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2013.10.01.05.19

おおやまのぼった

初めて体験した松本零士 (Leiji Matsumoto) 作品は、マンガ『男おいどん (Otoko Oidon : The Man I Am) 』 [19711973週刊少年マガジン連載] だ。TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト (Space Battleship Yamato)』 [1974讀賣テレビ系列放映] ではない。しかもこのアニメ作品は大部分のヒトがそうである様に、再放送で観た。
その後、当時の同世代の殆どのヒトがそうである様に、マンガ作品としてアニメ作品として、松本零士 (Leiji Matsumoto) の作品を観る事になって、その到達点がダフト・パンク (Daft Punk) とのコラボレーション作『インターステラ5555 : The 5tory Of The 5ecret 5tar 5ystem (Interstella 5555 : The 5tory Of The 5ecret 5tar 5ystem)』[2003年] になるのだと想う。
この映像作品の登場によって、ちょっと違った視点からの松本零士 (Leiji Matsumoto) 作品の印象や評価を与えられた様な気がするのだけれども、と同時に、それに曳き摺られる様にして、ここ最近のリメイク作品が制作されている様な気もするのだけれども、ただ実際は、そんな諸作品は未見だから、これ以上のコトは、ここでは書かない。いや、書けない。
表題に掲げた、マンガ『男おいどん (Otoko Oidon : The Man I Am) 』 [19711973週刊少年マガジン連載] の主人公、大山昇太 (Nobotta Ohyama) の事について記述する事にする。ちなみに、この連載では既に一度、プレゼンテイター (Presenter) として、こちらに登場願っている。

大山昇太 (Nobotta Ohyama) は、今で謂うところのフリーター (Freeter) の様なニート (Neet : Not In Education, Employment, Or Training') の様な、つまり態のいい表現をすれば、定時制高等学校中退の無職の失業者である。
高度経済成長 (Japanese Post-war Economic Miracle) の真っ只中で、未だ学生紛争 (Student Activism) の余韻が醒めやらぬ当時としては、随分と珍しいキャラクター設定の様に想うかもしれないが、当時のマンガ作品に於いては、むしろざらだ。

ギャグ・マンガストーリー・マンガを問わずそこには、謂うなれば、住所不定無職的な人物達ばかりが横行しているのである。
ちなみに、正義の味方も、悪の秘密結社も、それだけでは喰ってはいけない。一言で謂えば、そこから利潤がもたらせられる様な、ビジネス・モデル (Business Model) が物語の中に不在なのだ。

掲載誌であるところの、当時の週刊少年マガジン (Weekly Shonen Magazine) だけを採ってみても、バカボンのパパ (Bakabon's Papa) [『天才バカボン (Tensai Bakabon : Genius Bakabon)』 作:赤塚不二夫 (Fujio Akatsuka) 19691976年連載] やオモライ (Omorai) [『オモライくん (Omorai-kun)』 作:永井豪 (Go Nagai) 1972年連載] という二大巨頭は君臨しているし、あの矢吹丈 (Joe Yabuki) [『あしたのジョー (Ashita no Joe)』 原作:高森朝雄 [梶原一騎] (Ikki Kajiwara) 画:ちばてつや (Tetsuya Chiba) 19681973週刊少年マガジン連載] だってその頃は、ライバル力石徹 (Tohru Rikiishi) の死のダメージを引き摺ってどさ回り (On The Road) の日々に勤しんでいたから、似た様なモノなのである。

無為無職で無目的な人物達が自在に闊歩していたのが、当時の週刊マンガ誌の正体である、そんな決めつけをしたい誘惑に駆られるけれども、そこまで徹底化させる程に、例証は揃っていない。
上に例示した矢吹丈 (Joe Yabuki)だって、そんな駄目な時季であってもプロボクサー・ライセンス (Professional Boxing License) を剥奪されていた訳でもないから、もしもその当時、彼が事件事故に巻き込まれたとしたら、報道機関から情報として伝えられる彼の職業はプロボクサー (Professional Boxer)、なのである。

ナニモノでもないモノがナニモノでもないままに徘徊していたのではない。ナニカであるモノが、一端、そのナニカから離れて、もしくは、そのナニカである事を忘れたふりをして、彷徨しているのである。

それはもしかしたら当時、スチューデント・アパシー (Student Apathy) と呼ばれたモノであって、とり・みき (Miki Tori) がマンガ『ひいびいじいびい (A Heebie-jeebie)』 [19861987月刊コミコミ連載] で見事に図象化しているけれども、この作品は現在では刊行されていない。

と、同時に、バカボンのパパ (Bakabon's Papa) やオモライ (Omorai) は、無為無職で無目的でありながらも、その地位に甘んじているところが、他所の作品とは違う。いやいや、甘んじているどころではない。むしろ、積極的にその地位であろうとしているのだし、しかもその上に、その地位である事を自身にとって有意義のモノとして展開している。
つまり、無為で無職で無目的である自身を謳歌しているのである。

