2013.07.23.05.51
日本語である。
元々は、鉄砲伝来とキリスト教伝来 (Roman Catholicism In Japan) を嚆矢とする 南蛮文化 (Periodo Nanban) が陸続ともたらされた時代に伝わった没薬 (Mirra) と言う語句が、転じて、それを指す言葉となった。
漢字で書けば木乃伊であり、英語で書けば Mummyである。
ちなみに、没薬 (Mirra) とは、イエス (Iesus) 誕生の際に、ベツレヘムの星 (Star Of Bethlehem) に誘われて彼の基に馳せ参じた、東方の3博士 (Sancti Magi) が、彼に献じたモノのひとつである。3博士の一人、カスパール (Caspar) が持参したモノで、遺りのふたつは、メルキオール (Melchior) が持参した黄金 (Ouro) とバルタザール (Balthasar) が持参した乳香 (Olibano) である。
と、言う様に、さも学際的な論述の素振りをみせながら、書き始めてみたモノの、そおゆうモノでは一切ないから、安心して欲しい。と、書いてしまうと、却って不安材料が増えてしまうのだろうか。もしかしたら、ここから先は誰も読もうとしないモノなのだろうか。
言葉における木乃伊 (Mummy) は、どこから来たのか、という問題は、この文の冒頭で一応、解決は観たモノの、では、木乃伊 (Mummy) 自身は、どこから来たのだろうか。
と、言うよりも、木乃伊 (Mummy) という語句を読んで、頭に思い描けてしまう、全身を包帯 (Bandage) ぐるぐる巻きにされた男性のイメージは、一体、どこから来たのだろうか。
と、言うのが、この文章における、主題である。
しかも、上に書き出してみたこのマス・イメージは、恐らく、総ての世代に共通のモノではないかもしれないし、よしんば、全世代の共通項だとしても、その像に初めて触れたモノは、先ず、違う。
否、そんな大それた世代間の違いとかにアプローチはしないし、出来る訳ではない。
単純な話、ぼくが初めて観た、もしくは、初めて知った、木乃伊 (Mummy) とはなんなのだろうか、という疑問である。
そして、言うまでもなく、その木乃伊 (Mummy) は、全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた男の事を指している。
ぼく達世代が初めて触れる、怪異なモノは、恐らく、ふたつある。
ひとつは、水木しげる (Shigeru Mizuki) 作品であって、TVアニメ番組『ゲゲゲの鬼太郎 (GeGeGe No Kitaro)』 [1968~1969年 フジテレビ系列放映] かTV実写特撮番組『悪魔くん (Akuma-kun)』 [1966~1967年 NET系列放映] のいずれかだ。
そして、もうひとつは、藤子不二雄A (FUJIKO Fujio (A)) 作品のTVアニメ番組『怪物くん (Kaibutsu-kun)』 [1968~1969年 TBS系列放映] だ。
幼稚園児 (Kindergarten) か保育園児 (Nursery School)、もしくはいずれかの待機児童、そんな時代に接する作品だ。
ぼく達は恐らく、この2人の手になるみっつのTV番組を通じて、怪異なモノの存在を知ると同時に、それらが総て愛すべき存在である事を学んだ筈なのである。
果たして、それらの作品の中に、木乃伊 (Mummy) は登場したのであろうか。
ひとつひとつの番組の各エピソードを、丹念に観ていけば解る筈だが、そんな手間隙は、ここでは惜しんでみてしまおう。
と、言うのは、もしも、いずれの番組に登場していたとしても、ぼく達は、それ以前に、全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた男には、既にどこかで出逢っているのである。
例えば、TVアニメ番組『ゲゲゲの鬼太郎 (GeGeGe No Kitaro)』 [1968~1969年 フジテレビ系列放映] の原作である、漫画『ゲゲゲの鬼太郎 (GeGeGe No Kitaro)』 [1965~1966年 週刊少年マガジン連載。 連載当初は『墓場の鬼太郎 (Hakaba No Kitaro)』名義だったようだが、ぼく達が単行本で読む頃には既に現行のものに改題されていた様だ] の単行本の第1話を観たぼく達は、鬼太郎 (Kitaro) の父親の正体を、木乃伊 (Mummy) と勘違いしてしまう。
