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2014.02.18.12.04

むじな

と、表題に掲げてはあるけれども、相原コージ (Koji Aihara) のマンガ『ムジナ (Mujina)』 [19931997週刊ヤングサンデー連載] については触れない。
この作品、実は『サルでも描けるまんが教室 (Even A Monkey Can Draw Manga) 』 [竹熊健太郎 (Kentaro Takekuma) と共著 1989ビッグコミックスピリッツ連載] で預言されていた忍者マンガ (Ninja Manga) の再興を賭けた作品でもあると同時に、新しい忍者マンガ (?)、ひとりの女性刺客を主人公に据えたマンガ『あずみ (Azumi)』 [小山ゆう (Yu Koyama) 作 19942008ビッグコミックスペリオール連載] の登場を促した作品でもある。
と、謂う様な事はこれ以上、ここでは触れられない上に、この作品が、『カムイ伝 (Kamui)』 [白土三平 (Sanpei Shirato) 作 19641971月刊漫画ガロ連載] が本来ならば描いたかもしれない世界観をきちんと継承した作品である可能性をも孕んでいる事も、ここでは触れないままここで、擱筆する事にする。

と、久しぶりに『小僧の神様 (The Shopboy's God)』 [志賀直哉 (Naoya Shiga) 著 1920年発表] してみたのである。

つまり、ここで取り上げるのは狢 (Mujina)、古来、日本に在来する哺乳類 (Mammal) の様な、妖怪 (Yokai) の様な、諺に謂われる『同じ穴の狢 (Birds Of A Feather)』の、その狢 (Mujina) という、そんな得体の知れない生物 [なのか?] について、述べる事にする。

狢 (Mujina) に関する最初の文献は『日本書紀 (Nihon Shoki : The Chronicles Of Japan)』 [舎人親王 (Prince Toneri) 編 720年刊行] であって、その『巻22 推古天皇35年』の条、即ち627年の記録として次の様に紹介されている。
「春2月陸奥国有狢比人以歌 / 春2月陸奥の国に狢、人となりて歌うたう」

つまり、その頃より、狢 (Mujina) は化けて騙す存在として知られているのである。
でも、だから、それ故に、一向に、要領を得ない。
(Fox) は、解る。
(Raccoon Dog) も、解る。
では、狢 (Mujina) は。

同じ様に人をばかす存在である、 (Fox) や (Raccoon Dog) は、だいたいのイメージをぼく達は既に得ているのに対し、同じ様な存在である筈の狢 (Mujina) については、一体、なにを指すのか、全く持って、不明瞭だ。

辞書的な説明では、それは穴熊 (Japanese Badger) の事であって、時に白鼻心 (Masked Palm Civet) を指す言葉として機能する様だ。
ぢゃあ何故、最初から穴熊 (Japanese Badger) として名乗り出ないのだろうか。
そんな理不尽な憤慨にふと、横着してしまいそうなのである。

images
上に掲載するのは、鳥山石燕 (Toriyama Sekien) の描く『 (Mujina)』。『今昔画図続百鬼 (The Illustrated One Hundred Demons From The Present And The Past)』 [1776年刊行] で紹介されている。
詞書に曰く「狢の化る事、おさおさ狐狸におとらず。ある辻堂に、年ふるむじな僧とばけて、六時の勤おこたらざりしが、食後の一睡にわれを忘れて尾を出せり」とあって、要は、僧都 (Monk) にモノの見事に化けて日常の勤行も見事に勤めてはいたモノの、食後のうたた寝が仇となって、その本性を象徴する尾を顕してしまった、脚を出してしまえば馬だった (To Show The Cloven Hoof)、というのである。

逆に謂えば、先に紹介した『日本書紀 (Nihon Shoki : The Chronicles Of Japan)』 [舎人親王 (Prince Toneri) 編 720年刊行] での叙述と同様、狢 (Mujina) は化かすモノであって、その化かすモノとしての物語は、小泉八雲ことラフカディオ・ハーン (Lafcadio Hearn aka Koizumi Yakumo) が『 (Mujina)』 [1904年発表] として紹介していて、狢 (Mujina) を主役とする怪異譚としては、恐らくそれが最も、有名なモノだろう。
ただし、ここではその怪異の正体が一切、語られず仕舞で終わっていて、ぼく達の記憶に遺るモノは狢 (Mujina) ではなくて、彼ないし彼女が化けたのっぺらぼう (Noppera-bo) のそれだ。
だから、小泉八雲ことラフカディオ・ハーン (Lafcadio Hearn aka Koizumi Yakumo) の『 (Mujina)』 [1904年発表] を読んでも、いっかな、その正体と謂うモノが観えてこない。ただ、後味の悪い不安だけがそこにあるのだ。

そう謂う意味においても、鳥山石燕 (Toriyama Sekien) の描く『 (Mujina)』は破格だ。貴重な文献なのだ。大事な資料だ。
それ故に狢 (Mujina)、少なくとも、妖怪としての狢 (Mujina) 、に関してはこの図版は有名なモノで、大概のモノに引用され転載されている。ぼく自身も、『同じ穴の狢 (Birds Of A Feather)』以外の存在である狢 (Mujina) として出逢ったのが、この図版であって、それは『いちばんくわしい 日本妖怪図鑑』 [佐藤有文 (Arihumi Sato) 著 1972ジャガーバックス刊行] での事である。
ちなみに水木しげる (Shigeru Mizuki) は、どうだろうと、手許の書物等をざっくりと見渡しても出てこない。 (Fox) や (Raccoon Dog) による怪異は何度か、『ゲゲゲの鬼太郎 (GeGeGe no Kitaro)』の物語に登場したが、狢 (Mujina) はどうやらそこには、いないらしい。

