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2013.12.13.08.54

Walk This Way

GPS機能?
そんなものがあっても、まよう奴はまようし、わからなくなる奴はわからなくなるものだよ。
それに第一、まよったから、わからなくなったから、そんなものにすがるんだろう。
だったら、いっしょのことだよ。すべては。

手にしたちいさな画面をさししめして、どう行ったらいいのでしょう、って。
みなれない地図をみせられて、即答できるほど、明晰でもないし、おひとよしでもない。
ぼくの地図をひっぱりだすか、ちかくにある交番をおしえるくらいが関の山だよ。

いくべきところがわからない、どのみちをすすめばいいのかわからない、どこへむかえばいいのかわからない、なにをすべきかわからない。
まよっている奴、混乱している奴、不明な奴、そんな奴らは立ち往生しているだけで、事態は一向に解決にむかわない。
ただ、手をこまねいて、いたずらに時間を浪費するだけだ。

それだけならば、まだましだ。
なにもしていない、なにもできない、それをそのままにしておくだけで、事態はさらに悪化してしまう。むしろ、そんな場合のほうがおおいかもしれないな。

約束におくれるとは、そういうことだ。時間がたてばたつほど、きずぐちがひらくばかりで、修復は困難になるばかりさ。
信頼も信用もうしなわれていくばかりさ。

もしかりに、そんなばかなときみがおもうならば、おもっていればいい。
それがゆるされるような関係ならば、きみがあまえているか、きみがあまやかせているか、さもなきゃ、きみがばかにされているだけのことさ。
(しらなくてもいいこともある。だから、ここからさきはだまっていよう)

だいじなことは、地図をひろげるにしろ、ひとにたずねるにしろ、きみ自身に解決する手段、問題を打破する方策、それが発見できた時にはじめて、できること。
それだけのはなしさ。

なやみはひとにうちあけた時点で、すでに解決している。
ひとにかたることで、原因や経緯を客観的にとらえられるからね。
そこで、肯定されるにしろ否定されるにしろ、評価されるにしろ批判されるにしろ、そこで語られるものがなんであれ、きみのなかでは決断がくだされているはずなのだ。
うけいれるにしろ、しりぞけるにしろ、そこで語られていることがきみの背をおすのだ。

逆にいえば、そんなことしかできないのさ。他者の見解というものは。

あるきだすということはそういうこと。

[the text inspired from the song "Walk This Way" from the album "Toys in the Attic" by Aerosmith]


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