その第1話は、鬼太郎 (Kitaro) の誕生秘話であると同時に、目玉親父 (Medama-oyaji : Eyeball Father) の誕生秘話でもあるのだ。彼が、たったひとつの眼球 (Eyeball) だけの存在になる以前の姿がそこには描かれていて、不治の病に冒された彼は、活きながらにして腐乱し、崩れつつあるその全身を包帯 (Bandage) で包んでいたのである。
例えば、TVアニメ番組『怪物くん (Kaibutsu-kun)』 [1968~1969年 TBS系列放映] の放映される1年前に、TV実写特撮番組『ウルトラマン (Ultraman)』 [1966~1967年 TBS系列放映] にミイラ人間 (Alien Mummy) なる、木乃伊 (Mummy) をモチーフとしたと思しき名称の"怪獣"が、登場している。
その名も第12話『ミイラの叫び (Cry Of The Mummy)』 [脚本:藤川桂介 監督・特技監督:円谷一] である。
それに登場する、眼光は鋭いものの鼻がつぶれた猿もどきのその"怪獣"を観たぼく達は、放送翌日に「あれは木乃伊 (Mummy) ではない」と断定しているのである。その理由はあえて書くまでもない、痕跡物としてその存在は主張しているモノの、全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされていないからなのだ。
だから、少なくとも、TV実写特撮番組『ウルトラマン (Ultraman)』 [1966~1967年 TBS系列放映] の第12話『ミイラの叫び (Cry Of The Mummy)』 [脚本:藤川桂介 監督・特技監督:円谷一] が放送されるそれ以前に、既にぼく達は、アイコンとしての木乃伊 (Mummy) 即ち、全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた男には慣れ親しんでいたのに違いない。
例えば、怪異も出ない、怪獣も出ない、所謂普通のTVドラマの一挿話として、事故かなにかが原因で、全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた人物の形容として、"まるで木乃伊みたい (Got It Wrapped Like A Mummy)"という様な台詞でもあったのだろうか。そして、それは限られたひとつの作品のなかの挿話だけではなくて、そのパロディや、バラエティ番組かなにかで演じられるコントや、という具合に何度でも、登場していたのではないだろうか。
と、言うのは、"まるで木乃伊みたい (Got It Wrapped Like A Mummy)"という比喩は、ある特定の時代やある特定の世代だけに通用するモノではないからだ。
今でも、いつでも、この比喩は、流通している筈だからである。
と、同時に、ぼく達は、ぐるぐる巻きの包帯 (Bandage) の中身に関しては、その当時、きちんとしたヴィジョンを持っていなかったと、とも、思われる。目玉親父 (Medama-oyaji : Eyeball Father) 化する前の鬼太郎 (Kitaro) の父親を指して、木乃伊 (Mummy) 呼ばわりしていたぼく達だ。実は、似て非なるモノである、透明人間 (Invisible Man) とも混同していた様にも思われる。
ついでに書いておくと、その透明人間 (Invisible Man) と初めて出逢ったのは、TVアニメ番組『怪物くん (Kaibutsu-kun)』 [1968~1969年 TBS系列放映] の中の一挿話だと思う。そこに出現した包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた男が、その包帯 (Bandage) を解いてみせれば、そこにはなにもない、否、なにも観えない、そんなとても解りやすい形で自身の出自を証明していたと思う。
つまり、ぼく達は、映像として全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた男のイメージにはかねてより慣れ親しんでいた筈なのに、事、肝心のその包帯 (Bandage) の中身に関しては、極めて無頓着だった様に、思われる。
単なる重傷患者なのか、全身の色素を喪って透明化したモノなのか、はたまた、本物の木乃伊 (Mummy) なのか。
第一に、これまでずっと、全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた男と言い表してきたモノの、それが真実に、男性か否かも、不確かなのだ。
