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2014.02.21.09.09

Going To A Go-Go

そこはその街一番の繁華街、そのはずれにあった。街はゆるやかな丘陵にひらけていて、そこは坂道をのぼりつめた場所にある。
だから、だれもがしっている場所ではあったが、おいそれとはうかがえない場所であった。

たいがいのものは、坂道のとちゅうにある馴染で充分だったし、そうでなくとも、そこらにたむろしているものたちが、容赦をするわけではない。

かれらは客引きでめしをくっているのだ。

あの、一種異様な外見にみせられて坂道をのぼろうとするものも、結局は興味本位だけだから、かれらの上客になるのがおちなのだ。

だが、そのかわりに、かれらにあそこにいくと、その名をつげれば、客引き達はひきさがる。
その理由をきいても、だれもこたえない。いや、こたえられないのだ。
ただわかっているのは、あそこの客には手出しが無用。ただ、それだけなのだ。

そこには、いやなうわさがあった。
いちどはいったが最期、二度とはでてこない。

そんなうわさが単なるうわさでしかないことは、誰にもわかる。
いつの日も、どんな日も、着飾った紳士や淑女、そして、そのとりまきたちがひきもきらないからだ。
日没のはるか前から煌煌と電飾が輝き、それは夜があけても消えることはない。

かつて、その国の王がなくなったときがあった。
だれもが喪に服し、だれもが喪に服さねばならないときだった。
だが、そんなときであってもあそこは、いつもとかわらぬ、煌びやかさであふれかえっていたのである。

つまり、あそこにいくものは誰も、この坂道をのぼらない、ということなのだ。
あそこの客たちはみな、この繁華街の住人達のしらない道をとおって、あしげく、かようのだ。
むろん、徒歩でなぞ、もってのほかだ。

だからこそ、この坂道をのぼってあそこへいこうとするものたちの、得体がしれないのだ。
なにをしに、いや、なにをされに、あそこへとむかうのか。
どう考えても、そのみなりをみればいやでも、格があうはずもない。

そして、あそこへいくといったものはいるものの、あそこからかえってくるものはいないのだ。
坂道をのぼりつめるものはみな、だれひとり、くだっておりてくることはなかったのである。

[the text inspired from the song “Going To A Go-Go” from the album “Going To A Go-Go” by Smokey Robinson And The Miracles]


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