく、今あるのは、2枚のコインなのだろう。

だから、ぼく達が捜さなければならないのは、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) の影に隠された部分に他ならない。2枚に別れてしまったコインのその裏面だ。
恐らく、そこにナンカー・フェルジ (Nanker Phelge) が潜んでいるのに相違ないのだ。

彼が手がけた17曲のリストを睨みつける。
さもなくば、彼名義の17曲を丹念に聴いてみる。

解るのは、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) 作品よりももっと、彼らのルーツ音楽に近い点だ。ブルース (Blues) やリズム・アンド・ブルース (Rhythm And Blues) の、クリシェ (Cliche) にも似た技法や話法が多用されている。
ボ・ディドリー (Bo Diddley) の 『アイム・オールライト (I'm Alright)』 [1963年発表 アルバム『ボ・ディドリーズ・ビーチ・パーティ (Bo Diddley's Beach Party)』収録] に新たに自身の歌詞をのせた『アイム・オーライト (I’m Alright)』[1965年発表 アルバム『ガット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット! (Got Live If You Want It!)』収録] は、その典型だ。
その上に歌詞もまた、ノヴェルティ・ソング (Novelty Song) に近い語法が多い様な気がする。少なくとも『ウエスト・コーストの宣伝屋 (The Under Assistant West Coast Promotion Man』 [1965年発表 アルバム『アウト・オブ・アワ・ヘッズ (Out Of Our Heads)』収録] や『クモとハエ (The Spider And The Fly) [1965年発表 アルバム『アウト・オブ・アワ・ヘッズ (Out Of Our Heads)』収録] の様な歌詞は、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) 的ではない様な気がする [と書いてみた後に調べたら後者のクレジットはその後、ジャガー = リチャード (Jagger = Richard) に変更されている。もしかしたらアルバム『ストリップド (Stripped)』 [[1995年発表] で再演してから以降の変更なのだろうか]。
そしてもうひとつ、アンドリュー・ルーグ・オールダム (Andrew Loog Oldham) 的でもない。つまり、一言で断言してしまうと、コマーシャリズムに乗りにくい。

と、書いてしまうと、解るヒトには解ってしまう。
総てが一切、ブライアン・ジョーンズ (Brian Jones) 的なのである。

だからと謂って、ナンカー・フェルジ (Nanker Phelge) がそのまま等号で、ブライアン・ジョーンズ (Brian Jones) に結びつけられるとは、ぼくも思わない。

多分、スタジオやライブのリハーサル現場で、半ば偶発的に産まれたのではないか、と思う。
その際に、メンバーの誰かが、楽曲の動機とでも謂える様なモノを予め用意していたのか、さもなければ、記憶の片隅に蔓延っている既存曲のリフやメロディーやモチヴェーションを流用したのか。
少なくとも、ある程度の纏まった時間、楽曲に集中する事が出来るのならば、単なるスケッチ程度のモノが、収録し発表する事も出来る程度をもった楽曲へと完成させる事が、当時の5人プラス1人には、可能だったのだろうとは、思う。
そういう経緯で産まれた楽曲をその場にいたメンバー全員の合作とする一方で、名義人を架空の人物とした、と謂う様な事なのだろう。

ただ、問題は、そんな制作過程は、もう一方のソング・ライター・チームであるジャガー = リチャード (Jagger = Richard) と同時に存在しえない上に、ザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) というアーティスト集団のあり方や売り方にも、相反するモノなのである。

個人的な、ナンカー・フェルジ (Nanker Phelge) のベスト・チューンと謂えば、多分、他の誰でもそうであろう『南ミシガン通り2120 (2120 South Michigan Avenue)』 [1963年発表 アルバム『12 × 5 (Twelve By Five)』収録]。
彼らにとっての聖地、シカゴ (Chicago) はチェス・スタジオ / Chess Recording Studio での最初のレコーディングの際、そこでの偶発的なセッションをそのまま発表したモノと聴く。タイトル名は、そのチェス・スタジオ / Chess Recording Studioの、当時の住所である。

そして、この曲で聴く事の出来る演奏スタイルがザ・ローリング・ストーンズ (The Rolling Stones) と謂うバンドの原初なのであろう。
つまり、こおゆう事を演る事が、バンドが [ビジネスとして] 成長する事によって、不可能事となってしまったのである。

次回は「」。
このつづきを書きます。
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