ちなみに、海外ホラー映画に登場する木乃伊 (Mummy) に関して記せば、日本版映画のポスターにも転用されている、あの逃げ後れて転倒した美女の背後を襲うという [ここ (See This Pege) で観る事が出来る]、ぼく達が最も慣れ親しんできた木乃伊 (Mummy) のスチル写真は、映画『ミイラ怪人の呪い (The Mummy's Shroud)』 [ジョン・ギリング (John Gilling) 監督作品 1967年制作] のモノであって、それはジャガーバックスの『いちばんくわしい世界妖怪図鑑』 [佐藤有文著 1973年 立風書房刊行] で掲載されていて、そこで初めて見知った筈だ。この書物には当時、まだ遭遇していない。そこで、彼に出逢うのは、もう数年後の事なのである。
その後、木乃伊 (Mummy) の中身、と言うか、木乃伊 (Mummy) というモノの実質を知った後に出逢うのは、ワイドショーの夏休み特集かなにかの、怪奇特集であって、そこで紹介される木乃伊 (Mummy) なる"物体"は、"物体"と書く以上、それはかつて人間であったそれですらない。
そこで、まことしやかに紹介されている"木乃伊 (Mummy)"は、人魚の木乃伊 (Jenny Haniver) や河童の木乃伊 (The Mummy of A Kappa) であって、それらはいずれも包帯 (Bandage) 巻きにされてはいないのだ。
その一方で、木乃伊 (Mummy) がおぞましい妖怪としてホラー映画の常連になるその直接の原典とも言うべき、ツタンカーメンの呪い (Curse Of The Pharaohs) を知ってみると、存外に、彼のヴィジュアル面、つまり、ぐるぐる巻きの包帯 (Bandage) は、必ずしも重要な要素ではないと判明する。むしろ問題は、と言うか、むしろ主役は、中身をぐるぐる巻きに覆い隠している包帯 (Bandage) づらをさらに、覆い隠している黄金の仮面 (Gold Funerary Mask Of Tutankhamun) にあるのだ。

だから、マンガ『あにまるケダマン (Animaru Kedaman)』 [永井豪 (Nagai Go) 作 1972年 週刊少年サンデー連載] の登場人物の一人、間身井くんが全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにしているのは、自宅が経営しているマミイ薬局の商品を己の衣料に転じているのであって、彼が、超人でも怪人でも、怪異でも怪獣でもない、単なる普通の少年 [外見上はとても珍奇で特殊な存在だけれども] であったとしても、ぼく達は驚きもしない。
むしろ、驚くべきなのは、彼の姉に関してであって、彼女は永井豪 (Nagai Go) 作品史上、最も肌の露出が多い筈なのに [冷静に考えてもけっこう仮面 (Kekko Kamen) よりも露出している]、ちっともエロティシズム (erotisme) を感じない事なのである [上に掲載したのがその間身井姉弟、画像はこちらから]。
それは、己の性器だけを最低限度覆い隠しているからなのか、それとも、あっけらかんに開放的な彼女の性格によるモノなのか、未だによく解らない。
先の映画『ミイラ怪人の呪い (The Mummy's Shroud)』 [ジョン・ギリング (John Gilling) 監督作品 1967年制作] のスチル写真で言えば、背後から襲う怪人よりも、襲われる女性の胸元の方に、視線が泳いでしまう、現在でも、だ。
次回は「ら」。
附記 1.:
木乃伊 (Mummy) に似て非なるモノと言うべきなのか、日本版木乃伊 (Japanese Mummy) と言うべきなのか、判断に迷うべきモノとして、即身仏という存在がある。
これに関しては、いずれかの少年マンガ週刊誌のカラー・グラビアで、初めて観た。上に綴られてきた木乃伊 (Mummy) というモノは半ばフィクションの存在であるだけに、木乃伊 (Mummy) 化した身体 [上の文章の顰みに習えば、包帯 (Bandage) の中身] を初めて観たわけで、その時の驚きは未だに憶えている。
その当時は、その木乃伊 (Mummy) 化した身体の向こうにある信仰や宗教の存在までも想いは至らなかったが、即身仏の挿話は後に、人形劇TV番組『新八犬伝 (Shin Hakkenden)』 [1973~1975年 NHK放映] やマンガ『火の鳥 鳳凰編
(Phenix Hououhen)』 [手塚治虫 (Osamu Tezuka) 作 1969~1970年 COM連載] で、より具体的に知る事になる [前者はリアル・タイムで体験したが、後者は10代に入ってから後の事である]。
附記 2.:
楳図かずお (Umezu Kazuo) の『ミイラ先生 (Miira-Sensei)』 [1967年 少女フレンド連載] って、いつ読んだんだろう??
