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2014.01.24.10.53

Close To Me

救助された当初から、その海難者は譫言を絶えずくちばしっていた。
「まってくれ、いかないでくれ、おいていかないでくれ」

彼になにがあったのか、彼をのせた船になにがあったのか、一切はわからない。
生存者はただひとり、彼だけなのである。

その船が港をたったのは何ヶ月も前だ。毎年の、この時季、南の漁場にむかって出航する、いつもの航海だ。
いつもの荒くれどもが、いつもの荒れた海に乗り出す、そんな、いつおわるともなくつづく、航海のひとつだ。
船長をはじめ、気心のしれたものばかりの、なじみの船員達をのせた船は、南へとくだり、その数ヶ月後、その成果をのせてかえってくる。だれもがそれを信じ、それをまつために、船を送り出した。これで港もしばらくは安泰だ、おんな達のあいだにはそんな戯れ言が交わされた。

だが、かえってきたのは彼ひとりだった。ほかの船員は船もろともに藻屑となって消え果てた。

だから港のだれしもが考えることはおなじこと。
なにがあったのか。
それだけを彼からききたかったのである。

しかし、それもかなわぬことなのだ。なぜならば、唯一の生存者にそれをもとめても、ようをなさないからなのだ。

発見当初は意識不明の彼も、その数日後、意識を回復する。だが、にごったその眼とろれつのまわらぬくちからは、充分なことばが発せられない。
うつろなあたまから発するのは、最初のことばとおなじものなのである。

「まってくれ、いかないでくれ、おいていかないでくれ」

そして、そのことばをうらづけるかのように、うまくうごかぬ足腰のままに、病室から抜け出そうとする。そして、港へ、船へ、海へとむかおうとするのだ。
以来、彼の病室はそとからかぎがかけられた。

家族がきても、わからない。ねんごろだったおんなの顔もおもいだせない。
ただただ、そこからにげだして、彼をおいていった者のあとを追おうとするのである。

窓ガラスをたたきわり、窓をやぶったこともある。
看護のものに暴力をふるって、おどし、人質にとろうとしたこともある。
なんのために?
港にいくため、船にのるため、海にまたでるため、そして、彼だけをひとりのこしていってしまった者のあとを追う。
彼のあたまのなかにある一切がそれだった。

だから、彼は鉄格子におおわれた部屋のなかで、拘束着を着せられて、そこにいる。
そして、絶えずくりかえすのだ。

「まってくれ、いかないでくれ、おいていかないでくれ」

[the text inspired from the song “Close To Me” from the album “The Head On The Door” by The Cure]


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