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2008.02.12.20.17

ゆめじゅうや

10人の映像作家によるオムニバス映画『ユメ十夜』やそこから感化されたと思しき『夢十夜 海賊版』もあるのだけれども、残念ながら、いずれも未体験。
なので、当然の事ながら、それらの原作となった夏目漱石の連作短編集『夢十夜』をここでは取り上げます。
なお、テキストとしてはインターネット図書館『青空文庫』でのものによりました。
(大昔に購入した新潮文庫の『文鳥・夢十夜』は、押入の中に形成された地層の中に埋没しております。)

「こんな夢を見た。」
テキスト冒頭に、こんな一文を掲げてみると、何からも自由であると同時に、また、これまで己を律していたモノとは全く別のモノに支配されている様に想えてならない。

前者に関しては、恐らく殆どの方が同意されるだろう。何故ならば、「夢」がひとつのエクスキューズとなって、物語を物語る為には最低限守らなければならない、論理だとか秩序だとか手続きだとか礼儀だとか...、ありとあらゆるものの拘束から解き放たれるからだ。
序破急ってなぁに? 三段論法ってなぁに? 起承転結ってなぁに? 推敲ってなぁに? 誤字脱字ってなぁに? だって、これは夢だもんぼくが観たものそのまんまだぁよ。
と、いう具合である。

しかし、"ぼくが観たものそのまんま"だからこそ、次から次へと難問が発生する。己の観た夢を思い返し、再構成し、それを語る事がどれ程、難しい事なのだろう。
何を語り、何を語らず、何を描写し、何を忘却し、何を予感させ、何を秘匿し、何をなすがままに任せ、そして、何を放棄するのか。
その取捨選択の難易度は、遥かに難しい。
通常の文章の持つ倫理(って言っていいのかな?)を一旦忘却し、夢が支配する倫理に服従する必要があるのだ。
とはいうものの、夢の中の己ならば夢の倫理にいい様にされてしまうかもしれないが、その夢を記述する己は既に、夢の外にいるのだ。

夢の中で出会ったあなたはどの様な衣装をまとい、どの様な表情で、どの様な素振りで、あなたの意思を己に告げ、あなた自身は己に何を求め何を期待したのか、それらは既に夢の外に佇む己にとって、総てが曖昧模糊で、遠い記憶でしかない。
昨夜、夢の中で、あなたに会ったばかりだというのに。

だから、夢といいながら文学批評・芸術批評として書かれた「第六夜」なんかは恐ろしくともなんともないけれども、戊辰戦争西南戦争日清戦争日露戦争を併走したこの時代を考えると当然ありそうな出来事を夢の中の伝聞という二重の幻想に押し込めた「第九夜」なんかは志賀直哉ぢみた語り口を堪能すればいいだけの話であるし、上田秋成小泉八雲ならば怪異譚として外部の物語にした筈の「第一夜」や「第二夜」を夢という己の内部の物語にすげかえたのは何故かというのも文学論の域だし、前世宿命に思いを馳せている「第三夜」や「第五夜」は作者の東洋的な思想が色濃く現れていて、その逆に、ハーメルンの笛吹きRattenfanger von Hameln)になりそこねた蛇使いの爺様の「第四夜」や客船から堕ち続ける後悔を描いた「第七夜」はイギリス留学があって始めて書く事が出来たのだろうと推測が可能だし、「第八夜」はチャップリンの映画で似た様なものもあるなぁでも語り口はむしろ江戸落語だよなぁと、言う様な身勝手な解釈というか解決というか落し所が見つかるものだけれども、最期の「第十夜」だけはそうはいかない。

images

と、言うのは、宮崎駿Hayao Miyazaki)の『千と千尋の神隠し(Spirited Away)』に登場する湯屋油屋での祝祭的な混沌状況をふと思い出したからである。
それは必ずしも、豚が登場するから、という訳ではない。

次回は「」。
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