元々は、鉄砲伝来とキリスト教伝来 (Roman Catholicism In Japan) を嚆矢とする 南蛮文化 (Periodo Nanban) が陸続ともたらされた時代に伝わった没薬 (Mirra) と言う語句が、転じて、それを指す言葉となった。
漢字で書けば木乃伊であり、英語で書けば Mummyである。
ちなみに、没薬 (Mirra) とは、イエス (Iesus) 誕生の際に、ベツレヘムの星 (Star Of Bethlehem) に誘われて彼の基に馳せ参じた、東方の3博士 (Sancti Magi) が、彼に献じたモノのひとつである。3博士の一人、カスパール (Caspar) が持参したモノで、遺りのふたつは、メルキオール (Melchior) が持参した黄金 (Ouro) とバルタザール (Balthasar) が持参した乳香 (Olibano) である。
と、言う様に、さも学際的な論述の素振りをみせながら、書き始めてみたモノの、そおゆうモノでは一切ないから、安心して欲しい。と、書いてしまうと、却って不安材料が増えてしまうのだろうか。もしかしたら、ここから先は誰も読もうとしないモノなのだろうか。
言葉における木乃伊 (Mummy) は、どこから来たのか、という問題は、この文の冒頭で一応、解決は観たモノの、では、木乃伊 (Mummy) 自身は、どこから来たのだろうか。
と、言うよりも、木乃伊 (Mummy) という語句を読んで、頭に思い描けてしまう、全身を包帯 (Bandage) ぐるぐる巻きにされた男性のイメージは、一体、どこから来たのだろうか。
と、言うのが、この文章における、主題である。
しかも、上に書き出してみたこのマス・イメージは、恐らく、総ての世代に共通のモノではないかもしれないし、よしんば、全世代の共通項だとしても、その像に初めて触れたモノは、先ず、違う。
否、そんな大それた世代間の違いとかにアプローチはしないし、出来る訳ではない。
単純な話、ぼくが初めて観た、もしくは、初めて知った、木乃伊 (Mummy) とはなんなのだろうか、という疑問である。
そして、言うまでもなく、その木乃伊 (Mummy) は、全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた男の事を指している。
ぼく達世代が初めて触れる、怪異なモノは、恐らく、ふたつある。
ひとつは、水木しげる (Shigeru Mizuki) 作品であって、TVアニメ番組『ゲゲゲの鬼太郎 (GeGeGe No Kitaro)』 [1968~1969年 フジテレビ系列放映] かTV実写特撮番組『悪魔くん (Akuma-kun)』 [1966~1967年 NET系列放映] のいずれかだ。
そして、もうひとつは、藤子不二雄A (FUJIKO Fujio (A)) 作品のTVアニメ番組『怪物くん (Kaibutsu-kun)』 [1968~1969年 TBS系列放映] だ。
幼稚園児 (Kindergarten) か保育園児 (Nursery School)、もしくはいずれかの待機児童、そんな時代に接する作品だ。
ぼく達は恐らく、この2人の手になるみっつのTV番組を通じて、怪異なモノの存在を知ると同時に、それらが総て愛すべき存在である事を学んだ筈なのである。
果たして、それらの作品の中に、木乃伊 (Mummy) は登場したのであろうか。
ひとつひとつの番組の各エピソードを、丹念に観ていけば解る筈だが、そんな手間隙は、ここでは惜しんでみてしまおう。
と、言うのは、もしも、いずれの番組に登場していたとしても、ぼく達は、それ以前に、全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた男には、既にどこかで出逢っているのである。
例えば、TVアニメ番組『ゲゲゲの鬼太郎 (GeGeGe No Kitaro)』 [1968~1969年 フジテレビ系列放映] の原作である、漫画『ゲゲゲの鬼太郎 (GeGeGe No Kitaro)』 [1965~1966年 週刊少年マガジン連載。 連載当初は『墓場の鬼太郎 (Hakaba No Kitaro)』名義だったようだが、ぼく達が単行本で読む頃には既に現行のものに改題されていた様だ] の単行本の第1話を観たぼく達は、鬼太郎 (Kitaro) の父親の正体を、木乃伊 (Mummy) と勘違いしてしまう。