では、本編の主人公、大山昇太 (Nobotta Ohyama) はどうかと謂うと、そおゆう視点から観れば、バカボンのパパ (Bakabon's Papa) やオモライ (Omorai) よりも、矢吹丈 (Joe Yabuki)のポジションに近いと謂ってもいいのかもしれない。
掌編中常に彼は、そこから逃れようと足掻いているのだ。
正業に就きたい、アルバイトでもいい、そして早く復学するのだ、と。

だけれども、結局、それは悪足掻きとヒトが呼ぶモノでしかなく、彼は物語の冒頭同様に、家財道具の一切ない"四畳半 (A Four-and-a-half-mat Japanese Room)"で、猿股にくるまれて、眠るだけなのだ。
それはひとつの夢を夢観るモノの、夢に破れて、また再び、はじめの夢に耽る事、それだけの事でしかないのかもしれない。つまり、彼は一度も、夢から覚醒めていないのだ。

連載中は、確か、人情味溢れるペーソス (Pathos)・マンガ、という様な打ち出しをしていた。
大山昇太 (Nobotta Ohyama) を巡る登場人物達の思考や行動は、そうとでも呼ぶべきモノなのかもしれない。

だけれども、これは身勝手なファンタジー (Fantasy) というモノではないだろうか。
彼の小宇宙 (Microcosmos) とでも呼ぶべき"四畳半 (A Four-and-a-half-mat Japanese Room)"に、様々なヒトビトが去来し、彼に都合のよい物語 [仮令それが彼を怒らせたり哀しませたり、酷い眼にあわせたとしても] を語っているだけなのだ。
それは、物語の中に何度も、彼にとって身分不相応な美女達が登場するから、というだけの理由ではない。

ある意味では、永遠に終わらない夏休みではあるし、いつまでも入っていられるぬくぬくとしたぬるい生風呂の、そんな様なモノなのだ。

それ故に、最終話、大山昇太 (Nobotta Ohyama) は、なにか意を決した様な態度でもって、この"四畳半 (A Four-and-a-half-mat Japanese Room)"から出奔しなければならなかったのである。

と、謂う形で、大山昇太 (Nobotta Ohyama) の物語が完全に完結していれば、いいのだけれども、その後の松本零士 (Leiji Matsumoto) 作品のどれにも、彼の物語が再演されている様に観えるのである。

それは、彼の子孫であるとされている大山トチロー (Tochiro Oyama) の事を指しているのではない。
マンガ『銀河鉄道999 (Galaxy Express 999)』 [19771981少年キング連載] の"とりあえず"の主人公である星野鉄郎 (Tetsuro Hoshino) の、チビで短足でがに股でしかも風呂嫌いなところは大山昇太 (Nobotta Ohyama) に似ているけれども、彼の事でもない。
その他の作品にも、大山昇太 (Nobotta Ohyama) を彷彿とさせる、もしくはそう名乗る人物が登場するのだけれども、彼らの事ではない。

TVアニメ『宇宙戦艦ヤマト (Space Battleship Yamato)』 [1974讀賣テレビ系列放映] の沖田十三艦長 (Captain Juzo Okita) や、マンガ『宇宙海賊キャプテンハーロック (Space Pirate Captain Herlock)』 [19771979プレイコミック連載] のキャプテンハーロック (Captain Herlock) の事なのだ。もしかしたら、クイーン・エメラルダス (Emeraldas) も、マンガ『銀河鉄道999 (Galaxy Express 999)』 [19771981少年キング連載] に客演した際での、病に冒されて病床から一歩も出なかったところを観ると、彼女も"同床異夢"なのかもしれない。

いや違う。逆だ。"異床同夢"だ。

彼らの誰もが、己の夢を語り、己の美意識を主張する。そして、それは少なくとも、彼らに"四畳半 (A Four-and-a-half-mat Japanese Room)"である艦の中では徹底出来るものの、その"外"は必ずしもそれを受容する事は出来ない。だから、彼らは殆ど艦のなかにいるのだし、艦のなかを守る為に、"外"と戦う。
つまり、いつまでもいつまでも夢を観ていようと、しているのである。

images
大山昇太 (Nobotta Ohyama) の"四畳半 (A Four-and-a-half-mat Japanese Room)"の、唯一の同居人、トリさん (A Bird) が、いつもなんらかのかたちで、登場するのはその証左だと想うし、もしかしたらそのトリさん (A Bird) との距離が、大山昇太 (Nobotta Ohyama) 度 [と謂うモノがあるとして] を推し量るよすがになるのかもしれない。
[掲載画像はこちらから。]

次回は「」。
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