オベベ沼の妖怪 (The Goblin Of Obebe Swamp)』、あれは (Otter) だ。

だから、ウィキペディアの「ムジナ」の項目 (Mujina On Wikipedia) に、如何にも四つ脚のけだもの然とした狢の図版 (The Graphics Of Mujina) が掲載されていると、ちょっと意外な趣になるが、その図版の出典元である『和漢三才図会 (Illustrated Sino-Japanese Encyclopedia)』 [寺島良安 (Terajima Ryoan) 著 1712年刊行] での、狢 (Mujina) に関する叙述は貴重だ。
そこでは、狢 (Mujina) (Raccoon Dog) と似たけだものとしている上に、狢 (Mujina) は常にカン (Kan) [ケモノヘンに灌のツクリ] と呼ばれるけだものと行動を共にしていると謂う。
ここから、『図説 日本未確認生物辞典』 [笹間良彦 (Yoshihiko Sasama) 著 1994年刊行] では狢 (Mujina)カン (Kan) は、雌雄の違いであろうと謂う件が叙述されているのであるが、それが『和漢三才図会 (Illustrated Sino-Japanese Encyclopedia)』 [寺島良安 (Terajima Ryoan) 著 1712年刊行] 上での記述なのか、『図説 日本未確認生物辞典』 [笹間良彦 (Yoshihiko Sasama) 著 1994年刊行] の著者としての見解なのか、判断がつきにくい。文章自体が狢 (Mujina) の様な按排なのだ。
ただ、穴蔵の中から顔をのぞかせるけだものを観て、あれはなんだ、狢 (Mujina) なのかカン (Kan) なのか、という疑問が沸いて出た際の解答として『同じ穴の狢 (Birds Of A Feather)』というのは、非道く合点がいくモノなのかもしれない。
お前達が呼んでいるけだもの達、あれもこれもそれもどれも、実は総て一緒、狢 (Mujina) だよ、という具合に、ね。

いずれにしろ、『図説 日本未確認生物辞典』 [笹間良彦 (Yoshihiko Sasama) 著 1994年刊行] の狢 (Mujina) と、その次の項目である (Mami) とを引き倒して読んでみると、日本には、 (Fox) と (Raccoon Dog) と狢 (Mujina) (Mami) とカン (Kan) という5種類のけだものがいる、ないしは、 (Fox) と (Raccoon Dog) と狢 (Mujina) (Mami) とカン (Kan) という5種類のけだものを顕す言葉があって、しかもその上に、それぞれがそれぞれの、その違いを見分ける術がなかなかになくて混同するという現状が、どうやらあるらしいのである。
そんなややこしい状況を最も明瞭に断罪した言葉もまた『同じ穴の狢 (Birds Of A Feather)』いう語句になるのであろう。

尤も、ここに書いたのは抽象的な議論の為の議論でもないし、思考実験の為の素材提供でもない。その証拠に、実際にあった刑事事件 (Criminal Procedure) で、 (Raccoon Dog) と狢 (Mujina) の違いが争われた狩猟法、即ち『鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律』の違反事件、『たぬき・むじな事件』 [1925大審院 (Supreme Court Of Judicature Of Japan) 判決] というモノがあるのだ。
しかも、この事件だけならば、どうという事のない、刑法学 (Study Of Criminal Law) の初学者向きの判例となるだけの事ではあるのだけれども、事態をややこしくさせているのが、同じ様な事件に『むささび・もま事件』 [1924大審院 (Supreme Court Of Judicature Of Japan) 判決] と謂うのがあって、これとそれとを引き比べると、とてもおかしな道理ばかりが眼についてしまうのである。
あたかも、4匹のけだものに、よってたかってばかにされたような面持ちになる事、請け合いだから、詳細は後日のいつかにゆっくりと紹介しようと思う。

あらためて、ここまで書いてきたモノを読み返すと、ろれつの廻らない文言ばかりが飛び交う、妙にとらえどころのない文章になっている様に思えるかもしれないが、それは半ば、意図的にそうしているところがあるのであるから、心配はご無用だ。

蕎麦屋に入る。饂飩屋でもいい。
運が良ければその品書きの中に、きつねやたぬきとならんで、むじなをみつけられるかもしれない。
試しに頼んでみると、恐らく、油揚げと揚げ玉が仲良く浮かんだモノが出てくる筈だ。
つまり、きつねでもあり、たぬきでもあるもの、それがむじなだ。
それは蕎麦や饂飩に限らない。
もし仮に、丼物のなかにむじながいれば、そのむじなも油揚げと揚げ玉を玉子でとじたモノだ。親子でも他人でもない玉子とじ丼、それがむじななのである。
ある意味でそれは、一切合切を包括しようとする言辞『同じ穴の狢 (Birds Of A Feather)』に忠実であろうとしている様だ。
だが、考えてもみたまえ。
たぬきは関東と京、大阪とでは全然、違う料理だ。それをしらずに注文すると絶対にまごつく。
あたかも、なにものかによって、たぶらかされた様な気分になる。そのことはこのぼくが、うけあってもいい。
そんなたぬきの、訳のわからなさと比較すれば、目の前にあるむじなはあまりに行儀がよろしすぎないか。
だから、ふと寝惚けて、正体がばれてしまう、そんな間抜けた仕業をしでかしてしまうのだ。

次回は「」。

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