その第1話は、鬼太郎 (Kitaro) の誕生秘話であると同時に、目玉親父 (Medama-oyaji : Eyeball Father) の誕生秘話でもあるのだ。彼が、たったひとつの眼球 (Eyeball) だけの存在になる以前の姿がそこには描かれていて、不治の病に冒された彼は、活きながらにして腐乱し、崩れつつあるその全身を包帯 (Bandage) で包んでいたのである。
例えば、TVアニメ番組『怪物くん (Kaibutsu-kun)』 [1968~1969年 TBS系列放映] の放映される1年前に、TV実写特撮番組『ウルトラマン (Ultraman)』 [1966~1967年 TBS系列放映] にミイラ人間 (Alien Mummy) なる、木乃伊 (Mummy) をモチーフとしたと思しき名称の"怪獣"が、登場している。
その名も第12話『ミイラの叫び (Cry Of The Mummy)』 [脚本:藤川桂介 監督・特技監督:円谷一] である。
それに登場する、眼光は鋭いものの鼻がつぶれた猿もどきのその"怪獣"を観たぼく達は、放送翌日に「あれは木乃伊 (Mummy) ではない」と断定しているのである。その理由はあえて書くまでもない、痕跡物としてその存在は主張しているモノの、全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされていないからなのだ。
だから、少なくとも、TV実写特撮番組『ウルトラマン (Ultraman)』 [1966~1967年 TBS系列放映] の第12話『ミイラの叫び (Cry Of The Mummy)』 [脚本:藤川桂介 監督・特技監督:円谷一] が放送されるそれ以前に、既にぼく達は、アイコンとしての木乃伊 (Mummy) 即ち、全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた男には慣れ親しんでいたのに違いない。
例えば、怪異も出ない、怪獣も出ない、所謂普通のTVドラマの一挿話として、事故かなにかが原因で、全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた人物の形容として、"まるで木乃伊みたい (Got It Wrapped Like A Mummy)"という様な台詞でもあったのだろうか。そして、それは限られたひとつの作品のなかの挿話だけではなくて、そのパロディや、バラエティ番組かなにかで演じられるコントや、という具合に何度でも、登場していたのではないだろうか。
と、言うのは、"まるで木乃伊みたい (Got It Wrapped Like A Mummy)"という比喩は、ある特定の時代やある特定の世代だけに通用するモノではないからだ。
今でも、いつでも、この比喩は、流通している筈だからである。
と、同時に、ぼく達は、ぐるぐる巻きの包帯 (Bandage) の中身に関しては、その当時、きちんとしたヴィジョンを持っていなかったと、とも、思われる。目玉親父 (Medama-oyaji : Eyeball Father) 化する前の鬼太郎 (Kitaro) の父親を指して、木乃伊 (Mummy) 呼ばわりしていたぼく達だ。実は、似て非なるモノである、透明人間 (Invisible Man) とも混同していた様にも思われる。
ついでに書いておくと、その透明人間 (Invisible Man) と初めて出逢ったのは、TVアニメ番組『怪物くん (Kaibutsu-kun)』 [1968~1969年 TBS系列放映] の中の一挿話だと思う。そこに出現した包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた男が、その包帯 (Bandage) を解いてみせれば、そこにはなにもない、否、なにも観えない、そんなとても解りやすい形で自身の出自を証明していたと思う。
つまり、ぼく達は、映像として全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた男のイメージにはかねてより慣れ親しんでいた筈なのに、事、肝心のその包帯 (Bandage) の中身に関しては、極めて無頓着だった様に、思われる。
単なる重傷患者なのか、全身の色素を喪って透明化したモノなのか、はたまた、本物の木乃伊 (Mummy) なのか。
第一に、これまでずっと、全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにされた男と言い表してきたモノの、それが真実に、男性か否かも、不確かなのだ。
ちなみに、海外ホラー映画に登場する木乃伊 (Mummy) に関して記せば、日本版映画のポスターにも転用されている、あの逃げ後れて転倒した美女の背後を襲うという [ここ (See This Pege) で観る事が出来る]、ぼく達が最も慣れ親しんできた木乃伊 (Mummy) のスチル写真は、映画『ミイラ怪人の呪い (The Mummy's Shroud)』 [ジョン・ギリング (John Gilling) 監督作品 1967年制作] のモノであって、それはジャガーバックスの『いちばんくわしい世界妖怪図鑑』 [佐藤有文著 1973年 立風書房刊行] で掲載されていて、そこで初めて見知った筈だ。この書物には当時、まだ遭遇していない。そこで、彼に出逢うのは、もう数年後の事なのである。
その後、木乃伊 (Mummy) の中身、と言うか、木乃伊 (Mummy) というモノの実質を知った後に出逢うのは、ワイドショーの夏休み特集かなにかの、怪奇特集であって、そこで紹介される木乃伊 (Mummy) なる"物体"は、"物体"と書く以上、それはかつて人間であったそれですらない。
そこで、まことしやかに紹介されている"木乃伊 (Mummy)"は、人魚の木乃伊 (Jenny Haniver) や河童の木乃伊 (The Mummy of A Kappa) であって、それらはいずれも包帯 (Bandage) 巻きにされてはいないのだ。
その一方で、木乃伊 (Mummy) がおぞましい妖怪としてホラー映画の常連になるその直接の原典とも言うべき、ツタンカーメンの呪い (Curse Of The Pharaohs) を知ってみると、存外に、彼のヴィジュアル面、つまり、ぐるぐる巻きの包帯 (Bandage) は、必ずしも重要な要素ではないと判明する。むしろ問題は、と言うか、むしろ主役は、中身をぐるぐる巻きに覆い隠している包帯 (Bandage) づらをさらに、覆い隠している黄金の仮面 (Gold Funerary Mask Of Tutankhamun) にあるのだ。

だから、マンガ『あにまるケダマン (Animaru Kedaman)』 [永井豪 (Nagai Go) 作 1972年 週刊少年サンデー連載] の登場人物の一人、間身井くんが全身を包帯 (Bandage) でぐるぐる巻きにしているのは、自宅が経営しているマミイ薬局の商品を己の衣料に転じているのであって、彼が、超人でも怪人でも、怪異でも怪獣でもない、単なる普通の少年 [外見上はとても珍奇で特殊な存在だけれども] であったとしても、ぼく達は驚きもしない。
むしろ、驚くべきなのは、彼の姉に関してであって、彼女は永井豪 (Nagai Go) 作品史上、最も肌の露出が多い筈なのに [冷静に考えてもけっこう仮面 (Kekko Kamen) よりも露出している]、ちっともエロティシズム (erotisme) を感じない事なのである [上に掲載したのがその間身井姉弟、画像はこちらから]。
それは、己の性器だけを最低限度覆い隠しているからなのか、それとも、あっけらかんに開放的な彼女の性格によるモノなのか、未だによく解らない。
先の映画『ミイラ怪人の呪い (The Mummy's Shroud)』 [ジョン・ギリング (John Gilling) 監督作品 1967年制作] のスチル写真で言えば、背後から襲う怪人よりも、襲われる女性の胸元の方に、視線が泳いでしまう、現在でも、だ。
次回は「ら」。
附記 1.:
木乃伊 (Mummy) に似て非なるモノと言うべきなのか、日本版木乃伊 (Japanese Mummy) と言うべきなのか、判断に迷うべきモノとして、即身仏という存在がある。
これに関しては、いずれかの少年マンガ週刊誌のカラー・グラビアで、初めて観た。上に綴られてきた木乃伊 (Mummy) というモノは半ばフィクションの存在であるだけに、木乃伊 (Mummy) 化した身体 [上の文章の顰みに習えば、包帯 (Bandage) の中身] を初めて観たわけで、その時の驚きは未だに憶えている。
その当時は、その木乃伊 (Mummy) 化した身体の向こうにある信仰や宗教の存在までも想いは至らなかったが、即身仏の挿話は後に、人形劇TV番組『新八犬伝 (Shin Hakkenden)』 [1973~1975年 NHK放映] やマンガ『火の鳥 鳳凰編
附記 2.:
楳図かずお (Umezu Kazuo) の『ミイラ先生 (Miira-Sensei)』 [1967年 少女フレンド連載] って、いつ読んだんだろう??
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